北海道中央バスファンクラブ 制作・著作 KSK-PROJECT

中央バス廃線倶楽部

廃止された中央バス路線の思い出日記

小樽管内篇 その2

★印:レア度

瞬間風速で消えた系統

[23]朝里循環バス(朝里ショッピングセンター〜朝里ショッピングセンター)
平成19年4月1日開設〜同年12月1日廃止
★★★★☆

《停車停留所》 朝里ショッピングセンター 朝里町 朝里病院 市営住宅入口 市営住宅前 道営住宅前 新光会館 新光町十字街 新光3丁目 朝里中学校前 柾里 新光2丁目 朝里ショッピングセンター (平成19年7月現在)

(コメント)
 この路線、近年にしては珍しく半年あまりで消滅した....

 このバスはH19年4月、鉄工所跡地に誕生したスーパーやドラッグストア、牛丼屋などの複合体(いわゆるショッピングモール)を起点としたお買い物シャトルバス(有料)のような形で小樽郊外の住宅地に突如出現した。

 スーパー駐車場のド真ん中に仮設バスのりばが設けられ、オレンジ色の小型バス[*1]で中央バス朝里車庫ヨコから入るセマ〜イ住宅道路を周回していたが、起終点が単なる郊外のスーパーであり、運行半ばに停留所を増やすなど“テコ入れ”も行われたようだが、集客が見込めないまま8ヶ月間の試験運行にピリオドを打った.....

 これと同時にスタートしたのが兄弟路線の「24 山手中通線」であるが、こちらは意外に利用が堅調なようで、現在も同じ小型バスで活躍している。だが、相棒を失ったこの路線も小樽駅前のジミな場所から発車している姿を見るたび、一抹のサビシサを憶えるのは私だけだろうか......

 ★[*1] H12年に札幌の「清田団地循環バス」用に導入された小型ノンステップバス(日野KK-HR1JEEE)。大麻循環バス(江別)、厚別ふれあい循環バス(札幌)などに転用されたあと、現在は「山手中通線」専用車として小樽市内を元気に走り回っている。



うらサビしい…駅前広場

銭函・桂岡線(銭函浄水場〜ほしみ駅前)
平成7年4月1日開設〜平成10年12月1日廃止
★★☆☆☆

《停車停留所》 銭函浄水場 仲川商店前 桂岡会館下 薬大前 薬大入口 桂岡 保証牛乳前 銭函中学校前 銭函市民センター前 銭函駅前 信金前 銭函海岸通 銭函海水浴場前 職業訓練短大前 一鉄鉄工所前 銭函中央公園 星置川通 北海鋼業前 ほしみ駅前 (平成7年4月現在)

(コメント)
 H7年に駅ができて以来、一向に発展する気配をみせないほしみ駅エリア....
 ここにかつて2社の民営バスが乗り入れ、切磋琢磨していた事実もイマではほとんど忘れ去られている......

 この路線はS56年2月、銭函浄水場〜一鉄鉄工所間[*1]をマイクロバス(定員28人)を使ってスタート。その後、H7年のほしみ駅開業に合わせ、終点を約2㌔延長して同駅に乗り入れた。その際、急勾配で交通難所の馬追坂ルートを改め、現在の道々銭函停車場線に切り替えられている。[*2]

 ほしみ駅のロータリーには中央バスの停留所が設けられ、ほぼ同時にJRバスも星置方面からこの駅に乗り入れたが、当時あたりに建物らしきものはサッパリなく、バス延長ルートも人家まばらな工業団地とあって利用客もほとんどなく、数年で元の路線に戻ってしまった......

 あれから20年たったいまも駅前には『分譲中』の荒野がわびしく広がるだけ......
しばらくネバっていたJRバスの方も、さすがに撤退を余儀なくされたようである。

 ★[*1] 一鉄鉄工所はいまの銭函3丁目付近(現・産鋼スチール)にあり、工場敷地内にバス転回場と乗務員の休憩所があったが、鉄工所の倒産により現在は撤去されている。
 ★[*2] この改正で「保証牛乳前」が国道沿いに移されたが、それ以前の桂岡〜保証牛乳前間は国道の一本海側の"軍用道路"を走っており、バス停もその“ウラ道”にあった。



