北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

空知管内篇 その2

★印:レア度

市内線の消えたマチ

砂川市内線(砂川ターミナル〜緑町経由〜北電アパート前)
昭和35年12月15日開業〜平成4年4月1日廃止
★★☆☆☆

《停車停留所》 砂川ターミナル 十字街 南5丁目 保健所前 緑ヶ丘 緑町 砂川球場前 スキー場入口 日の出町 東圧会館前 南5号線 東圧正門前 北電入口 北電正門(往路のみ) 北電生協前(往路のみ) 8号線(復路のみ) 北電アパート前 (昭和55年12月現在)

(コメント)
 砂川中心部と郊外の住宅街を結んでいたこの路線は「南7丁目経由」と「緑町経由」の2系統あったが、緑町経由の方は非常に影が薄かった....
 というのも、運行は早朝の1往復のみ。ほとんど走る姿を見かけない幻のレア系統だった。

 その「緑町」の地名も条丁目制の施行で消えて久しいが....国道をひた走る「南7丁目経由」に対し、こちらは緑町や日の出町にあった東圧[*註1] の社宅街を迂回運行していた。

 砂川はかつて東圧や北電火発など、企業城下町として栄えたマチ。現ホーマック向かいの映画館 東圧会館(現・宮川町)や東圧正門前にあった ドライブインいしかり もすでに消え、コンビニ等に様変わりしている。

 終点の「北電地区」には ワットくん[*註2] で有名な北電の火力発電所があり、バスは従業員アパートが立ち並ぶタウン内を反時計回りにループしていた。停名もやたらと北電だらけだが、このあたりは橋や通りなどアッチコッチに北電の冠名がつけられている、何か深い因縁でもあるのだろうか....

 開設当時は北電生協(旧配給所)が終点だったが、こちらも90年代に廃業してしまい、公園前の跡地には待ち人を失った無人待合所が人知れず佇んでいる....

 緑町経由はH4年4月のダイヤ改正で廃止、H10年12月には南7丁目経由も相次いで廃止され、ついに砂川市内線は全滅した....

★[*註1] かつて砂川市の大黒柱だった肥料会社『東洋高圧』のこと。S34年辺りから肥料業界の不況と海外貿易の圧迫で肥料価格が下落し、翌年からの合理化で市の1/3を占めていた人口もみるみる減少の一途をたどり、のち合併して現在は「北海道三井化学」に。H2年までJR豊沼駅から工場内に引き込み線も敷かれていた。
★[*註2] 1970年代の道内を一世風靡した北電の初代マスコット坊や。「アタックNo.1」「エースをねらえ!」の大杉久美子が唄ったコマソンもおなじみ。現在も送電線の鉄塔付近でまれに遭遇することがある。ちなみにヘルメットは小型コンピューターになっているとか....


農村地帯の長大路線

茂世丑線(岩見沢ターミナル〜茂世丑経由〜栗沢駅前)
昭和25年6月24日開業〜昭和63年4月1日廃止
★★★☆☆

《停車停留所》 岩見沢ターミナル 4条拓銀 10丁目 東芝前 10条10丁目 美園町 西高前 駒大通 美園車庫前 5線 6線十字街 冷水 8線 志文元組 昭和 旧渡船場 精米所前 農協前 上幌坂東 神社前 北部 茂世丑局前 茂世丑坂上 保真 報徳坂下入口 報徳坂下 最上 最上中央 最上会館 郵便局前 栗沢駅前 (昭和44年5月現在)

(コメント)
 ちなみに、茂世丑(もせうし)と読む。

 岩見沢〜栗沢間をメインルートの由仁国道(234号線)ではなく、道々夕岩線〜三笠栗山線〜茂世丑最上線の「裏街道」をひた走っていたローカル線。開設当時は三栗線を更に栗山まで至っていたもよう。[*註]

 「精米所」「農協前」の停名でもわかるように、沿線は田畑の広がる農村部落。バスは民家が点在するのどかな一本道を走っていた。茂世丑局から西へと進路を変え、人家もない峠道にさしかかるが、このルートは景色や眺望がよく、廃止の惜しまれる路線のひとつである....

