北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

空知管内篇 その3

★印:レア度

留鉄廃業の代替路線

昭和線(深川ターミナル〜沼田駅前〜昭和炭山)
昭和44年5月1日開業〜昭和45年4月1日廃止
★★★★★

《停車停留所》 深川ターミナル〜(沼田線と同じ、深川農高経由もアリ)〜沼田駅前 五ヶ山 桜の沢 恵比島 幌新 幌新温泉 袋地 浅野 東町 昭和炭山 (昭和44年5月現在)

(コメント)
 この路線もかなりレアものではないだろうか....
 沼田駅〜幌新温泉間はいまも沼田町営バスが1日4〜5往復しているが、もともと中央バスがS44年5月から運行をはじめ、なんでも当時は更に奥地の「昭和炭鉱」まで運行していたというからオドロキである。

 かつて沿線には浅野の雨竜炭鉱、九州炭鉱太刀別鉱、明治鉱業昭和鉱のいわゆる「沼田三山」(雨龍炭田)があったのだが、S43年11月に雨竜鉱が閉山、翌年4月には残る2鉱の閉山も急遽決まり、沿線を走っていた留萌鉄道[*註]も同月末で廃業することになり、アシを失う住民のため、中央バスが沼田線(深川タ〜沼田駅前)のうち6往復を昭和鉱まで期間限定路線免許で臨時運行することになった。しかも閉山決定からおよそ3週間でバスが運行されており、かなり慌ただしい開設だったようである。

 だがしかし....基幹産業を失った昭和鉱住宅街のゴーストタウン化は凄まじかったようで、臨時運行していた中央バスもS45年3月に採算上の理由で運行を中止、翌月から臨時に町営バスが跡を引き継いだ時には浅野生活館前(のちダム湖に水没)までの運行に縮小されている。

 ちなみに、途中にある「恵比島」は近年NHKの朝ドラ『すずらん』の舞台として一躍脚光を浴びたが、いまは元のヒッソリカンとした集落に戻っている....

★[*註] S8年10月末当時の留萌鉄道は、恵比島〜昭和間、卯田萌〜西留萌間、留萌〜川北間の計19.9kmを運行していた。


赤平市内の超レア路線

赤平市内線(赤平駅前〜赤間経由〜昭和)
昭和37年4月開設
★★★★☆

《停車停留所》 赤平駅前 中央橋 赤間小学校 植村建設前 豊橋 昭和 (昭和37年4月現在)

(コメント)
 かつて赤平市にも市内線(市内循環線)が走っていたようだが、かなり昔のことなのでイマイチ定かではない。ルートは赤平駅前〜中央橋(現・虹かけ橋)〜赤間〜昭和市街(旧豊里炭住街)へと至っていたもよう。

 わりと短期間しか運行されなかったようだが、姉妹系統の赤平駅前〜国道経由〜昭和間の方はいまも歌志内線(滝川〜歌志内〜赤平昭和)の"末端路線"として生き延びている。

 当時の赤平市は炭鉱全盛期、日本有数の炭鉱都市として其の名を轟かせていた頃で、市内には赤間、住友赤平、豊里、茂尻の4大炭鉱がシノギを削っていたが....いまの閑散としたマチ並みからはチョット想像しがたい。S35年には5万9千人いた人口も、S42年の豊里鉱、S44年の茂尻鉱閉山で人口流出に拍車がかかった。

 当時は市営バス計画もあり、中央バスではその頃から市内線の拡張やバスターミナル建設にチカラを入れている。S34年文京町に新出張所と車庫が、S39年駅前の中央通りにバスターミナルが完成している。(もともと駅前広場に出張所があった)
 現在、文京町の車庫と出張所は中央バスの青空駐車場に様変わりし、売店&階上喫茶のあったモダンな赤平ターミナルもH20年12月に取り壊され更地となってしまった....

 ちなみに、終点の赤平昭和[*註]はかつて「昭和」という停名だったが、バスターミナルの運賃表や配布時刻表に"赤平"付きで表示されていたものが次第に恒常化したものと思われる。また、S37年ごろまで赤平市街〜昭和間のバスはいまの赤平橋、文京町、豊橋廻りではなく、市役所前に会った“魔の踏切”(現・廃止)を渡り、宮下町、豊里鉱正門前をぬけ、昭和通りに入るコースであった。

★[*註] かつて豊里昭和市街と呼ばれた旧豊里砿の炭住街。付近にあった川添町の炭鉱跡地はS43年ごろ水田化された。


斜陽化した…市民スキー場

深川スキー場線(深川ターミナル〜深川スキー場)
昭和43年頃開業〜平成12年12月1日廃止
★★★★☆

《停車停留所》 深川ターミナル 音江農協 雇用促進住宅前 広里工業団地 音江中学校 音江分岐点 道立青年の家 18町内会館前 三瓶山スキー場 スポーツセンター前 深川スキー場 (平成6年頃)

(コメント)
 90年代のレジャーブーム終焉とともに、急速に廃れていったファミリー向けの市民スキー場。

 空知管内だけでも砂川、空知太(滝川)、芦別、上志文、桂沢、長沼の各スキー路線が次々と廃止されている。かろうじて、岩見沢のグリーンランドスキー場(旧万景閣スキー場)に市内線が細々と乗り入れている程度である....

