北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

空知管内篇 その4

★印:レア度

歴史に埋もれた異人沢

異人沢線(奈井江駅前〜中土場)
昭和36年12月12日免許〜昭和46年4月30日廃止
★★★★★

《停車停留所》 奈井江駅前 奈井江十字街 18町内入口 東2線 東3線 新奈井江鉱入口 昭和炭鉱入口 百間坂 渡辺前 学校前 林務署前 中土場 (昭和37年頃)

(コメント)
 あまり知られていないが、かつて奈井江町にも数多くの炭鉱があった。
 近隣の有名な炭鉱街にはさまれ影は薄いが、奈井江川に沿って山あいへ延びる15号東線沿いに、新奈井江、昭和、昭和奈井江、滝口など中小の炭鉱が乱立していた。しかし....
 いまではその大部分がヤブに消えている....

 この「異人沢」という地名もすでに人々の記憶から忘れ去られ、どこにあったかさえハッキリしない云わば"歴史に埋もれたマチ"。どうやらこの道路沿いにあった炭鉱町のひとつらしい。[*註]

 道央道の高架橋のたもとを過ぎると延々ダートの一本道が続く。停留所にある百間坂や学校前(東奈井江小中学校)も、閉山から30年以上たったいまでは建物や目印になるようなモノは何も見あたらない....

 路線粁から、終点は奈井江駅から10kmほど入った"滝口炭鉱跡"(異人沢三井砿)だと思うが、たまに山菜採りの人々と出くわす程度で、マチどころか、無人の林道がはるか不老の滝まで果てしなく続いているだけである。

 それでも、滝口炭鉱のあった頃は200人近くの住民が暮らしていたようだが、炭鉱で通勤用の無料バスを毎日3往復走らせていたため、バスは毎朝10人足らずの小中学生が利用するほかは一般の乗客が数えるほど、日中は運転手と車掌が二人っきりで走っているのもザラとあって、住民からアベックバス♥ と呼ばれていたとかいないとか―

★[*註] 異人沢という地名はこの道路沿いの奈井江川に流れ込む沢の名に由来。終点の中土場より少し奥に『異人沢橋』という橋が現存するらしい。


美鉄バスとの大バトル(前篇)

高島線(奈井江駅前〜7号渡船場)
昭和32年6月18日免許〜昭和46年4月30日廃止
★★★★★

《停車停留所》 奈井江駅前 奈井江十字街 奈井江役場 奈井江高校 集会所 吉野 高島学校 高島御崎 中村第5部落 7号渡船場 (昭和37年頃)

(コメント)
 前述の異人沢線とは兄弟路線のような趣きがあったが、あまりに古いため詳しいコトは全くもって不明である。異人沢線が山側の炭鉱路線に対し、こちらは石狩川沿岸の川っプチを走っていた典型的な農村路線である。

 ルートは奈井江駅から国道12号を南下、いまの奈井江高校バス停から16号西線に入り、そのまま道なりに旧中村農場付近まで走っており、本数も異人沢線と同じ1日3往復ほどの"閑散路線"であった。

 高島学校(のち高島小学校に改称)のバス停は茶志内川を渡った先、いまの高島神社付近にあったが、すでに廃校から30年超えの月日が流れ、現在は跡形もなくなっている....
 「高島御崎」はいまの奈井江浄化センター付近(高島3区)にあり、末期にはここで折り返していた。

 その先は美唄市内に入り、厳密にいうと美鉄バスのシマ[*註]だが、中央バスは更に南下、美鉄最北限の「7号渡船場」(美浦大橋付近)まで乗り入れていた。
 ただ美鉄の停名は『七線渡船口』となっており、中央バス滝川管内乗車券でも「七線」と記載されており、正式な名称はベールに包まれている…。位置はいまの美唄市民バス「8号線」付近だと思うが、現在の道々は護岸工事でやや東側に付け替えられ、バスはもう少し石狩川ヨリを走っていた可能性もある。

 本来ならそのまま道なりに中央バス月美線(下記参照)の「三文字」に接続させたいところだが、ここにも先ほどの美鉄バス「中村農場線」がS20年代から走っており、"ナワ張り問題"で行く手を阻まれていたのだろう....

