北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

札幌市内篇 その2

★印:レア度

札幌北の最果て路線

北22 篠路線(札幌ターミナル〜教願寺〜下福移)
昭和23年11月22日開業〜昭和61年12月1日廃止
★★★★☆

《停車停留所》 札幌ターミナル 北1条 札幌駅前 札幌駅北口 北10東1(北10西1) 北15東1(北15西1) 北18東1(北18西2) 北21東1(北21西2) 北24東1(北24西2) 北26東1(北26西2) 陸運事務所前 北栄中学校前 北36東1 北39東1 北42東1 北42東3 北42東8 栄小学校 北42東13 北42東16 道営住宅前 技術研究所前 丘珠自衛隊前 飛行場入口 丘珠2区 高恩寺 丘珠神社 丘珠中央 丘珠小学校前 中沼通 三井寮 教願寺 十軒神社 北光団地入口 上篠路 中央南 篠路駅前 篠路小学校前 竜雲寺 篠路東部 団地南通 団地入口 興産社中央 ペケレット湖園 山口中央 中山口 鴻城小学校通 釜谷臼橋 下福移 (昭和49年6月現在) ※カッコ内は復路

(コメント)
 札幌市の北の果てにある「あいの里」、いまでこそ教育大学や集合住宅の広がる一大ニュータウンだが、当時はまだ牧場や畑が広がるのどかな村落で、バスも1日2〜3往復しかないローカル地帯だった。

 それが一変したのはS57年から始まったニュータウン開発である。いまでは当時の面影はほとんど姿を消してしまったが、旧バス通りの興産社中央(現・拓北8条1丁目)〜山口中央(現・あいの里4条1)間には、まだその頃の雰囲気が若干残っている。

 終点の下福移は石狩川のほとりあった小さな集落で、石狩川を渡る「JR札沼線」の鉄橋の下、いまの河川敷辺りにあった。当時は農家が何軒かあったようだが、いまでは地名さえ忘れ去られた無人の地と化している....

 水再生プラザ(下水処理場)付近にあった「釜谷臼橋」はかつて東渡船場の名称で、札幌大橋の近くにS30年代まで渡し舟があったという。対岸の太美側には「西渡船場」もあったようで、1968(S43)年まで中央バスの「太美・西渡船場線」が乗り入れていたもよう。

 1974(S49)年の冬ダイヤで山口中央〜下福移間を廃止、以後「山口中央」止まりとなったが、ニュータウン造成による路線改編で1986(S61)年に全面廃止となった。またこの系統だけ 札幌駅北口 を経由しており、北口広場と五番舘前(現・みずほ銀行向かい)にこの路線用のバス停がS58年まであった。

 この路線は札幌市内線ながらわりと長距離だったせいか、札幌ターミナルの8番ホームから発車しており、茨戸線、ひまわり団地線、羊ヶ丘線、有明線などの郊外&観光型路線も当時はターミナル構内から発車していた。

懐かしの篠路線ダイヤ


失われたバス停名

花畔団地線(北24条駅〜3号線経由〜花畔団地)
昭和51年2月1日開設
★★☆☆☆

《停車停留所》 北24条駅 北27条西5丁目 北29条西5丁目 北32条西5丁目 北35条西5丁目 北38条西5丁目 麻生町5丁目 新琴似駅通 新琴似郵便局前 新琴似8条6丁目 新琴似8条9丁目 新琴似8条11丁目 新琴似8条14丁目 新琴似8条15丁目 新琴似8条16丁目 4番第6横線 4番第7横線 4番第8横線 新札幌団地入口 新札幌温泉 6線3号 スカンジナビア館 7線3号 8線3号 紅葉山通 紅葉山公園通 あかしや通 若葉通 北陽通 花畔団地 (昭和52年5月現在)

(コメント)
 読みは花畔(ばんなぐろ)団地線。厳密に言うと廃止路線ではないが、いまの石狩市花川付近の停名がソックリ変わっているので載せてみました。しかも、これらはS52年10月「条丁目」に改称されたため、ごく短期間しか使用されなかったマボロシの停留所。いまの味気ない停名とちがって当時はバラエティーに富んでいた。

