北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

札幌市内篇 その6

★印:レア度

伏籠のドブ川路線

北41 茨戸線(札幌ターミナル〜横新道〜茨戸)
昭和29年2月4日免許〜平成7年12月1日廃止
★★★☆☆

《停車停留所》 札幌ターミナル 鉄道病院 北10東1(北10西1) 北15東1(北15西1) 北18東1(北18西2) 北21東1(北21西2) 北24東1(北24西2) 北26東1(北26西2) 陸運事務所前 北栄中学校前 北36東1 北39東1 北42東1 北46東1 北営業所 1番通 2番通 3番通 太平団地入口 4番通 横新道 篠路郵便局 横新道中央 中央南 篠路駅 篠路小学校前 竜雲寺 篠路東部 団地南通 団地入口 団地中央 ひまわり団地 第3伏籠橋 茨戸小学校前 茨戸 (昭和49年6月現在)

(コメント)
 いまの28系統、ひまわり団地線の原型路線である。
 当時は石狩街道から横新道(よこしんどう)と呼ばれる明治中期に開削されたセマい道に入り、ひまわり団地でUターン[*註1]、中央バス茨戸遊園地[*註2]に至っていた。ちなみに、途中の篠路駅周辺はかつて村役場や駅前旅館もあった篠路旧市街である。

 伏籠川沿いの龍雲寺〜茨戸間が唯一の廃止区間だが、かつて汚名高きドブ川と呼ばれたこの川は、水田灌漑用の豊平川支流。S56年の"56水害"など、たび重なる洪水でバスルートも頻繁に変更され、S40年代までは龍雲寺の青いカマボコ車庫ヨコの"旧道"をカーブしていた。

 当初はこの茨戸系統が「北41」で、ひまわり団地止は「北45」だったが、S53年までに「北41」に統一されている。このほか「篠路駅前団地〜篠路駅〜ひまわり団地」という謎の激レア系統も存在した。

 この路線はあいの里駅前に乗り入れた第1号路線であり、当時の駅前周辺は生協以外ほとんど何もなく、一面にだだっ広い原野と防風林が広がっていた。
 【あいの里、拓北地区バス路線の歴史】
 昭和23年11月 篠路線(札幌駅〜教願寺〜東渡船場)新設 ※東渡船場=拓北水再生プラザ付近
 昭和40年11月 茨戸線(札幌〜篠路〜茨戸)を全便ひまわり団地経由で運行
 昭和45年6月 篠路線他、ひまわり団地内までバス乗り入れ(免許)
 昭和49年12月 北22篠路線の山口中央(現・あいの里4条1間)〜下福移間廃止
 昭和59年12月 北41ひまわり団地線(旧茨戸線)のひまわり団地〜あいの里間延長
 昭和61年12月 北21・22篠路線のひまわり団地〜山口中央間廃止
 昭和62年4月 北41ひまわり団地線の拓北小学校〜あいの里間廃止
 昭和62年4月 あいの里・教育大線(地下鉄麻生駅〜教育大学前)新設 ※いまの麻24系統
 昭和63年12月? 市営バス札苗線の中福移〜あいの里教育大駅前間延長 ※東69北札苗線新設
 昭和63年12月 北23教育大線(地下鉄栄町駅〜教育大学前)新設 ※いまの栄23系統
 平成1年4月 北23教育大線、経路を学園通から拓北高校経由に変更
 平成1年4月 栄町・太美線(地下鉄栄町駅〜あいの里〜太美駅前)新設
 平成2年3月 「あいの里」⇒「あいの里教育大駅前」に名称変更
 平成2年7月 「教育大学前」から「あいの里4条3」まで終点延長(免許)
 平成2年7月 附属小中学校構内への乗り入れ(免許)
 平成4年12月 北36あいの里・篠路線(札幌タ〜あいの里4条3)新設
 平成4年12月 栄町・太美線(地下鉄栄町駅〜あいの里4条9)系統新設
 平成5年4月 「あいの里4条3」から「あいの里4条1」まで終点延長
 平成9年4月 栄20栄町・教育大線(地下鉄栄町駅〜あいの里4条9〜あいの里4条1)新設
 平成9年4月 栄町・太美線(地下鉄栄町駅〜あいの里4条9)系統廃止
 平成9年4月 39ひまわり団地線(札幌タ〜ひまわり団地)を「あいの里4条1」まで延長
 平成10年4月 栄町・太美線(地下鉄栄町駅〜太美駅前)廃止
 平成13年12月 栄21ひまわり団地線(栄町駅〜ひまわり団地)を「あいの里4条1」まで延長
 平成13年12月 39ひまわり団地線、竜雲寺〜篠路中学校間をひまわり通経由に(栄21も同じ)
 平成16年4月 東69北札苗線、市営バスから中央バスにバトンタッチ
 平成16年12月 麻27篠路線(麻生駅〜篠路小学校)を「あいの里4条1」まで延長(3年で中止)
 平成18年12月 栄21ひまわり団地線を『栄町篠路線』に改称し、終点を「篠路10条4」に変更
 平成22年12月 麻39ひまわり団地線(地下鉄麻生駅〜篠路通〜あいの里4条1)新設
 平成26年12月 39ひまわり団地線、系統番号を「28」に変更