廃業した伝説の鉄道

大成線(寿都営業所〜黒松内駅〜東川)
昭和25年11月21日開設〜平成10年4月1日廃止
★★★☆☆

《停車停留所》 寿都営業所 病院下 寿都役場通 陣屋団地 風力発電所入口 建岩 樽岸 湯別 追分 酪農会館 作開学校 南作開 白炭 中の川 本熱郛 町営住宅 黒松内中学校 黒松内駅 営林署前 しりべし学園 中里 貝殻 豊幌 会館前 上豊幌 東栄 来馬橋 大成郵便局 東川  (平成4年7月現在)

(コメント)
 S25年から寿鉄バス(寿都鉄道)が運行を始めた路線だが経営難に陥ったため、S43年から中央バスがあとを引き継ぎ、合理化のためS53年から系列のニセコバスに移管された。

 寿都〜黒松内間にはかつて寿都鉄道の軌道があり、寿都駅のあった高台(いまの役場付近)には中央バスの発着所や営業所もあったそうだが....あまり当時の遺構は残っていない。

 また黒松内〜東川間は人家まばらな農村部落。以前は大成郵便局の真ん前が終点だったが、S62年に5キロほど先の「東川」まで延び、民家ヨコに転回場が設けられたが、あまり利用はなかったもよう。クルマ通りもほとんどないため、後志学園〜東川間は“フリー乗降制”が採られていた。

 ちなみに寿鉄バスには静狩線[*註]という超レア路線があり、現在の本熱郛バス停から枝分かれし、大成局〜静狩駅〜長万部駅まで結ばれていた。このうち来馬口〜静狩間は現在の静狩峠ではなく、ヘアピンカーブの連続する「旧国道」を抜けて静狩市街に入っていたもよう。

 ★[*註] 静狩線のバスルート(S27年当時)は寿都車庫前〜寿都駅前〜矢追〜大磯町〜樽岸駅前〜湯別駅前〜追分〜作開学校前〜中ノ川駅前〜本熱郛〜千代星内(チョポシナイ)〜大谷地〜熱郛駅前〜白井川〜赤井川〜大成郵便局前〜上来馬〜来馬口〜静狩駅前〜長万部駅前まで。58.4Kmの道程を1日2往復していた。



大バトルになった観光道路

ニセコ線(倶知安駅前〜山の家)
昭和40年7月3日開設〜平成19年4月1日休止
★★★☆☆

《停車停留所》 倶知安駅前 有楽園前 学校平 二股 花園 お花畑 山の家  (昭和40年7月現在)

(コメント)
 ニセコバスの設立経緯については諸説あるが.....
 ニセコ・倶知安地区はもともと道南バスの営業エリアである。
 しかしながら、同社は戦時中の道路荒廃で長らく休止していた昆布温泉線(狩太〜昆布温泉、昆布駅前〜昆布温泉)をS23〜24年に廃止。そこで同社に戦時統合された後志温泉自動車の有志が集まり、S25年ニセコ観光自動車(ニセコバスの前身)が設立されたという。

 そういった背景もあり、この路線はニセコバス(中央バス系列になる前)、中央バス(当時は倶知安・寿都・蘭越地区に路線を持っていた)、道南バス(倶知安〜国道〜ニセコ間をS26年から独占運行)の3社に加え、S36〜40年頃まで比羅夫駅〜山田温泉(現ヒラフスキー場)間にシャトルバスを運行していた国鉄バスの4社競願という大激戦になった末、ニセコバス1社だけに免許が与えられた。

 これに意気消沈したのか、国鉄バスはその後ニセコ地区から完全撤退している.....

 学校平〜二股間のワイスホテル入口付近には「臨時」(臨の字は略字体)と書かれた停留所が立っていたが、ニセコバスにはこのような仮設停留所が数多くあり、「北作開」「みのり橋」「本目灯台」など正規停留所に昇格したものも少なくない。

 有楽園は倶知安の旭地区にあった温泉で、S44年跡地に隣接して建設された「羊蹄閣」のオープンにともない停名も変更されている。[*註]

 ★[*註] 有楽園は戦時中のS12年頃廃業した坂東温泉の旅館跡(町有地)を再ボーリング、温泉ブームのS34年秋にオープンした大衆浴場。旭ヶ丘スキー場(旧・大仏寺スロープ)の整備後はスキー客も多数宿泊した。一方の「羊蹄閣」は倶知安観光開発が旧有楽園跡にS44年12月オープンした町民資本のホテル兼ヘルスセンター。大浴場、レストラン、売店、スキーヤーロッジを備え、S45年2月の倶知安国体には皇室関係者も宿泊したという当時町内一豪華な施設。現在は経営者が変わり「ホテルようてい」として営業している。


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