北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

札幌市内篇 その5

★印:レア度

エリア圏外だった…真駒内

南104 真駒内線(月寒ターミナル〜福住中央・西岡中央〜真駒内駅前)
昭和49年6月15日申請〜
★☆☆☆☆

《停車停留所》 月寒ターミナル 日糧パン前 羊ヶ丘小学校 羊ヶ丘住宅前 月寒学院前 福住入口 福住中央 福住会館 福住橋通り あかしや団地 見晴台団地 西岡小学校通り 西岡中央 西岡団地 水源地入口 上西山 錦ヶ丘 上町5丁目 五輪団地 真駒内駅前 (昭和51年7月現在)

(コメント)
 S30年代から札幌随一の『マンモスベッドタウン』として栄えた真駒内団地エリア。S47年のオリンピック選手村建設で一躍脚光を浴び、同年ケンタッキー道内1号店も駅前にオープンしたが、いまは人影さびしい 超高齢化住宅街 と化している....

 同団地は定鉄と市営バスのナワ張りにあり、当初中央バスは乗り入れていなかったが、福住エリア住民の強い要望があり、地下鉄南北線開業後しばらくしてこの路線が朝昼晩の1日3往復、開通まもない"五輪橋通り"を抜け真駒内駅前に乗り入れるようになった。

 『真104系統』として一応いまも現役ではあるが、この路線を足がかりに中央バスのスキーバスや札幌方面のバスがその後ゾクゾク駅前に姿を現すようになったのだ。

 真駒内駅周辺は昔とさほど雰囲気が変わっておらず、名物の 時計塔 も当時のまま、いい味出している。発着場所もいまと変わらず駅前のロータリーだったが、当時は降車と乗車が同じバス停で、乗り場探しに奔走しているうちに1日3本しかないバスを乗り過ごしたのも....今となってはイイ思い出話である。

 この路線最大の目玉は、福住寺から左折する約60度の鋭角カーブ!!
 福住中央通りもまだ1車線の頃でかなり見応えがあったが、当時の運転手さんはハンドルをめいっぱいきり、難なくクリアしていた。その後、福住バスターミナル開業時に2車線に拡幅されてしまい、豪快なハンドルさばきはもう見られなくなってしまった....


昭和の住宅街 - 南郷通り

東76 南白線(南郷営業所〜南郷通〜白石駅前)
昭和45年頃開業〜平成10年12月1日廃止
★★☆☆☆

《停車停留所》 南郷営業所 南郷通13丁目 南郷通12丁目 南郷通9丁目 南郷通8丁目 南郷通7丁目 南郷通6丁目 白石中学校 白石区役所前 白石中央 技術試験場 白石駅前 (昭和49年8月現在)

(コメント)
 南郷地区も昔は田んぼと畑ばかりだったが、おトナリ本郷通りや栄通り地区と同じS30〜40年代にベッドタウンとして一気に発展した。

 中央バスはS32年5月に初めて南郷通りに乗り入れ[*註1]、全盛期には7系統ものバスが走っていたが、S57年3月の地下鉄東西線白石〜新さっぽろ間開業で大打撃をウケ、沿道を走る路線は衰退の一途をたどっている。西岡、澄川地区の70番台はもともとこのエリアに割り振られた系統番号だった。

 昔の南郷通りはサッパリ店らしい店もなく、あるといえば戸建住宅か中古車センター。かろうじて6丁目の公営住宅付近[*註2]がほのかに賑わっていた。

 「さ〜いこう〜♪」のアサヒビール園も当時は単なるビール工場(S41.6完成)で、工場裏手に広大な貨物の引き込み線と月寒(つきさっぷ)駅の旧ホームがあった。現在は新庁舎のそびえる地下白(ちかしろ)付近も当時はターミナルハイツとパチンコ屋しかなく、スーパーやコンビニなどは皆無であった....

 南郷通りも当初は6〜13丁目までしかなく、しかもS40年代までは ジャリ道の悪路。 この路線が6丁目で右折していたのもそんなナゴリだろうか。(6〜13丁目より先の道路がヘンにカーブしているのもその所以である)

 中央バスもS45年頃までは、都心ゆきは6丁目交差点を月寒駅方面に左折、もしくはいったん本郷通りに入り『陸橋通り』を抜け1条線(東北通り)に出ていた。それより先の南郷地区が市営バスの独占エリアだったためである。[*註3]

