中央バス最新NEWS

札幌管内 1940年代

1940(昭和15)年〜1949(昭和24)年

【札幌観江】札幌―茨戸間 運転開始 (1940[昭和15]年4月9日)


札幌観江バス会社(札幌市北7東1)の茨戸〜札幌間のバスは9日から運転を開始する。

札鉄乗合バスを統制 (1940年6月1日)


阿寒地帯観光自動車、登別温泉軌道バスが団体輸送の取り扱いを中止する旨を発表したが、時局下、自動車ガソリンの配給が著しく窮屈になっている。

 このため、今夏は札鉄沿線各駅を基点に営業している各乗合自動車のうち、団体取り扱い中止はもちろん、さらに運転回数の減少、運転区間の短縮などを行うものが相当数にのぼるものと見られ、札鉄局旅客課では関係各駅に通達、これらの輸送力、運転区間、運転時刻の変更など調査にとりかかった。

【洞爺湖電鉄】自動車会社に変更と決定 (1940年6月6日)


洞爺湖温泉の開発に貢献した洞爺湖電気鉄道株式会社は、鉄道運輸営業(省線虻田駅〜洞爺湖温泉間7粁2分)を時代の推移を考えて廃止、また自動車運輸計画につき「洞爺湖温泉自動車株式会社」と変更することに車役間に意見の一致を見たので、6日小樽北海ホテルで臨時株主総会を開催した。

 同社は虻田、温泉間のほか、伊達温泉間、久保内、硫黄山、喜茂、定山渓間の定期バスを一層強化、虻田〜温泉間には冬季間は除雪用に20馬力のトラクターを運行、旅客はもちろん貨物の輸送にも万全を期する予定である。

【厚田自動車】石狩太美―厚田間運行 (1940年9月20日)


旅客運輸業、旅客運送業の厚田自動車合名会社(代表社員:宮本正美)は石狩太美〜厚田間乗合バス(石狩、望来、古潭経由)を運行中である。

【洞爺湖電気鉄道】当分バス運行 (1941[昭和16]年2月11日)


洞爺湖電気鉄道株式会社の電車廃止決裂から洞爺湖温泉町民の反対運動は虻田全町にわたり、昨年虻田町長および委員が上京して本省に陳情した結果、再調査に決まったが、電車廃止の場合、これに代わるバスが冬季間運行できるか、このほど同社トラクターを運転して除雪の試験をしたが、11日から虻田駅発2回、洞爺湖温泉発1回、計3回の電車運転は当分バスで代替することになったが、電車廃止実現の一歩前進とみられ注目されている。

【洞爺電気鉄道】バス延長認可 (1941年4月21日)


鉄道省は21日、洞爺電気鉄道株式会社から申請中のバス延長を次の通り免許した。

【札幌観江】札幌―茨戸間バス開通 (1942[昭和17]年3月24日)


札幌観江バス(札幌市北7条東1丁目)の札幌〜茨戸間は24日から開通する。始発は午前7時、終発は午後5時。石狩までは4月上旬開通の見込み。

乗合自動車を統合 (1942年9月17日)


大東亜戦下に即応する乗合自動車事業整備をめざし、道庁はこのほどバス統合計画案を作成、19日警察部保安課長が上京し21日鉄道省と打ち合わせを行う予定だが、道庁ではもし鉄道省の承認を得ればただちに合同工作を進め、明年1月1日から本道のバス事業を新体制で発足することになる。

 本道のバス統合は戦時即応の企業の体制によって事業の公益優先を図ることを建前とし、現在の105会社を函館、札幌、室蘭、十勝、釧路、旭川、北見の7地区に整理統合して新会社を創立、合理的経営により交通機関に恵まれない離村住民を裨益しようというもの。

【省営自動車】日勝線スタート! (1943年8月1日)


かねて計画申請中の北海道様似〜広尾間鉄道建設の一部として、これに先行する様似〜庶野間43㌔および歌別〜襟裳間12㌔の省営自動車日勝線が1日より営業を開始することになった。この路線は様似を起点とし、日高線様似駅に連絡、庶野に至るものと、途中歌別より分岐し海岸沿いに南下して襟裳に出る支線からなる。新設線区および駅名は次の通り。

【省営貨物自動車】千栄線スタート! (1944年2月25日)


札鉄局は25日から千栄線(富内〜千栄間52㌔)で省営貨物自動車の営業を開始する。停車停留所は次の通り。(「官報」より)