 紅葉山(もみじやま)という地名は古くからあったようで、いまでも小学校や公園の名称として残っている。なんでもかつてはこの辺りが海岸ラインで、紅葉山砂丘というのが付近一帯にあったらしい。

 スカンジナビア館は超有名な1970年大阪万博のパビリオンのひとつ。万博終了後に石狩町に寄贈されたものらしく、現在の藤女子大あたりにあった。

 「あかしや通り」(正式名:あかしあ通り)は花川北エリアを網の目のように結んでいる遊歩道だが、ほかに「しらかば通り」「はまなす通り」もあり、地域住民のいこいの散策路となっている。

 また4番第8横線は地名ではなく、新琴似4番通りと新琴似第8横線の交差地点というイミ。かつて周辺にあった屯田兵村のナゴリらしく、江別や深川市にも「×番通」というバス停がやたらある。

 当時は宅地造成まだ浅い頃で、住宅の増加に合わせてバス路線も拡張されていった。新札幌団地[*註]はのちに厚別に新札幌駅ができ、紛らわしいので花川南団地に改称された。

 この系統はいまの「花川5丁目経由」にあたり、現在の「花川3丁目経由」にあたる「北24条駅〜新札幌団地経由〜花畔」というのもあった。またこの系統には当初「北13」という系統番号がついていたが半年あまりで消えている。地下鉄もまだ「北24条駅」が終点時代の話である。

★[*註] 不動産会社の道内最大手、内外緑地(S49年ユー&アイ・マツザカに社名変更)が札幌郊外の向陽団地(里塚)、清雅苑団地(清田)、水銀灯プロムナードやロータリーのあった南ヶ丘団地(大曲)、新琴似団地、太平団地などに続き、S40年造成した戸建て住宅団地。団地内で湧き出ていた温泉(熱帯魚大浴場のあった内外レジャーランド)やボウリング場も経営していたが、多角経営がアダとなり80億円にのぼる大型負債を抱えてS51年倒産した。

懐かしの花畔団地線ダイヤ


屯田兵村のオクラ入り路線

北33 屯田線(北営業所〜3番通経由〜屯田ターミナル)
昭和38年8月15日免許〜昭和63年12月1日廃止
★★☆☆☆

《停車停留所》 北営業所 1番通 2番通 3番通 3番通中央 屯田小学校 北陵高校 3番第3横線 屯田ターミナル (昭和51年6月現在)

(コメント)
 札幌北部を走る屯田線にそのむかし『北33』というややマイナーな系統があり、石狩街道の篠路並木を曲がり、まだ人家もまばらな屯田三番通り(旧屯田町三番通り)をひた走っていた。

 しかも始発は北営業所。よっぽど利用がなかったのだろうか....

 終点の屯田ターミナル[*註]は今の屯田7条12丁目バス停付近だが、当時はだだっぴろい原野に転回場がポツンとあるだけの粗野なバスターミナルだった。

 はるか遠くには70年代に全盛を誇ったカラフルな三角屋根の「屯田団地」や「屯田あかしや団地」(あかしやタウン)の大ベッドタウンが望めはしたが、まだ周辺は田んぼ&ジャガイモ畑が広がっていたのだ。

 屯田はその名の通り屯田兵が開拓したマチ。当初の終点「屯田小学校」の四ッ辻あたりに屯田兵村の中隊本部もあったようだが、昔から周辺にそこはかとない賑わいが感じられたのも、そのナゴリだったのかもしれない....

 のちの宅地開発でバス路線も倍増し、かつての穀倉地帯はマンモスニュータウン&大型ショッピングセンターに様変わりしている。

★[*註] S51年5月開設された中央バスの簡易ターミナル。翌年12月現在地に移転。H7年12月に停名が「屯田6条12丁目」に変更された。近年は乗務員向けの立派な詰所も建てられている。


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