 森元町通りにあった2代目深川ターミナル[*註1]から出ていたこの路線もS40年代から運行していた老舗スキー路線。

 開設当初は三瓶山スキー場[*註2]が終点だったが、バブル期のS63年12月、鳴り物入りでオープンした深川スキー場[*註3]まで延長され、一時は起点を深川駅前にしたり、スキー客の無料化などテコ入れも行われたが、若者のスキー離れには歯が立たず、H9年に三瓶山スキー場、H19年3月深川スキー場が相次ぎ閉鎖。ゲレンデやリフトなどの諸施設は撤去され自然に還っている....

 三瓶山スキー場に隣接して日体協がS48年、11億円の巨費を投じて建設した『道青少年スポーツセンター』というダイナミックな建物もあったが、H10年クラーク高校に無償譲渡されキャンパスに再利用されている。また当時、深川スキー場へ向かう音江山中腹にあった中央バスの廃バス[*註4]はH10年ジブリのネコバスカラーに塗り替えられ、戸外炉峠(トトロとうげ)の停留所とともに保存されている。

★[*註1] 初代ターミナルは昭和40年ごろまで深川駅前の蓬莱町通り(旧布川医院付近)にあった。
★[*註2] JR深川駅から約6kmの音江山麓にあった市営スキー場。S40年代は北空知一の規模と施設を誇り、全長600mのコースと平均斜度13度(最大斜度37度)のなだらかな初・中級者向けゲレンデ、当時北空知ではここだけしかなかった全長429mのリフトや25m級のジャンプ台、食堂のあった無料休憩所、100台収容の駐車場、夜間照明なども備え、頂上付近から眼下に深川市内や北空知各町が一望に見渡せた。
★[*註3] 西武の子会社・国土計画(のちのコクド)が約23億円の巨費を投じ、深川市音江山系の沖里河山(標高802m)にS63年12月16日オープンさせたスキー場。平均斜度13度(最大斜度25度)、260人収容のレストラン、全長2kmのロングコースと1.5kmの林間コースを備え、日本初となる2本の4人乗りフード・足かけ付き高速リフト(秒速4m)がウリだった。
★[*註4] 北空知バス設立時に中央バスから移籍した1983年製のRC321P(旭川22か311?)と思われる。


空気輸送のタドシ町内線

湯内線(多度志駅前〜中湯内会館)
昭和41年9月21日免許〜昭和63年4月10日廃止
★★★★★

《停車停留所》 多度志駅前 多度志中学校 多度志小学校 高台入口 中多度志 川向入口 農協支所前 岩瀬入口 下湯内 下湯内会館 三十戸入口 中湯内 中湯内会館 (昭和55年12月現在)


宇摩線(多度志市街〜上宇摩)
昭和42年開業〜昭和63年4月10日廃止
★★★★★

《停車停留所》 多度志市街 多度志小学校 多度志中学校 多度志駅前 保育園前 屈狩入口 宇摩第1 宇摩第2 宇摩第3 神社前 宇摩駅前 会館前 揚水場入口 上宇摩 (昭和55年12月現在)

(コメント)
 T4年に一已(イッチャン)村から独立、S45年4月深川市に編入された多度志町を走っていた上記2路線。山とミドリに囲まれたのどかな田園地帯を走っていたが、当時は深川営業所管内でも1〜2位を争うほどの赤字路線であった....

 湯内線は湯内小中学校が多度志小中学校に統合されたS41年、宇摩線は宇摩小が多度志小に統合されたS42年にスタートしたが、さながら中央バス自ら乗り出した路線ではなく、地元や多度志町教委の要請で生まれたワケアリ路線。戸長役場[*註]のあった多度志市街を起点とし、利用はもっぱら通学の児童・生徒が占め、宇摩線にはS47年まで屈狩部落を経由する系統もあった。

 当初から採算割れが予想され、毎年中央バスに多度志町教委(S44〜深川市)から助成金が出ていたが、日中は空気輸送も同然で、S54年10月には早くも中央バスから路線廃止の意向が出ている。S58年5月から"フリー乗降制"も一部採られたが、空知中央バスに引継がれぬまま廃止となった....

 昔の多度志はわりと大きなマチで、中央バスではこの路線のほか、多度志線(深川〜多度志)、沼田・多度志線の計4路線が多度志市街を走っており、道々深川・多度志線の旧公住付近には中央バスの多度志車庫があった。(車庫と転回場は当地に残存)

 2路線と並行してJR深名線の鉄路もあったが、こちらも深刻な赤字でH7年9月に全線廃止、現在はJRバスが代替輸送している。

 

★[*註] 旧役場庁舎の一部は多度志市街バス停前の消防署横に現存。


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