北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

札幌近郊篇 その5

★印:レア度

消えたアイヌ部落

札幌・江別線(札幌ターミナル〜市界〜江別ターミナル)
昭和22年11月25日開設〜現在
★☆☆☆☆

《停車停留所》 札幌ターミナル 北1条東7丁目 北1条東10丁目 東橋通 北1条東17丁目 瑞穂神社 宝酒造通 雁来町西 美住通 雁来町中央 雁来町東 雁来 処理場前 米里 市界 西角山 農場前 中央角山 角山橋 世田ヶ谷 東角山 新石狩大橋 対雁北 対雁中央 工業団地 江別霊苑入口 石狩大橋 中央通 江別ターミナル (昭和46年11月現在)

(コメント)
 札幌ターミナルのはしっこ(1番ホーム)からいまも発車する90系統として現役だが、この路線がたどる雁来街道(国道275号線)はかつて滝川、留萌、旭川ゆきなどの特急便も走っていたメインルート。これまでに経路が頻繁に切り替わっている。

 なかでも苗穂の旧雁来踏切、イオン札幌苗穂〜雁来大橋間、市界(イチカイ)付近の切り替えが有名だが、もうひとつ対雁部落の切り替えが忘れられない。

 対雁(ツイシカリ)というのは上記停留所にもあるように、新石狩大橋〜石狩大橋間の石狩川堤防敷地にあった旧市街地である。江別発祥の地といわれ、1844(弘化元)年に番屋が置かれてから、1876(明治9)年に800人余りの樺太アイヌがここに移住、1世紀以上昔は大変な賑わいをみせたという。

 部落内には駅逓所[*1]や学校、対雁神社、対雁・江別両村合同の戸長役場も置かれたが、コレラの大流行や役場の移転で付近一帯は完全にさびれ、また石狩川の築堤工事による道路切り替えで付近一帯が河川敷地になることから、旧豊平川の対雁橋そばにあった史跡“駅逓の松”[*2]も1974(昭和49)年に切り倒されてしまい、いまでは往時を偲ぶものは何も残っていない......

 バスルートも1973(昭和48)年、堤防を走る対雁新道(現・国道337号)に切り替わったあと、1983(昭和58)年12月に現在の対雁工業団地経由に改められ、旧市街地を走り抜けるバスは完全に消え去った…。[*3]

 しいていうなら、新石狩大橋付近にある国道337号の微妙なS字カーブと、石狩大橋付近から河川敷に下る旧道が旧市街地への痕跡ともいえるだろう。

 ★[*1] 鉄道や郵便局が不備だった北海道の明治・大正時代、旅行者の宿泊と馬や郵便物の継ぎ立てをした施設
 ★[*2] 明治12年3月11日の駅逓開設時に玄関先に植えられた二本の松。通称“対雁街道”の道路わきにあり、旧対雁市街地のなごりを唯一とどめていた史跡
 ★[*3] これ以前の札江線や札幌栗山線、新篠津線は、対雁市営住宅前(江別霊苑入口)〜元江別(石狩大橋・永上商店前)〜王子入口〜粟木商店前〜江別駅前(S34.2)というルートで、いまの王子製紙工場内を走っていた



江別の消えた繁華街

江別市内線(東官舎前〜江別駅前〜江別高校)
昭和35年3月15日開設〜平成13年12月1日廃止
★★☆☆☆

《停車停留所》 東官舎前 西官舎前 北海資材前 開発局前 農協前 2条4丁目 江別駅前 市役所通り 公園館前 西郵便局前 保健所入口 保健所前 市立病院前 北日本社宅前 物品販売所前 2番町通 市営住宅前 江別高校前 (昭和38年5月現在)

(コメント)
 江別は製紙工場や北電火発、レンガなどの窯業で栄えた工業都市だが、おトナリ札幌の膨張でS30〜40年代から札幌市のベッドタウンとして急成長した。

 昔は江別駅一帯が市民の台所で、駅から一直線に延びる公園通りには商店街やスーパー、銀行、映画館、バスターミナルなどがひしめき、「江別を走るバスはすべて江別駅に通ずる」といわれるほどの大繁華街だった。

 ところが野幌地区への相次ぐ大型店進出ラッシュで、現在はすっかりシャッター街と化し、最近増えつつある“郊外発展型都市”の先がけのようなマチである。

 始発の東官舎前はいまの東光町(江別太市街)にあたり、当時は近くに開発局の治水官舎や機械工作所江別工場もあったようだが、現在は風光明媚な泉の沼(川跡湖)をのぞむ閑静な住宅街にサマ変わりしている。

 当時のバスは東光橋手前を右折、大川通りの踏切を北上して停車場通りに抜けていたが、S54年にアンダーパスをくぐる現在のルートに切り替えられ、千歳川に架かっていた江別橋[*1]も撤去されたため、廃線跡を辿るのはかなり難しそう―。

 途中の公園館[*2]は大正時代からあった江別の老舗映画館。S32年まで公園通りに面して建っていたが、閉館後もしばらくバス停名だけ残っていたらしい。近くには「千歳座」(5条5)という明治30年代にできた映画館もあり、付近一帯は大変な賑わいを見せていたという。

 2番町通[*3]はS48年まであったバス停。かつて元江別公園(S51年開園)一帯には北日本製紙(現在の王子製紙)の大社宅群があり、いまも元町商店街界隈にその賑わいをとどめている...