 終点にあった南郷営業所[*註4]もこの路線と同じH10年12月に廃止、バス出庫時に使われた"変則信号機"が在りし日の面影を物語っている。

★[*註1] スタート当初は東北通りから6丁目通りを通って南郷通りに入り、本郷市営住宅前(現・本郷通10丁目、長栄市場付近)が終点だったもよう。S39.11の営業所オープンで南郷営業所(現・本郷通13丁目)まで延長した。
★[*註2] S31〜32年ごろ建設された道営・市営住宅。跡地は一部体育館になっている。かつては向かい側に南郷市場やだるま薬局など商店街があり、南郷通り角に北都ストアー、隣接して南郷湯(S32.8開業)もあった。
★[*註3] S49年まで南郷通3丁目の札南ストアー(S42.11開業)付近に『南郷通』、現ラッキー付近に『南郷丘』という市バス停留所があったが、中央バス路線とトレードし、それぞれ『南郷通2丁目』『南郷通1丁目→地下鉄白石駅前』に改称されている。
★[*註4] いまの"南郷の湯"付近にあった中央バス営業所。S39年に新築、車庫3棟と女子寮が併設されており、当時は南郷の最果てに位置していた。神社通り(白石・藻岩通)拡幅後に若干増築し、道路側の出入口に発券窓口が置かれていた。


市バスとモメた南郷線延伸

東73 南郷・大谷地線(札幌駅前〜南郷通〜北野ターミナル)
昭和48年2月15日開業〜昭和63年4月10日廃止
★★★☆☆

《停車停留所》 札幌駅前 北1条 南1条 南4条(下りのみ) 南4条東1丁目 豊平橋 豊平4丁目 豊平3条8丁目 東電話局前 美園2条2丁目 美園2条4丁目 美園1条6丁目 美園1条8丁目 月寒駅前 南郷橋 アサヒビール工場前 南郷通6丁目 南郷通7丁目 南郷通8丁目 南郷通9丁目 南郷通12丁目 南郷通13丁目 南郷通15丁目 南郷通18丁目 南郷通20丁目 大谷地橋 大谷地神社前 北星学園前 大谷地団地入口 大谷地団地 北野ターミナル (昭和49年8月現在)

(コメント)
 【上記より続く】長らく13丁目で途切れていた南郷通りだったが、これがS47年12月に大谷地神社前まで2.2㌔延長された暁にバス運行計画がもちあがった。[*註1]

 すかさず中央、市営バスの双方がこの新バイパスに路線を申請、競願となり、開設までにかなりスッタモンダあったもよう。当時16丁目付近に市バスの路線があり、これがネックになったと思われる。[*註2]

 S47年に陸運局から一旦却下された中央バス南郷線の延長だが、翌年になって市バス東16丁目線の延伸(北38東16〜北44東16間)とトレードする形でこの路線が誕生した。

 しかしながら、当時の南郷通りはホントに何もなく、20丁目のバス停前に『なんご〜ど〜り〜♪』のCMでおなじみ 家具の田丸 があった程度。それも近場に出現した家具のはせがわ(スイートデコレーション)との競争に敗れ、撤退している....

 大谷地橋付近には 興国ハウジング という倉庫(?)らしきものがあり、バスの車内放送でも案内されていたが、こちらも今はない....

 当時の南郷18駅エリアもアキ地だらけで、18丁目バス停は道営白樺団地の擁壁ブロックの前にあり、けっこうな乗降があった。いまの「札幌ドームシャトルバス」のりば向かい辺りには国鉄バスのポールも立っており、当時は国鉄バスも南郷通りを走行していたもよう。

 バスは大谷地神社前にあったドライブインから右折し、北星学園前の上り坂にはSLも走っていた 魔の踏切 があった。ちなみに、この北星学園前の坂(ガケ)は約4万年前、支笏火山(現・支笏湖)から噴出した火山灰台地の末端にあたり、近くから縄文遺跡も多数出土している。

 この路線はS57年3月に地下鉄東西線延長で廃止されたが、通学児童のため南郷営業所〜平岡営業所系統だけ1日1本、しばらく運行されていたが、S63年の大谷地東小開校で全面廃止となった。

★[*註1] 南郷通りはS47年秋に札幌都心(大通東8)〜下野幌(もみじ台団地)まで全長12kmがつながる計画だったが、大谷地神社〜国道274号間(約1km)は用地買収が難航し、全線開通はS49年12月にズレ込んだ。
★[*註2] 南郷通り開通を見越して、S40年5月から市営バス厚別線が12号線から東白石中前を通り、レンゴー紙器(白石南公園の場所にあった巨大ダンボール工場)まで運行しており、東白石中向かいの旧田辺商店付近に「白樺団地通り」、現ファミマの裏手に「聯合紙器前」のバス停があった。その先のサイクリングロード付近には転回場もあったような....


中央バス廃線倶楽部



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