北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT
中央バス廃線倶楽部 |
廃止された中央バス路線の思い出日記
忘れられた旧街道月寒線(五番舘前〜平岸経由〜月寒営業所) (コメント) 当時は現ルートより一本北側、美園小前のセマ〜イ旧道を走っていた。沿線には平岸第一市場、大丸スーパー(のちのフレッティ大丸)などが軒を連ね、クルマや人通りも多かったのだが、S38年に白石・中の島通のバイパスが完成したいまとなっては寂れた裏通りといった感じ。かつて目抜き通りだけあって信号も完備され、セマいながらも旧街道らしき面影がいたる所に感じられる。 美園小学校〜美園3の4間にはかつて道路東側に排水溝のような一本川[*註2]があり、豊園通り(旧射撃場通り)との交差点付近に「豊栄橋」という停留所があった。 昔はコンクリート舗装だった36号線とドッキングする「美園3条4丁目」はかつて「美園中央」と呼ばれ、バス停前にあのショッピングセンターやまわがあり、当時は美園の中心街といった華やかな雰囲気を醸し出していた。 美園産婦人科向いにはバス停名にもある美園中央市場、2本国道ヨリの小路には近年まで美園市場、またホクレンマーケットという小型スーパーも美園中央公園の向いにあったが、いずれも廃業している.... ★[*註1] この路線と競合していた定鉄バス中の島線は、札幌駅前〜北一条〜丸井前〜保全病院〜中央寺〜南8条〜中島公園〜幌平橋〜中の島中央〜幌南病院〜東平岸〜平岸四区〜平岸中央〜平岸霊苑(S32.4)の停留所だったもよう。 |
霊苑ゆきの赤字バス平岸霊園線(中央通10丁目〜霊園管理事務所) (コメント) ちなみにそれ以前、豊平町時代の中心は4丁目界隈だったようで、現在の柳月付近に北洋相互銀行や月寒デパート[*註2]なる商圏が集積し、大繁栄を極めた時代がある。 終点の平岸霊苑一帯はかつて平岸高台と呼ばれ、昔は市営墓地と鐘が鳴る鳴る"極楽寺"しかない人里離れたまことにサビしいところ。現在のHTB筋向かいにある平岸プールは「火葬場跡」である…。昭和57年『西部警察』のロケで大フィーバーになったのも記憶に新しい。 かつて近くに定山渓鉄道の鉄路があり、お盆には札幌から臨時バスも乗り入れた生粋の定鉄エリア。このため白石藻岩通りへの乗り入れは困難を極め、この路線の認可までかなり年月を要していた憶えがある。 しかし、もともとエリア拡大のために開設した路線であり、終点が"霊苑内"では縁起も悪かったのだろう、即廃止になってしまった。 ★[*註1] 中央通10丁目には1969年まで中央バスターミナル(月寒営業所)があり、1970年代に入って西友ストアーや市民生協(現コープ)、ミスドなどが次々とオープン。多くの利用客をさばくため停留所は上り、下りとも乗車と降車場が分かれていた。このほか、豊平駅前(現・豊平3条8丁目)の南側、中央通4丁目バス停のアサヒ薬局の筋向かいにも降車専用バス停があった。 |
太古の水源池通り西岡線(月寒営業所〜水源地入口) (コメント) 西岡エリアは東急傘下となった定鉄(じょうてつ)がS33年から札幌駅〜澄川駅〜油沢〜西岡水源池に至るバス路線をスタート。また定鉄電車、バスの振興策としてS30年代から周辺の宅地開発も手がけており、段階的な路線延長にも苦労のアトが伺える。[*註1] その定鉄路線も採算が合わずS47.5市営バスに移譲、H6.10から中央バスにバトンタッチされている。当時は中央バスの車庫や営業所[*註2]もまだなく、西岡4条14丁目一角のマンション付近にバス転回場があるだけだった。 現在の西岡は戸建住宅が立ち並ぶマンモスベッドタウンだが、水源池通沿線は古くから農地として開拓されたエリア。微妙にぐねったバス道路にも開拓時代のナゴリが偲ばれる。停名の燻蒸庫(くんじょうこ)や苗圃前はかつてのリンゴ園時代の名残りだろうか、ノドカだった"いにしえ"の暮らしぶりがうかがえる。 S51年ごろまで札大正門〜西岡3条8丁目間にホップ園[*註3]というバス停もあったが、サッポロビール直営のホップ畑が広がっていたのも今は昔....周辺の宅地開発の波にのまれ"アワ"と消えている。 ★[*註1] 定鉄バスはS43.5.1平岸本線(札幌駅〜西岡団地)を更に水源地入口〜見晴台〜西岡水源地まで延伸、同時に札幌駅〜澄川駅前〜錦台(現・澄川6-10)〜朝日台(同6-11)〜油沢(現・西岡4-14)系統を10往復に倍増するなどエリア拡大をはかっている。 |
ひらおか第1号路線平岡線(月寒営業所〜旧町界) (コメント) 停名の寿楽園(現・中央通11丁目)は昭和41年にオープン、のちに札幌で映画館などを経営していた天野興業直営となったヘルスセンター。大浴場やレストラン、500人収容の大演芸場などを備えたいまでいう健康ランドのハシリ。赤い三角屋根の外観もモダンで、S58年ごろまでいまのヤマダデンキのヨコにあった。 甜菜研究所[*註1]はいまの札幌ドームの場所にあった農水省がらみ(日本てん菜振興会)の施設で、小高い丘に朱色の古びた建物と職員団地がこじ〜んまりと建っていた。 月寒学院(現・八紘学園)も古くからある農業系の専門学校。かつて雇用促進住宅の裏手に旧校舎があったので停名に使われたのだろう。福住駅2番出口から続く散策路には、学園サイロやポプラ並木、季節には観光客でにぎわう花菖蒲園などツキサップの原風景がいまも広がっている。 このバスは上北野(現・北野1条1丁目、S44年頃新設)から旧国道に入り、S47年ごろまでは清田小前[*註2]の四ッ辻を左折し、志らいわ食堂前の急坂(現在は一方通行路)を北上していた。有明方面のバスもその四ッ辻から、あしりべつ病院裏手のセマ〜い旧道(本来こっちがオモテなのだが....)に入っており、有明まで追い越し禁止のグネった一車線道路が続いていた。 終点の旧町界(現・北野7条5丁目)はここが旧豊平町界だったことに由来するのだろう。当初は12号線の「釣橋」まで運行する計画だったようだが、清田進出を目論む市営バスと競願になり、釣橋〜大谷地高台(現・大谷地駅前公園付近)〜旧町界間は市営バスに認可され、S40年代まで平岡通りのローソン付近(大谷地西5)に市バス停留所があった。 最近はニュータウンとして発展著しい平岡エリア。もし市バスの清田進出が認められていれば、平岡・大谷地一帯は市営バスの独占エリアと化していたかも.... ★[*註1]てん菜(ビート)とは砂糖の原料。砂糖大根ともいわれ、北海道だけで作られている。 |