★[*註1] 勤労者住宅生協の分譲地に1964(S39)年造成された篠路拓北地区のベッドタウン。1967(S42)年、団地内に札沼線の東篠路(現・拓北)駅が開業して一気に発展、児童公園やグラウンド、マーケット、郵便局、幼稚園、医院、集会所などを備え、当時でも900戸近い世帯があった。ひまわり団地バス停付近の交差点が当時広場のようになっており、バスがここでUターンして折り返していたと思われる。
★[*註2] S10年に中央バス前身会社の札幌軌道(札幌観江バス)が開設、S25年同社所有の土地1万9千平方㍍と道から借り受けた土地2万4千平方㍍を合わせ、工費約2千万円で造成した水郷遊園地。S36年5月から入園料10円を徴収し、石狩川をショートカットしてできた茨戸湖をはじめ、自慢の芝生や食堂、貸舟、モーターボート、遊覧船、ゴーカートなどの有料施設、湖には中島があり、北岸ではフナも釣れ、S45年当時は年間15万人前後(中央バス調べ)の利用があった。


札幌大橋を越えていた中央バス

栄町・太美線(地下鉄栄町駅前〜あいの里〜太美駅前)
平成元年4月10日開業〜平成10年4月1日廃止
★☆☆☆☆

《停車停留所》 栄町駅前 愛生館前 丘珠空港北 百合が原公園東口 篠路1条8丁目 上篠路 コミュニティセンター入口 ポンプ場前 拓北1条3丁目 拓北3条3丁目 拓北4条3丁目 ひまわり団地 拓北小学校 あいの里2条2丁目 あいの里2条3丁目 あいの里 あいの里1条6丁目 あいの里4条9丁目 札幌大橋 南3号 南2号 愛里苑前 太美入口 太美駅前 (平成元年4月現在)

(コメント)
 S63年地下鉄東豊線開通で誕生した北23系統(現・栄23)を完成まもない札幌大橋を越え、JR太美駅まで思い切って延長したような路線。

 途中の東20丁目通りは当時細い農道のような田舎道で、その後『つどーむ』完成で立派なバス道路に生まれ変わったが、途中に天満宮だか八幡宮のような趣深い建物があった。

 あいの里から先は読売新聞の巨大印刷工場(現ロイズ)以外とくにナニもなく、札幌大橋を越えてすぐ左に急カーブ、愛里苑[*註1]太美温泉[*註2]のある南2号線を走っていた。

 当時は太美駅前も農協や住宅街があるだけのサビしいところで、ルート変更や終点延長など何度か“テコ入れ”も行われようたが、10年ほどで廃止....
 S10〜20年代には中央バスの太美営業所があり、石狩(八幡町)や厚田、青山地区と連絡。またS33年頃より国鉄バスが月形から当別川沿いに石狩川鉄橋付近まで乗り入れていた。[*註3]

