北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

札幌市内篇 その3

★印:レア度

しろいし歴史街道

東75白石線(札幌駅前〜月寒駅前〜白石駅前)
昭和25年8月10日開業〜平成31年4月1日廃止
★★☆☆☆

《停車停留所》 札幌駅前 北1条 南1条 南4条(下りのみ) 南4条東1丁目 豊平橋 豊平4丁目 豊平3条8丁目 東電話局前 美園2条2丁目 美園2条4丁目 美園2条6丁目 月寒東2条1丁目 月寒東2条2丁目 月寒駅前 南郷橋 白石区役所前 白石中央 技術試験場 白石駅前 (昭和49年8月現在)

(コメント)
 この路線はいまも現役だが、ルートが昔と微妙に違っている....

 現在はJR白石駅から白石・中の島通りを南下しているが、昔は1本西側の連隊道路(道々白石停車場線)と呼ばれるセマ〜イ小路を走っていた。

 いまでは単なる"ウラ通り"だが、この通りこそ白石〜月寒を結ぶかつての"大動脈"だったのだ。"白石停車場線"という呼び名に、メインストリート時代の素敵な響きが感じられる。

 ルートは白石駅から国道12号線に出て、再び白石自動車学校前のセマい路地に入り、車掌時代はひがしきたどおりと呼ばれていた東北通り(1条線)へ抜けていた。

 沿線にはS46年8月まで朝鮮学校[*註1]があり、国境を越えた友情を深めようという意の『フレンド公園』(S43.9設置)も近くに残存する。

 学校下の掘割にはSLの煙で煤かけた国鉄旧千歳線の陸橋トンネル[*註2]もあったが、千歳線の切り替えで現在はサイクリングロードに転用され『南郷橋』の停名だけがその証しを今に伝えている。

★[*註1] 正式には北海道朝鮮初中級学校。S36.9在日朝鮮人の寄付金5千万円で開校。隣には寄宿舎もあったが児童数の増加で教室が足りなくなっため、S46.10平岡の現在地に移転し、跡地にはS52.3南白石小が開校した。いまも残る校庭のポプラはS37年春、第一期卒業生が植えたものという。
★[*註2] 国鉄の陸橋トンネルはこのほか厚別南中前の釣橋跨線橋(現・厚別南トンネル)もあり、こちらも昔は機関車のススで真っ黒だった。当初この千歳線用地に地下鉄を高架で通す市の計画があったが、菊水地区の用地買収と千歳線の廃止時期が遅れ、南郷通りの地下を通す現ルートに変更された経緯がある。

懐かしの白石線ダイヤ


エリア激戦区『2条線』

東61月寒2条線(札幌駅前〜月寒2条線経由〜中央通10丁目)
昭和34年頃開業〜昭和49年11月1日廃止
★★★☆☆

《停車停留所》 札幌駅前 北1条 南1条 南4条(下りのみ) 南4条東1丁目 豊平橋 豊平4丁目 豊平3条8丁目 東電話局前 美園2条2丁目 美園2条4丁目 美園2条6丁目 月寒東2条1丁目 月寒東2条2丁目 月寒東2条4丁目 月寒東2条7丁目 月寒東2条9丁目 中央通10丁目 (昭和49年8月現在)

(コメント)
 現在はバス路線網もまばらな豊平・美園地区だが、1974(S49)年まで月寒東、南郷、白石方面のバスは裏メインストリート、2条線を走っており、米里行啓通りから入るレア・ルートだった。
 これは豊平地区が エリアバトルの激戦区 だったためである。

 多くのバスが競合する札幌市内は、S30年代から郊外住宅地の発展とともに路線が急速に発展し、とりわけ豊平、平岸、南郷地区は激しい争奪戦となった。このため、1964(S39)年に札幌陸運局(現・北海道運輸局)の調停により、現在のような営業エリアが確定した。当時2条線には市営バス[*註1]、サブロク(国道36号線)には定鉄バス[*註2]も走っており、3業者が三つ巴に入り乱れていたものだった。

 そんな活況を呈していた豊平界隈の黄金時代もはるか昔に遠ざかり、いまでは定鉄豊平駅のプラットホーム跡が残るじょうてつ本社[*註3]と、その向かいにひっそりと佇む市電豊平線の発着スペース跡に昔日の栄華がしのばれる....

★[*註1] 2条線の行啓通以北には市営バスが乗り入れ、東園小学校前、豊平製鋼前、豊平2条8丁目、豊平2条6丁目、豊平2条4丁目、豊平劇場の各停留所があった。
★[*註2] 定鉄は札幌駅から平岸街道などを経由し、(1)真駒内南町、(2)西岡水源地、(3)平岸霊苑、(4)木の花団地、(6)月寒公園下、(7)駒岡・滝野、(11)苗穂駅ゆきの路線があったが、赤字経営のためいずれもS47.5.1市営バスに譲渡。(カッコ内は系統番号)
★[*註3] 定鉄のプラットホームと駅舎は2005年秋に解体、跡地には分譲マンションが建っている。

懐かしの月寒2条線ダイヤ


知られざる観光路線

東87有明線(札幌ターミナル〜有明小学校〜鱒見の滝)
昭和26年6月15日開設
★★★★☆

《停車停留所》 △札幌ターミナル △北1条 △南1条 南4条(下りのみ) 南4条東1丁目 △豊平橋 豊平4丁目 △豊平3条8丁目 東電話局前 △美園3条4丁目 豊平郵便局前 中央通2丁目 △中央通4丁目 中央通7丁目 △中央通10丁目 寿楽園前 月寒学院前 羊ヶ丘住宅前 羊ヶ丘小学校 日糧パン前 △月寒ターミナル △上北野 △北野 △清田団地入口 △清田小学校 △真栄 △真栄中央 △南真栄 △真栄橋 △三角点入口 △共栄橋 △北有明 △有明小学校 南有明 下三滝橋 三滝の沢 演習場入口 鱒見の沢 鱒見の滝 (昭和49年8月現在) △は急行便停車