【省営バス】庶野―広尾間スタート! (1946年11月25日)


札鉄局は25日から日勝線(庶野〜広尾間32㌔)の運輸営業を開始する。日勝目黒、音調津では旅客のほか到着手荷物、小荷物、貨物も取り扱う。停車停留所は次の通り。(「官報」より)

【省営バス】バスとトラックを運行 (1946年12月)


白石、江別地区の省営バスとトラックを12月上旬から1日4往復をもって運行することになった。白石村各部落間の停留所はだいたい次の通り策定されている。

【省営バス】長広線スタート! (1947年3月21日)


長沼〜北広島地区の省営バス開拓路線は21日から運転を開始、旅客・貨物の輸送を行うことになった。当初は3月5日予定のところ、施設の不備と車輌の関係などのために延期されていた。

 長沼十万石の米の搬出と野幌原始林の開発促進のため設けられたこの路線は、北広島経由札幌と北広島経由恵庭、長沼経由由仁を結び、このうち長沼〜由仁間は貨物だけ、北広島〜恵庭間は本コース輪厚経由恵庭となっているが当分の間、島松経由恵庭の暫定コースを準備する。札幌と連絡するものは札幌駅前〜北広島間(26㌔)の6往復で、この区間の停車場は15ヶ所、混雑が激しいときには実情に応じて増発する。これにあわせ札鉄側は広島村を中心に北広島自動車区を新設する。

 基本計画によると開通後の使用バスは17台だが当分の間は7台で運行、札幌〜白石間12往復、白石〜北広島間6往復、北広島〜長沼間、同〜恵庭間各3往復のほか、貨物輸送にはトラック30台が随時出動する。この路線開始で沿線町村と札幌との連絡はきわめて円滑になるわけで、関係民の期待は大きい。停留所、運賃、発車時刻は次の通り。

札幌―千歳線スタート! (1947年7月1日)


北海道中央乗合自動車会社が申請していた札幌〜千歳間バス運転が認可されたので1日から次の通り運転を開始する。料金は片道16円。

【省営バス】長広線ダイヤ改正 (1947年10月15日)


札鉄では運転上の都合で15日から省営バス長広線のうち、札幌〜長沼間を除いて運転時間を次の通り改正した。

【札幌市】電気バスを導入 (1947年11月19日)


札幌市はさきに到着した電気バスを19日から石山線、琴似線に1台ずつ運行する。

【省営自動車】まず貨物を運転 (1947年11月21日)


省営か民営化で難航していた本道開拓路線は、省営自動車の運行が21日ようやく決まり、同日運輸省から係官が現地視察に来道した。決定をみた路線は旭川〜江丹別、旭川〜ペーパン間の2地区を除いた旭川地帯および真狩別、江別、帯広の各地帯と、さきに追加計画された各線区で延長1004㌔におよぶ大自動車路線。とりあえず貨物自動車の運転に限り早急に行うが、これにより農村の受ける恩恵は大きく、米その他の供出に好影響をもたらすものと期待されている。一方これに要するトラックはすでに各地帯に約60両配置され、また近く輸入自動車が大量に到着する予定。運転が決定した線区は次の通り(カッコ内キロ数)

札幌―江別線スタート! (1947年11月25日)


北海道中央乗合自動車では25日から新篠津、当別方面と連絡する新路線として札幌駅前〜雁来〜江別間にバスを運転する。ダイヤは次の通り。

石山地区バス争奪戦 (1948年1月9日)


人口26万を突破した札幌市ではいま雄大な都市計画を進めているが、その裏で早くも豊平町石山を中心に札幌市交通局、道中央乗合バス、定山渓鉄道の3者がバス路線獲得のため縄張り争いを展開している。

 石山方面に通ずるバス路線は昭和10年ころ市バスがオイラン淵まで運行していたが、その後休止となった。しかし、最近この方面の住民の希望もあり市交通局では石山まで復活運行することに内定していた一方、中央バスもかねて計画中の札幌駅前〜石山〜月寒の環状線を計画、定鉄も札幌駅前〜石山〜定山渓のバスを復活することになり、はしなくも石山を中心に3者の競争が始まることになった。

 いずれにしても豊平町民、札幌市民としては1日も早い運行を望んでおり、このため9日も3者と道自動車事務所が協議したが結局結論にいたらず、バス路線獲得競争はまた持ち越されることになった。