 現在は廃止区間を当別ふれあいバス「ふれバ」が一部ルートを変え、細々と運行している。

★[*註1] ビトエの田園地帯にH1年10月オープンした道内2番目となる老人保健施設(介護付き老人ホーム)。H18年経営していた心友会(札幌)の不正受給問題で事業取り消しとなり、翌年から秀友会が継承している。
★[*註2] 太美駅そばにあった個人経営の温泉旅館。S32年偶然温泉が発見され(湧出は明治時代から知られていた)、S38年から地元の有志が細々と営業していたが経営不振に陥り、平成3年4月に協立不動産(本社・札幌)がこれを買収して5階建ての「ふとみ銘泉」として大々的にオープン。アミューズメントホール、レストルーム、ファーストフードコーナー、ウェルネスコーナー、カラオケボックス、宿泊施設などレジャー施設を備えた高級スパ温泉のハシリ。隣接して11階建てメディカルマンション(入居不振で上記の心友会にH8年売却)も建設され、停名も「太美入口」から「太美銘泉前」に改称された。その後、H4年から日本興業銀行系のジャパン興業(本社・東京)という不動産会社が取得したが採算が合わず、H14年に日本ジャンボーの子会社、万葉倶楽部(本社・神奈川)に売却され「ふとみ銘泉 万葉の湯」の名で営業中。かつて送迎バスが頻繁に札幌市内一円を走っていたものだった。
★[*註3] 当別川の流路に沿って、石狩当別(当別駅)〜西小川口〜三角点〜南一号通〜南三号通〜川下学校通〜十九線〜太美駅通〜石狩川大橋の停留所が存在し、免許上の終点は石狩郡当別町字美登江南5号14線番外地である。


ナゾのトセンバ線

太美・西渡船場線(太美駅前〜西渡船場)
昭和23年12月4日免許〜昭和43年3月22日廃止
★★★★★

《停車停留所》太美駅前 西渡船場 (昭和43年頃)

(コメント)
 上記の「栄町・太美線」の原型路線だと思うが、運行記録は残っていても実際に運行していたのか謎の多い路線。厚田線(当別〜太美〜厚田)の末端路線だったとの噂もある...

 当初は終点の西渡船場で石狩川対岸を走っていた篠路線(札幌駅前〜東渡船場)と渡し舟で接続し、札幌との連絡をはかっていたもよう。

 ルートは太美駅から太美歯科先にあった旧踏切をわたり、17線、南3号線を西進、石狩川突き当りにあった旧専教寺(馬頭観音、太美小学校碑の辺り)から河川敷に入り、13線道路を札沼線の石狩川鉄橋付近まで南下していたもよう。

 ただし、終点の西渡船場や河川敷ルートの大半は石狩川に完全に水没している....


美園界隈の裏街道

南美園線(五番舘前〜南美園〜月寒営業所)
昭和32年頃開業〜昭和48年12月1日廃止
★★★★★

《停車停留所》 五番舘前 北1条 南1条 南4条(下りのみ) 南4条東1丁目 豊平橋 豊平4丁目 豊平駅前 豊平神社前 八条中学校 美園1区 豊栄橋 南美園 美園7条8丁目 月寒公園前 中央通4丁目 月寒庁舎前 月寒営業所 (昭和44年4月現在)

(コメント)
 かなりマニアックだが....月寒中央通3丁目の信号交差点、一久大福堂(旧千代田生命ビル)ヨコの狭隘な路地、ココを走っていた路線である。

 この路地のつきあたり付近に月寒公園前のバス停があり、そこを右折して豊園通りのゴミゴミした商店街を抜けていた。

 現在は急坂カーブの一部が一方通行になっているが、この難所を避けるため、S47年から中央通4丁目〜美園7条8丁目間を開通したばかりの“白石・中の島通り”の新道に切り替えたものの、翌年「平岸線」(平50の原型)の新設で、南平岸線に統廃合された。

 現在は地下鉄東豊線の走る豊園通り(旧・射撃場通り)もかつては飲食店やスーパー、市民生協などが両側にひしめき合い、中央と定鉄バス(のち市営バス)の2社が競合していたが、地下鉄延長後の再開発ですっかり殺風景になり、沿道を走っていたバスも地下鉄工事のゴタゴタでH6年に廃止されてしまった....

 ちなみに、途中にある八条中学校は昔から幽霊が出るコトで有名な学校。近くにそびえ立つ「きたえーる」はかつて豊平墓地[*註]だった場所である....

★[*註] 島崎藤村の恋人、鹿討輔子(勝子のモデル)の墓があったコトで知られる。


中央バス廃線倶楽部



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