 この路線は2番通りに乗り入れた中央バスの江別市内線になるが、その前年のS34年には国鉄バスがイチ早く江別市内線に参入しており、この路線開設の背景にもそんな影響が少なからずあったのではないだろうか―。[*4]

 ★[*1] かつての大動脈、停車場通り(旧国道12号)にM15〜20年代までに架けられた大橋。S29年永久橋となったが、S51年の新江別橋完成で国道から市道に格下げとなり、S54年11月東光橋の完成でお役御免に。同年12月惜しまれながら解体された。大戦末期には米軍機から機銃掃射を浴びるなど数々のエピソードを残している。
 ★[*2] 公園通り×国道12号あたり(いまの8条7丁目)にあった映画館。定員650名の大きな建物だったが設備が整わず観客からの苦情も多く、また盛り場から離れ興行も芳しくないためS32年4月19日に一部120坪を残して取り壊された。
 ★[*3] 現在の2番通りの旧名称。同じく兵村3丁目通りには国鉄バスの「三番町通」というバス停もあった。
 ★[*4] 国鉄バスは江別駅前〜元江別〜町村牧場〜対雁公営住宅前間をS33年12月22日から仮免許で臨時運行、翌年5月10日から本運行した。市の財政に縛られて市営バスの運行がなかなか実現できない江別市が、将来市営バスの運行のさい、民間バスに頼れば路線の権利を譲ってもらうのが難しいので国鉄バスの市内運行を計画したという。ルートは江別駅から兵村3丁目通りを北上、対雁市営墓地(現やすらぎ苑)裏手の市営住宅まで乗り入れていた。ちなみに同住宅は戦後引き揚げ者を収容するため、応急的に建設された木造住宅だったが老朽化に伴い移転、現在は石狩川堤防敷地となっている。

なつかしの江別市内線ダイヤ



夢のニュータウンだった‥大麻団地

大麻線(江別駅前〜野幌駅前〜大麻小学校)
昭和39年9月20日開設〜昭和44年1月27日廃止許可
★★★★☆

《停車停留所》 江別駅前 江別ターミナル 公園館前 西郵便局前 保健所入口 保健所前 市立病院前 北日本社宅前 物品販売所前 2番町通 市営住宅前 江別高校前 6丁目 7丁目 第2中学校 野幌駅通り 出張所前 野幌駅前 出張所前 野幌駅通り 第2中学校 9丁目 10丁目 11丁目 12丁目 13丁目 14丁目 大麻小学校 (昭和40年現在)

(コメント)
 赤・青・紫のカラフルなサンカク屋根の戸建住宅がいまも残るベッドタウン、江別市の大麻団地[*1]に中央バスが初めて乗り入れた路線。
 古い路線なので停名もずいぶんサマ変わりしているが、当時は大麻14丁目の十字路から北に400mほど入った大麻小学校が終点だった。

 S43年12月に終点を「16丁目」に変更、さらに45年3月「大麻西町」の旧商店街まで延伸、現在の江別2番通線の原形となる路線である。

 S41年大麻駅の誕生で大麻団地内には国鉄バス(現JRバス)や札幌市営バスもドッと乗り入れるようになったが、イチ早く乗り入れたのは中央バスである。[*2]

 S45年6月には東米里の“裏街道”から札幌へ直行する「東91大麻線」(札幌タ〜大麻〜江別タ・H16年廃止)もスタートしたが、計画ルートが先の2社と夕鉄バスを加えた4社競願になり、中央バスだけ東米里から雁来に抜ける妙なルート(しかも当初は宮町西〜米里間ノンストップ)になっていた....

 ★[*1] 江別市西部に広がる北海道住宅供給公社のマンモス団地。おなじみの三角屋根の白い戸建住宅はかつて麻生、屯田、もみじ台、石狩・花川、北広島など札幌郊外のベッドタウンでよく見られた。随所に配置されたショッピングモール、駅周辺の中枢施設、地下アンダーパスなど当時は最先端のニュータウンだったが、40年たったいまでは人口減と少子高齢化で寂れている....
 ★[*2] 国鉄バスはS39/11/20、市営バス(米里線)はS45/5/1から大麻団地に乗り入れた。

なつかしの江別市内線ダイヤ



縮小するニュータウン線

高砂線(江別駅前〜新栄通〜高砂駅〜野幌駅前)
平成12年4月1日開設〜平成20年4月1日廃止
★☆☆☆☆

《停車停留所》 江別駅前 江別ターミナル 江別郵便局前 第3小学校前 青年センター 市立病院前 3番通3丁目 4番通3丁目 第3中学校 いずみ野4丁目通 いずみ野小学校前 元江別 見晴台 ふれあい前 6丁目入口 元野幌 中央中学校前 中央町 錦町 保健所前 江別市役所 市役所通 市民会館前 高砂駅前 野幌7丁目 野幌駅前 (2000年4月現在)

(コメント)
 この路線はいまの江別錦町線の前身にあたり、江別・見晴台地区の住民増加のためH8年12月のダイヤ改正で誕生したが、以前は新栄通経由というのが一時期あった。

 まだ開通して間もない新栄通りに「元野幌」「中央中学校前」「中央町」の3停留所が設けられ、完成したばかりの新道を颯爽と走っていたが、郊外ニュータウン斜陽化の影響だろうか.....8年余りであっけなく廃止されてしまった。

 70年代チックな趣きのある市民会館の東側を抜ける通りには「市役所通」と「市民会館前」の両停留所も設けられたが、こちらも路線廃止で撤去されてしまった......


中央バス廃線倶楽部


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