北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

札幌市内篇 その4

★印:レア度

忘れられた旧街道

月寒線(五番館前〜平岸経由〜月寒営業所)
昭和32年頃開設〜平成6年10月14日廃止
★★★★☆

《停車停留所》 五番館前 北1条 南1条 南4条 園生橋 中島公園入口 スポーツセンター前 幌平橋 中の島本通 幌南病院 平岸農協前 平岸四区 美園小学校前 豊栄橋 中央市場 美園3条4丁目 豊平郵便局前 中央通2丁目 中央通4丁目 月寒庁舎前 月寒営業所 (昭和41年頃)

(コメント)
 かつてはリンゴで有名だった平岸界隈を走る中央バスの原型路線である。
 かなり古いので幌南病院〜美園3条4丁目間の停留所がやや不明瞭なのだが‥‥ま、こんな感じだったろうと思う。

 当時は現バスルートより一本北側の、美園小前のセマ〜イ旧道を走っていた。沿線には大丸スーパーや平岸第一市場など商店街が軒を連ね、クルマや人通りもわりと多かったのだが、S38年に白石・中の島通りのバイパスが完成したいまとなっては、寂れたウラ通りといった感じ…。かつての目抜き通りだけあって、セマいながらも旧街道らしき面影がいたる所に感じられる。

 美園小学校〜美園3の4間にはその昔、道路東側に排水溝のような一本川が流れており[*註]、豊園通りとの交差点に「豊栄橋」という停留所もあった。「美園中央市場」はいまの美園産婦人科付近にあり、2本国道寄りの小路に美園市場という老舗市場も最近まであったが、いずれも廃業している。

 36号線とドッキングする美園3条4丁目はかつて「美園中央」という名称で、周辺には飲食店や金融機関、ショッピングセンターやまわなどが集積しており、美園の繁華街といった華やかな雰囲気を醸し出していた。

 ★[*註] 川はそのまま道なりに日章中学やもつき公園の前を通って白石の澁澤倉庫付近でモツキサップ川と合流していたが、現在は暗渠化されているもよう。



霊苑ゆきの赤字バス

平岸霊園線(中央通10丁目〜霊園管理事務所)
昭和44年7月3日免許〜昭和45年10月11日廃止
★★★★★

《停車停留所》 中央通10丁目 月寒西2条12丁目 西岡市営住宅 下西岡 南平岸 平岸高台 管理事務所入口 管理事務所 (昭和45年頃)

(コメント)
 おそろしく短命に終わったため、札幌市内線ながらほとんど知られていない路線。かつての月寒中心街、中央通10丁目[*註]から白石藻岩通りを平岸霊園構内まで走っていた。

 しかし、豊平町時代の中心は4丁目界隈だったようで、現在の柳月付近に北洋相互銀行や月寒デパートなる商圏が集積し、大繁栄を極めた時代がある。
 S30年まで中央バスの営業所もこの一角にあり、バス停名は「月寒営業所」→「月寒中央」→「中央通4丁目」→「月寒中央通4丁目」という目覚しい変遷をたどっている。

 終点の平岸霊苑一帯はかつて平岸高台と呼ばれ、鐘が鳴る鳴る“極楽寺”と市営墓地しかない昔は淋しいところだった。ちなみに、現在のHTBテレビセンター筋向いにある平岸プールは火葬場跡である.....

 近くにはかつて定山渓鉄道の鉄路もあり、お盆には札幌から臨時バスも乗り入れた生粋の定鉄エリア。このため白石藻岩通りへの乗り入れは困難を極め、この路線の認可までカナリ年月を要していた憶えがある。

 しかし、もともとエリア拡大のために開設した路線であり、終点が“霊苑内”では縁起も悪かったのだろう。即廃止になってしまった......

 ★[*註] 中央通10丁目には1969年まで中央バスターミナル(月寒営業所)があり、1970年代に入って西友や生協(現コープ)、ミスドなどが次々とオープン。利用客をさばくため停留所は上り、下りとも乗車と降車場が分かれていた。また中央通4丁目にもかつて、アサヒ薬局の筋向いに降車専用のバス停があった。

月寒中央バス停とボンネットバス(1959年)



ひらおか第1号路線

平岡線(月寒営業所〜旧町界)
昭和39年8月15日申請〜昭和57年3月21日廃止
★★☆☆☆

《停車停留所》 月寒営業所 寿楽園前 月寒学院前 羊ヶ丘住宅前 てん菜研究所前 南ターミナル 北野 清田 平岡 大谷地分岐 旧町界 (昭和43年頃)

(コメント)
 停名がスッカリ入れ替わっているが、いまの中央通10丁目〜旧国道36号〜北野7条5丁目間を走っていた初代83系統である。初めて平岡地区に乗り入れた路線で、当時はまだ中央バスの平岡営業所もなかった頃である。

 寿楽園(現・月寒中央通11)はS40年代全盛を誇ったヘルスセンター。温浴施設やレストランを兼ね備えたいまでいう健康ランドのハシリ。S58年頃までラーメン玄咲付近にあった。甜菜研究所[*1]は札幌ドームの場所にあった農水省の関連施設で、古びた建物と職員団地がこじ〜んまりと建っていた。
 月寒学院(現・八紘学園)は古くからある農業系の学校だが、かつては雇用促進住宅の裏手に校舎があったため停名に使われたのだろう―。
 福住駅2番出口から続く散策路には、学園のサイロやポプラ並木、季節には観光客でにぎわう花菖蒲園などツキサップの原風景がいまも広がっている。

 北野1条1〜清田小学校間[*2]はいまの旧国道の方を走っており、新道が完成するS47年頃までは小学校付近の四ッ辻を左折し、志らいわ食堂前の坂道(現在は一方通行路)を北上していた。有明行きのバスもその四ッ辻から、あしりべつ病院裏手のセマ〜い旧道に入り(本来こっちがオモテなのだが)、真栄方面に向かっていた。

 終点の旧町界(現北野7条5)は、かつてここが“旧豊平町界”だったことに由来するのだろうか。当初は路線をさらに釣橋(国道12号線)まで運行するプランもあったようだが、清田進出を目論む市営バスと競合出願となり、旧町界〜釣橋間は市営バスに認可が下り、S40年代まで現ローソン付近(大谷地西5)に市バスの停留所があった。

 最近はニュータウンとして発展著しい平岡地区。もし市営バスの清田進出が認められていたなら、平岡・大谷地一帯は市営バスの独占エリアと化していたかも......