(コメント)
 札幌の奥地にある国営滝野すずらん丘陵公園にはアシリベツの滝[*註1]というわりと有名な滝があるが、それに比べ今ひとつ影の薄い鱒見の滝という滝が同じ園内にある。

 ところがS40年代まではわりと有名な観光名所(?)だったのか、S49年までは夏場(5〜10月)だけ札幌都心部から直行バスが出ていた。

 当時、有明(ありあけ)の「下三滝橋」より先はまだ砂利道で、クルマさえめったに走らない峠道だった。終点の「鱒見の滝」は御料線(通称・平岡通り)から滝口に向かって500mほど入った先にあったが、現在はすずらん公園内の遊歩道として整備され一般車両は乗り入れ禁止となっている。

 現在は福住発着に短縮され札幌市内線の一部と化しているが、当時は石狩線や千歳線に匹敵する"郊外線"の趣きがあり、札幌ターミナル構内の「4番のりば」から発車していた。[*註2]

 当時のターミナル構内には改札があり、キップを買わないと通れなかったのも、今はなつかしき思い出話である....

★[*註1] 昔この辺りはマスの"千石場所"、下流の鱒見(ますみ)という地名にその名残りをとどめている。
★[*註2] 1974年当時の札幌ターミナル乗り場は次の通りである。空知方面の長距離バスはトイレ横の1番ホームから出ていた。
 ①旭川、留萌、芦別、滝川方面
 ②当別、江別、大麻駅、世田ヶ谷、市界(東90・91)方面
 ③花畔(西151)、小樽、美国、岩内方面
 ④有明(東87)、羊ヶ丘(東84)、室蘭、登別温泉、苫小牧方面
 ⑤空沼(南101)、厚別の滝(南102・103)、夕張、栗山、広島方面
 ⑥支笏湖、千歳空港、千歳、四里塚、三里塚方面
 ⑦生振、十線、石狩、花畔方面
 ⑧下福移、ひまわり団地、茨戸、篠路(北21・22・40・41・45)方面
 ⑨定期観光バス

懐かしの有明線ダイヤ


さっぽろの奥座敷*厚別の滝

南103滝野線(札幌ターミナル〜西11丁目経由〜厚別の滝)
昭和34年12月24日免許〜平成10年12月1日廃止
★☆☆☆☆

《停車停留所》 札幌ターミナル 北1条 南1条 南4条 南6西4 南6西11 南11西11 西14西11 南21西11 南30西11 藻岩発電所 藻岩橋 北の沢入口 藻岩小学校 藻南橋通 石山陸橋 藻南学園前 藻南病院前 石山4区 常盤橋 開拓入口 常盤1区 常盤小学校 開拓第3団 器械場入口 滝野峠 厚別の滝 (昭和49年8月現在)

(コメント)
 札幌市内線では珍しく、いまだ対キロ制が採られている郊外の滝野、空沼二股(旧真駒内御料)へ向かう路線は豊平川堤防を走る真駒内経由だが、かつて石山通りを走る『西11丁目経由』が下り1本だけあった。

 この方面のバスはもともと西11丁目経由だったが、1962(S37)年ごろ真駒内経由が開設され、徐々にそちらにシフトしていった。というのも、11丁目線は市営・定鉄バスとルートの大半がダブっており、中央バス空沼線(旧石山線)が1948(S23)年に開設されてから、ダイヤ改正やルート変更のたびにモメていた激戦地。中央バスの割り込む余地もほとんどなかったのだろう....

 南6条通りも昔は南へ向かうバスの大動脈で「南6西4」バス停はススキノ0番地(昔はスゴかった…)のまん前にあった。現在は定鉄、道南バスとも南4条線にシフトし、戦前から市バスがあの細道を円山南町(南6西24付近)まで走っていたのも…ウソのようなホントの話である。

 札幌〜石山陸橋間が市営、定鉄の猛反対で『準急』扱いだったのも災いしたのだろうか、この路線を最後に中央バスは石山通りから完全撤退した。

 当時の終点は「厚別(あしりべつ)の滝」止まりだったが、昔はここから滝口へ下る100段超えのナガ〜い階段があり、観光客はここで下車して滝見物をしていた[*註1]。すずらん公園のオープンで階段は閉鎖されてしまったが、近くにひなびた商店が一軒あるのも、かつてここが"厚別の滝"へ向かう入口だった証しなのである[*註2]

★[*註1] 厚別(アシリベツ)の滝はかつて札幌市民のいこいの場だったが、現在はすずらん公園渓流口側からしか入れず、マイカーだと駐車料金をとられるうえ駐車場から1kmほど歩かねばならない。昔は滝のそばに釣り堀もあり、滝の裏側や河原でチビッコが遊んでいたものだが、現在の滝周辺は立入禁止となっている。
★[*註2] かつて商店付近から三角ロッヂやグラウンドのあった青少年自然の村(山奥にS49年オープンした宿泊施設兼ファミリーキャンプ場)まで約1.5kmの険しい山道が通じていたが、すずらん公園のオープンで施設は閉鎖され、現在は樹林に埋没している。跡地はすずらん公園の『森のすみか』付近と推定される。

懐かしの空沼線&滝野線ダイヤ


中央バス廃線倶楽部



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