 岩見沢市内線にはかつてA・Bコースというヤケにハイカラな系統があったが、この路線にもかつてABコースが存在し、S30年代には岩見沢〜幌向〜栗沢〜茂世丑〜岩見沢間を大循環しており、幌向先廻りがAコース、茂世丑先廻りがBコースだった。Aコースの方はその後、北斗線(岩見沢〜北斗〜栗沢)に分離され、こちらもH3年3月末で廃止となった。

★[*註] 開業時は岩見沢駅前〜(4条西10)〜六線十字街(現・中央バス岩見沢営業所)〜志文駅前〜長谷川商店〜農業協同組合〜上幌坂東〜茂世丑局前〜茂世丑第二〜鳩山第三〜雨煙別学校〜湯地神社前〜栗山駅前という大蛇のようなルートだった。


景勝地の消えたバス道路

桂沢線(幾春別町〜桂沢ダム)
昭和30年4月14日免許〜平成16年4月1日廃止
★★★★☆

《停車停留所》 幾春別町 川沿町 桂沢西 スキー場入口 桂沢スキー場 発電所前 湯ノ沢温泉 桂沢小学校 桂橋 小ヶ口商店前 桂沢(ダム) (昭和42年7月現在)

(コメント)
 三笠市のはるか奥深くに、ひっそり佇む桂沢湖がある。
 夏はキャンプ、冬はワカサギ釣りと例年多くの人でにぎわい、湖近くで発見されたアンモナイトやエゾミカサリュウの化石で全国的にも有名になったところである。
 しかし、もともとここに湖はなかった。

 桂沢湖は北海道初の多目的ダムとして、1957(S32)年に誕生した人造湖である。
 かつては上桂沢とよばれ、幾春別川沿いに旧道がはるか奥へと続き、上流には農家や学校、商店、営林署(森林鉄道)などもあったが、ダム完成ですべて湖底に消えてしまった....

 バスはその旧道ルートを走り、桂沢覆道の手前(旧桂沢小前)から桂橋をわたり、ダム堰堤手前の新四国八十八ヵ所霊場[*註1]というかつて地蔵で有名だった原石山の山麓付近まで運行されていた。

 かつての桂沢湖は、いまの支笏湖や洞爺湖に負けず劣らずの賑わいだったという。湖水まつりや花火大会が盛大に催され、湖畔の船付場からは遊覧船も出ていたが、いまは人影さえまばら....

 "空知の一大観光地"と謳われた往時の面影もすでに消え、湖畔にたたずむ70年代風の桂沢観光温泉ホテル[*註2]だけが過ぎし日の盛況をモノ語っていたが、こちらもすでに閉館している....

★[*註1] 桂沢大公園化の一環として、市内の信者たちが心のよりどころを建設しようとS35年春、浄財を集めて弘法大師像や天地火水などの仏像、八十八の地蔵など130体あまりを建立、開削した巡礼ハイキングコース。
★[*註2] S40年9月に開業した桂沢湖畔の高台にあった観光ホテル。S46年6月1日全焼し、翌年工費1億1400万円かけて2階建てのホテルを再建。建物は三笠市が所有、三笠観光事業会社に委託して経営していた。桂沢ダム下から湧き出ている硫黄泉を活用した大浴場があり、岩ぶろ、滝ぶろ、高周波ぶろをはじめ遊戯場、大広間、客室なども備えていたが、経営不振でH22年1月に閉館。バス停のあった高台の広い駐車場跡だけが跡地に残っている。


伝説のテーマパーク

カナディアンワールド線(芦別駅前・芦別ターミナル〜カナディアンワールド)
平成2年7月28日開業〜平成10年4月1日廃止
★☆☆☆☆

《停車停留所》 芦別駅前 芦別ターミナル 芦別市役所前 市民会館前 旭ヶ丘公園入口 北の京芦別入口 旭第一会館 旭分岐点 旭 中の沢 如月橋 油谷 芦別温泉 花木園前(夏季のみ) カナディアンワールド (平成4年12月現在)

(コメント)
 当時の道内3大テーマパークといえば、帯広グリュック王国、登別マリンパーク・ニクス、そしてこの芦別カナディアンワールドあたりだろうか....

 バブル景気で当時アッチコッチに建設されたものの、バブル崩壊と拓銀破たんの余波でそのほとんどが姿を消し、いまや無用の長物と化している(マリンパークはかろうじて健在だが…)

 ちなみにカナディアンワールドとは、その昔TVアニメで有名になった『赤毛のアン』の舞台、プリンスエドワード島を芦別の山奥に再現した壮大なテーマパークである。

 19世紀のカナダの街並みを忠実に再現したグルメタウンやキャラクターショップ、それに国内最大級のラベンダー畑(当時)が一面に咲き乱れる"夢とファンタジー"あふれる大リゾート地だったが、高額な入場料と中途半端な施設群が災いしたのか、莫大な借金を残したままH9年に閉園してしまった....

 全盛期には札幌から高速カナディアンワールド号[*註]も運行されていたが、こちらも閉鎖とともに終焉を迎えている....

 閉鎖後は芦別市が施設を買い取り、市営公園として無料開放されているが、すでに建設からウン十年の時が経ち、往時の華やかなりし面影はもう、ない。

★[*註] 札幌駅前ターミナル〜カナディアンワールド間をH3〜H9年まで結んでいた中央バスの都市間高速バス。夏期の日祝・学休期だけ1往復しており、途中、赤平ターミナル、芦別ターミナル、北の京芦別入口、芦別温泉の4ヵ所に停車していた。


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