北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

小樽管内篇 その1

★印:レア度

小樽最初のバス路線

1系統 小樽市内本線(手宮ターミナル〜若松)
昭和18年〜昭和55年5月1日?廃止
★★☆☆☆

《停車停留所》 手宮ターミナル 博物館通り 色内川下 元本社前 中央通 小樽駅前 電話局前 市役所通り 花園公園通り 入舟町 住吉神社前 奥沢口 若松 (昭和51年現在)

(コメント)
 かつて花園第二大通りと呼ばれ、古くから小樽のメインストリートだった国道5号線(札樽国道)を往来する小樽市内本線に1系統があった。

 この路線の歴史は古く、小樽乗合自動車[*1]が大正10年6月、手宮〜色内川〜妙見川〜花園町第一大通〜若松町間で、小樽で初めてバス運行を開始した由緒ある路線だったらしい。[*2]

 当初は道内随一の運行回数を誇っていたようだが、のちに出現した派生系統の3系統(手宮〜新光町十字街)とルートカブりまくっていたうえ、平日の朝夕ラッシュ時しかなく、晩年はカナリ影が薄かった・・・

 その反省からか、廃止後ながらく1系統は欠番だった。
 が、1999(H11)年「ぱるて築港線」の誕生で20年ぶりに1系統が復活した!!

 奇しくも初代の終点「若松」を抜けるルートになったのもなにか因縁めいているような‥‥

 ★[*1] 小樽乗合自動車は大正12年6月(大正11年7月説もある)に中央バスの前身「小樽市街自動車」(小樽バス)に吸収合併。現在ショッピングモールになっている第一大通り(花園銀座通り)には丸井前、花園交番前、松竹座前、入舟川(現・量徳寺前)の各バス停もあったという。
 ★[*2] 『小樽歴史年表 〜戦前編〜』(2006年、歴史文化研究所刊)によると、それ以前にも大正3年9月に小樽自動車(株)が手宮駅前〜奥沢入口間で乗合事業が開始され、数年後に廃業とある。そうすると、これは大正3年6月の根室に次ぐ道内2番目のバス運行ということになるのだろうか―。

なつかしの小樽市内本線ダイヤ



積丹半島の鉱山街

稲倉石線(古平新地町〜堤の沢〜稲倉石)
昭和31年10月25日免許〜昭和63年4月1日廃止
★★★☆☆

《停車停留所》 古平新地町 港町 古平役場前 古平浜町 中学校通 旭団地前 栄通 出戸の沢 鴨居木 すゝきない 昭和小学校 熊野神社 廻り渕 堤の沢 二股 稲倉石中学校 桜台 合宿所 配給所 稲倉石 (昭和55年12月現在)

(コメント)
 積丹半島の鉱山は空知地方の炭鉱群に比べてあまり註目されないが、かつて良質なマンガンが採取されたらしく各地に鉱山がいくつもあった。

 古平町にあった稲倉石鉱山もそのひとつで、バスは鉱山と古平漁港を往復していたが、閉山後のS57年に「堤の沢」に短縮され、その6年後に全廃した・・・。

 中央バスではほかにも余市から大江鉱山、豊丘鉱山、豊浜鉱山、岩内から茅沼炭鉱に向かう鉱山路線があったが、空知と同様に閉山化が進み、やがてすべての路線が姿を消した。

 終点の稲倉石はかつて小中学校や郵便局、娯楽センターなどもある鉱山街だった。鉱山閉山後の街の廃墟化はすさまじくマチが跡形も残ってない場合が多い。バス停のあった「稲倉石中学校」や「合宿所」などは今どうなっていることだろうか......

なつかしの稲倉石線ダイヤ



湾岸ロードを走ったバス

余市港町線(余市駅前〜大川橋〜港町)
昭和44年12月15日開設〜昭和60年4月10日廃止
★★☆☆☆

《停車停留所》 余市駅前 拓銀前(復路のみ) 信用金庫前(往路のみ) 大川十字街 大川橋 余市役場前 モイレ海岸前 浜中町 青少年会館 自動車教習所 山碓橋 漁業協同組合 港町 (昭和55年12月現在)

(コメント)
 余市町は札幌や小樽から積丹、もしくは倶知安・岩内方面に向かう分岐にあたり、古くから交通の要衝として栄えた。かつては余市を起点にあまたの路線があったが、人口の減少で大半の路線が廃止の運命をたどっている......