【札幌市】元村線、鉄北線の経路変更 (1948年2月1日)


1日から札幌市営バス元村線、鉄北線の路線を次のように変更する。

【国営バス】北広島線を一部運休 (1948年3月13日)


札鉄では国営自動車北広島〜釣橋間路線が悪いので、13日から当分の間全区間運休し、長沼〜北広島間のみ次の通り運転する。なお札幌〜旭町間は従来通り運転する。

【札幌市】区間制を実施 (1948年4月27日)


札幌市営バスは27日から区間制を実施する。料金は1区1円50銭。同バスは毎月40万円程度の赤字となっており、電車事業との共同運賃でやっと維持されている状況だが、市交通局では市議会が要望するバス部門に独立採算制を実施するためには運賃の値上げが前提であるとして大幅引上げを決意、14日の交通常任委員会に全区間3円均一案と1区2円の区間制を採用する案を提出審議を求めたが、委員会は中間案として1区50銭案の区間制を中間案として採択した。各線の区間数および区間分界は次の通り。

冬期運休線の再開 (1948年4〜5月)


各社ともダイヤ改正を実施する。

中央バスもトレラー・バス導入 (1948年5月15日)


道中央バスは15日から札幌〜月寒、石狩方面に超大型バスを2台運転する。これはさきに定鉄が札幌〜石山間の運行に使用するため購入したT25型トレラー・バスと同じもので、12日札幌駅に定鉄の分とともに東京都日野産業より到着した。価格は東京渡しで1台150万円という。

 このバスは全長13.88㍍、総重量11㌧という巨大なもので、特色は客車と運転台が分離されているため客席にはエンジンの騒音も苦にならず、また故障があっても前部の運転車だけ取り替えれば使用できるという。普通バスの3台分の能力は優にありエンジンは115馬力のジーゼル、燃料は軽油、重油の低級なもので間に合い、つめれば250人は楽に乗ることができる。運転回数は次の通り。

◇札幌〜月寒間=現20往復のうち10往復をこの車で運行。
◇札幌〜石狩間=現5往復のうち朝夕2往復をこの車で運行。

支笏湖行き 6年ぶり再開 (1948年5月21日)


道中央バスは21日から札幌〜支笏湖、千歳〜支笏湖間のバスを6年ぶりに再開する。支笏湖までの運賃は札幌から大人片道75円、千歳から25円。札幌発は6/1からヒメマス解禁でさらに1往復増発する予定。なお札幌発支笏湖直行バスの乗車券は1日40枚限り、道中央バス事務所で前売り指定券発売する(片道80円)。5月中のダイヤは次の通り。
【平日】
◇下り=札幌(北4条西2丁目)8:00→千歳9:40→支笏湖10:30
◇上り=支笏湖15:00→千歳16:00→札幌17:30
【土、日曜】
◇上り=千歳11:00→支笏湖11:50、千歳13:00→支笏湖13:50
◇下り=支笏湖10:10→千歳11:00、支笏湖12:00→千歳12:50

【札幌市】大型アヒル・バスお目見え (1948年6月10日)


札幌市に8日、新型市バスが到着した。もとアヒルと呼ばれた米国製の水陸両用車に国産の車体をつけたもので、105馬力という強力なもの。定員は62名となっているがスシ詰めにすれば120人以上は乗れるとあって、つめるのがお得意の当局に新威力を加えるというわけ。まずは10日から1台が市内各線でお目見えし、7月末日までに濃紺と黄のデカイ姿7台をそろえる。

(写真:到着したアヒル・バス)

中央バス石山線乗り入れ反対 (1948年6月29日)


市バスと定鉄バスの同一路線に乗り入れようという中央バスの札幌駅〜八垂別・石山経由〜常盤橋間、約17㌔の運転免許申請(目下、真駒内経由で運転中)に対する第19回交通常任委員会は18日午前9時から札幌で開会し審査の結果、つぎの理由で中央バスの免許反対を議決、これを来月5日に土建協会で開催する道地方道路運送委員会に提出することになった。