 ★[*1]てん菜(ビート)とは砂糖の原料。北海道だけで作られている 。
 ★[*2] 清田小学校バス停はS20年代まで「厚別(あしりべつ)」と称しており、あたりは農協支所やスーパー、郵便局などが集積する清田の中心街であった。小学校もS47年4月まで厚別小学校と呼ばれていた。



太古の水源池通り

西岡線(月寒営業所〜水源地入口)
昭和24年11月5日免許〜
★☆☆☆☆

《停車停留所》 月寒営業所 支所前 忠霊塔前 市営住宅前 燻蒸庫 第二浄水場前 苗圃前 ホップ園前 西岡小学校前 水源地入口 (昭和40年頃)

(コメント)
 この路線もほとんど停名が様変わりしているが、開設当初は「水源地入口」(現西岡3条10)止まり。S43年までに上西山(同3条11)、S47年に西岡(同4条14)まで延長され現在の形となった。現在の「月82」系統である。

 西岡地区は東急傘下となった定鉄(じょうてつ)が定鉄電車やバスの振興策として宅地開発を手がける傍ら、S33年から札幌駅〜澄川駅〜油沢、西岡水源池に至るバスも運行しており、段階的な路線延長にも苦労のアトが見てとれる。[*1]

 その定鉄バス路線も採算がとれず、S47年路線を市営バスに移管、H6年に中央バスにバトンタッチされている。

 当時は中央バスの西岡営業所や車庫[*2]もまだなく、西岡4条14丁目一角のマンション付近にバス転回場があった。

 現在の西岡は丘陵部に住宅が建ち並ぶ一大ベッドタウンと化しているが、水源池通り沿線は古くから農地として開拓されたエリア。微妙にグネったバス道路にも農道時代のナゴリが偲ばれる。停名の燻蒸庫(くんじょうこ)や苗圃前はリンゴ園時代の名残りだろうか…。ノドカだった頃のいにしえの暮らしぶりがうかがえる。

 札大正門〜西岡3の8間にはS51年頃までホップ園[*3]という停留所もあったが、かつてサッポロビールのホップ畑が広がっていたのも今は昔、、、周辺の宅地開発の波にのまれ、もはや“アワ”と消えている。

 ★[*1] 定鉄バスはS43年5月、平岸本線(札幌駅〜西岡団地)をさらに水源地入口〜見晴台〜西岡水源地まで延伸、同時に札幌駅〜澄川駅前〜錦台(現澄川6条10)〜朝日台(同6条11)〜油沢(現西岡4条14)系統を10往復に倍増するなどエリア拡大をはかっている。
 ★[*2] 西岡車庫はS59年ごろ旧西岡バスターミナル跡地に新築、H10年12月の営業所昇格と同時に裏手の高台(現在地)に引っ越した。
 ★[*3] 月寒ホップ園跡は現在、望陽台団地の住宅街や西岡北中の敷地に変貌している。



エリア外だった真駒内地区

南104 真駒内線(月寒ターミナル〜福住中央・西岡中央〜真駒内駅前)
昭和49年6月15日申請〜
★☆☆☆☆

《停車停留所》 月寒ターミナル 日糧パン前 羊ヶ丘小学校 羊ヶ丘住宅前 月寒学院 福住入口 福住中央 福住会館 福住橋通り あかしや団地 見晴台団地 西岡小学校通り 西岡中央 西岡団地 水源地入口 上西山 錦ヶ丘 上町5丁目 五輪団地 真駒内駅前 (昭和51年7月現在)

(コメント)
 S30年代から札幌の巨大ベッドタウンとして栄えた真駒内団地地区。
 S47年の札幌オリンピックの選手村建設で一躍脚光を浴び、同年ケンタッキー道内1号店もオープンしているが、いまでは人影もサビしい超高齢化住宅街と化している。

 同団地は市営と定鉄バスの縄張りにあたるため、中央バスは当初、団地内には乗り入れていなかったが、S46年の地下鉄開業後しばらくして、突如この路線が朝・昼・晩の3往復だけ、西岡から開通まもない五輪橋通りを通って真駒内駅に乗り入れた。現在も「真104」として朝と夕方に細々と運行しているが、この路線を足がかりに中央バスのスキーバスや札幌方面のバスがその後、次々と駅前に現れるようになった。

 駅周辺は当時とさほど雰囲気が変わっておらず、名物の時計塔も当時のまま...いい味出している。発着場所もイマと変わらず駅前のロータリーだったが、降車と乗車が同じ場所で、乗り場探しに奔走しているうち1日3本しかないバスを乗り過ごしたのも、今はイイ思い出話である.....

 ちなみに、この路線の最大の目玉は、福住寺前の国道交差点から福住中央線に左折する際の鋭角カーブ。当時はまだ中央線も1車線の細道で、かなり見ものであったが、当時の運転手さんはハンドルを大きくきり、難なくクリアしていた。福住バスタ開業のため2車線に拡幅されてから、この交差点を左折するバスも一気に増えたが、当時はこの路線だけであった。


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