 この路線は余市駅〜余市港の4㌔余りを結び、駅前から旧アーケード名店街(昔はニギやかだった…)を北上し、大川十字街から西に進路を変え、道々余市港線を港町(昔は山碓町といった)の海上自衛隊付近まで走っていた。

 前身は創業当時からあった余市町内線(余市駅前〜余市富沢町)という路線で、S44年秋に道々拡幅舗装工事が完成したため、ルートを切り替えて港町まで乗り入れたらしい。もともと中央バスの前身のひとつ余市臨港軌道[*註]の廃止代替バスであり、この路線だけ駅前始発だったのも、そのナゴリだろうか.......

 大川十字街のカドには当時、乗車券売り場や待合室、売店を備えた2F建ての立派な余市営業所(初代)があり、港町線を除く郊外線や特急バなどは、いずれもここが起点であった。
 S49年に営業所は車庫のあった富沢町に移転(現在スーパーシガが再利用)、その後も富沢町⇒梅川町⇒大川町⇒梅川町と移転をくり返し、停名も余市営業所⇒大川十字街(S53〜)⇒余市ターミナル(S60〜)⇒大川十字街(H12〜)と幾多の変遷をたどっている。

 ★[*註] 余市駅〜浜中町間をS8年〜15年まで営業していたガソリン軌道。その後、新会社「余市臨港バス株式会社」を設立しバス事業に転換したが、S18年の戦時統合で中央バスに組み入れられた。

なつかしの余市港町線ダイヤ



小樽運河のウラ街道

10系統 勝納工業団地線(小樽駅前〜小樽港マリーナ)
平成2年4月10日開設〜平成11年4月1日廃止
★☆☆☆☆

《停車停留所》 小樽駅前 中央通 運河プラザ 港町 利礼フェリー 新日本海フェリー 工業団地中央 小樽港マリーナ (平成2年4月現在)

(コメント)
 ちょうど小樽運河の保存が決定した頃だろうか、運河を周遊する観光路線「小樽ロマン号」がS63年にスタートし、なつかしのボンネットバスで人気を集めていた。

 当時はバブルの真っ只中、全国で流行りだったウォーターフロント開発が小樽でも進められ、'84小樽博で注目されたマンモス埠頭、勝納(かつない)埠頭の埋立地に突如誕生した大型ヨットハーバー「小樽港マリーナ」に向かう小樽マリン号もH2年から運行されるようになった。[*註]

 マリン号の走らない早朝と夕方だけ、ルートを変えて運行していたのがこの路線。日中はまったく見かけないという、かなりジミ〜な路線だった。

 沿線は観光客も訪れないような 寂れた運河倉庫 が続くウラ街道をひた走り、乗客といえば埠頭への通勤客やマリン号に乗り遅れた人が大半だったような・・・
 翌年、石原裕次郎記念館が華やかにオープンし、終点は小樽港マリーナ・石原裕次郎記念館という長ったらしい名称に変わったが、行先幕は最期まで「小樽港マリーナ」のままだった。

 たしか当時は裕次郎記念館の前にバス停があり、多くの観光客でそれは賑わっていたものだが、その後近くに出現した巨艦スーパー「マイカル小樽」(現ウイングベイ小樽)のオープンでバス路線や観光客も山手側にシフトしてしまい、最近では裕次郎もめっきり影を潜めている......

 昨今の運河人気で、かつてのバスルート沿線には運河倉庫を改造したオシャレなスポットが続々オープンしているが、バブル期に誕生した豪華なウォーターフロントよりも、レトロ感ただよう小樽運河の方に観光客が集まっているというのも、まことに皮肉なもんである。

 ★[*註] 小樽港マリーナは小樽市、中央バス、北海道ヤマハ、西條産業、祝津マリーナ、丸井今井が出資する第三セクター「株式会社マリンウェーブ小樽」が運営主体となり、バブル絶頂期の平成2年、総事業費240億円かけて建設された全国有数の公営マリーナ。総面積9.3㌶の広さがあり、大型ヨットやモーターボートなど350隻収容できる基地のほか、センターハウス1階にはマリンショップなどの物販店、2階には展望レストランがあった。

なつかしの勝納工業団地線ダイヤ


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