 問題のその7号渡船、どうも美唄〜浦臼間を細々と運航していた美浦渡船を指しているようにも伺えるが、"道内最後の渡し舟"といわれたこの渡船も美浦大橋の完成でH23年9月末にその役目を終え、道内渡船の永い歴史の灯は消えてしまった。

★[*註] 美鉄バスはS23年に美唄市内で営業スタート。大夕張線や貸切など営業範囲が広がってきたため、S36年5月1日に名称を『三菱バス』に変更した。炭鉱閉山による赤字のためS56年9月1日グループ出資の新会社『美鉄バス』に譲渡し再スタートしたが、市内の人口減が進みH14年3月で廃業した。


美鉄バスとの大バトル(後篇)

月美線(美唄ターミナル〜三文字〜月形車庫前)
大正15年11月1日開業〜昭和63年4月1日廃止
★★★★☆

《停車停留所》 美唄ターミナル 中学校前 診療所前 南沼 開発前 開明橋 山角前 8号線 桜井沼 10号線 三文字 中村橋 元村 元村小学校前 地蔵尊 山形 17号 18号 19号 20号 詰所前 会館前 分岐点 大橋下 快楽町 月形車庫前 (昭和45年頃)

(コメント)
 この路線史もかなり古い…。大正末期に運行開始され、終戦前後の燃料&資材不足でS23年いったん廃止、再免許を得てS26年9月に再開。月美間を美唄川沿いの裏街道で結んでおり、メイン街道の道々美唄月形線の方には美鉄バスの上美唄線[*註1]が乗り入れていた。

 いまもバスベイの残る開発前〜三文字間、桜井沼やタカラ沼が点在していた晩生内道路とよばれる泥炭地を抜け、中村橋(現・元村橋)からはジャリ道の元村部落(沿岸道路)に入っていた。

 元村バス停のあった元村神社付近はいまでは単なる未舗装の農道だが、かつては商店や診療所、小学校、市の元村支所や農協支所もあり、もとはこっちがメイン街道だったもよう。中村橋の架け替えでS45年ごろ若干ルートが切り替えられている。

 S38年ごろまでは「山形」バス停から17号線に左折せず沿岸道路を直進、現在は河川敷になった旧富樫部落に乗り入れており、ここに富樫(旧土栄沼)や富樫小学校前の停留所があったとかなかったとか....

 前述の通り、S23年に一旦は廃止されたコトになっているが、S10年ごろ前身の美唄バス(美唄自動車運輸)が経営難に陥り、名義はそのままに中央バス前身の小樽バスに身売り。同社が実際にバスを運行していたのはS10〜12年までの2年余りで、札沼線開通で採算がとれなくなり10年近くも休んでいたというハナシ....

 そういったワケで、S26年の再開に当たっては、競願になった美鉄バスは無論、美鉄の運行を希望する市や沿線住民らの猛反対にあったようだが、路線の既得権をもつ中央バスの運行が陸運局に認められ、美鉄の申請は退けられた。

 最後に問題の終点「月形車庫前」だが、月形中心部の月形デパート[*註1]裏手にある青いヤネがそれだったもよう。向かいには旧中央バス出張所とおぼしき2F建て物件も現存しており、いまなお独特の雰囲気を醸し出している。

★[*註1] S26年から美鉄バスが美唄駅前〜上美唄〜17号線間を運行していた路線。赤字のためS52年12月に美唄市営バス(現・市民バス)が肩代わり運行しているが、かつては上美唄から南下、中小屋局前に至る「中小屋線」というレア系統もあった。
★[*註2] 国道275号沿いの月形中心地に1969(S44)年オープンした3F建ての小デパート。その後コンビニスーパー「ショッピングプラザ フローラ」に衣替えしたが、2021(R3)年夏までに解体された。長らく閉鎖されていた2Fには食堂、3Fには子供遊技場もあったとか。


70㌔超えの普通便

滝浜線(滝川ターミナル〜吉野町〜幌)
昭和12年頃開業〜平成19年4月1日廃止
★★★☆☆

《停車停留所》 滝川ターミナル 電報電話局 銀座通 西町 銀河団地 西高入口 橋本町 神社前 山1線 牛舎前 里見峠 峠下 1号線 2号線 3号線 4号線 5号線 学園学校前 7号線 8号線 9号線 10号線 11号線 農場入口 石黒前 吉野学校前 吉野町 留久ダム入口 上吉野団地 吉野公園 荘志 幌加入口 南幌加 奥幌加 トンネル口 4番川 5番川 郡界 泥川 御料地中央 盤の沢 滝の沢 エタンケ沢 黄金川 実田橋 実田村 於札内 実田浜中 新田 柏木2号 中央柏木 公民館前 柏木 浜益農協前 川下 浜益中学校 浜益 築港事務所 浜益小学校 保育園前 群別 室蘭沢 坂の下 幌 (昭和53年頃?)

(コメント)
 滝川から日本海の浜益村(現・石狩市)まで70kmあまりを走っていた普通便としてはかなり大がかりな長距離線。S12年ごろ中央バス前身会社の滝川バスが滝川〜西徳富(現・吉野町)〜南幌加線を浜益まで延長して開設。S18年の戦時統合で中央バスに引き継がれ、H19年4月に廃止されるまでなんと70年近くも走っていた。『浜益線』『滝川・浜益線』の別称もある模様だが、S50年代初頭の明神町の滝川ターミナル運賃表では「浜益吉野町線」となっていた。


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