①申請路線中の札幌駅前〜八垂別間は市営バスが現在運行中であり近く??前と豊平町界まで延長、さらに7月から増車運転の計画があるので他の業者の力を求める必要はない
②同一路線で利害相反する2以上の業者による運営は必然的に競争を誘発、不測の不祥事が発生する。ことに藻岩橋以南は道幅員狭隘に加え、勾配、カーブの連続で安全交通の建前からも競合は避けなければならぬ。
③車輌はじめ運転諸資材不足の折柄、これらを有効適切に運用、利用者の便をはかるべきだ

 なお公聴会には議会、交通委員会から各1名、市および利用者代表各1名、計6名が出席する。

各地でバス路線争奪戦 (1948年7月3日)


省営か民営かでもみぬいた開拓路線問題がどうにか解決した矢先、こんどは民間業者のバスルート争奪戦や経営難の私鉄とバス会社の間に路線をめぐってイザコザが激化し、これが中に入る各地方統監事務所、道路運送委員が解決に手を焼いている一方、札幌、美唄地区などでは公聴会を開いて世論に訴えるなど相当深刻である。道内各地の対立状況は―

中央バス石山線乗り入れ問題 (1948年7月5日)


中央バス石山線(札幌〜常盤)の乗り入れに対し、市交通局と定鉄が猛反対している問題で、同線の運行免許申請を決定する道地方道路運送委員会は5日午前10時から道土建協会で開催、決定の公正を期するため公聴会を開いたが、詳細調査のため決定に憤懣を期したいとの動機を採択、5日未決定のまま散会した。

 市交通局では「7月から八垂別線をさらに増車するので他業者の力を求めることはない、同一路線に利害相反する業者が多数入ると競争の結果、不測の不祥事が発生するおそれがある」と述べ、定鉄側も「運転諸資材不足の折から無用の競争はムダである」と反対の姿勢。

 これに対し中央バスでは「札幌〜常盤台〜支笏湖線を現在の支笏湖線(千歳〜支笏湖)に結び環状線にするものであり、決して市および定鉄が心配しているような無用な競争は発生しない」と言っている。

【札幌市】山鼻線、白石線を再開 (1948年7月10日)


札幌市営バスは10日から山鼻線(丸井横〜松竹座〜中島公園〜行啓通〜山鼻小学校〜石山通)を復活、さらに白石線(丸井横〜北1条〜1条橋〜白石3条〜東札幌)の運転を再開する予定だが、前者は2台で20分おきに、後者は1台で50分おきに、運行料金はいずれも2区間となる。

【札幌市】デイゼルバスお目見え (1948年7月14日)


電気バスに続いてアヒル・バスと、このところ続々新手を繰り出して市民の足確保につとめている札幌市交通局にこんどはデイゼル・バスが到着、14日から市民にお目見えする。

 これは東京の民生産業から購入したもので1台83万円。機関はクルツプユンカース2円程、3気筒の90馬力。車体の大きさはアヒル・バスと同じでスマートではないが、交通局では「90人、100人乗っても平気です」とゴ自慢。月末までには5台揃うことになっている。

バスダイヤ改正 (1948年7月15日)


中央バス、定鉄、札鉄局では15日から次の通りバス時間を変更。

【札幌市】値上げ、バス今秋から快適に (1948年8月1日)


札幌市電とバスが1日から1区間5円と2倍にハネ上がるが、市交通局では「バスは今秋までに、電車は来年いっぱいで昔のように楽になります」と語っている。

 かつては全市にわたり50台近く運行されていたバスも昭和12、3年ごろからポツポツと姿を消しはじめ、終戦当時はわずか4台というミジメな姿で走っていたが、昨年はじめられた復興計画の掛け声に電車より早く矯正、1年間先回りして今年で全計画を完成する予定。

 市民の注目を浴びた電気バス、アヒルバスなどの新バスも続々到着し秋までには電気バス、ジーゼルバスいずれも10台、アヒルバス7台と新旧とりまぜて46台が頭を揃えるはずだから市民の足は文字通り軽くなる。

80人乗り観光バスお目見え (1948年8月14日)


道中央バスがかねて三菱川崎工場に製作依頼中の大型バス(100馬力、定員80名)がこのほど完成、この夏から市内をABCの観光コースに分けて散策する。

 いわゆるロマンスシート式の2人並び座席で、新婚旅行などにはおあつらえむき。なお同社では専属の案内ガールを養成中で、この秋には昔なつかしい説明つきで定山渓や支笏湖などの観光地帯にも走らせる。

(写真:新装の大型バス)

【札幌市】八垂別線を延長 (1948年8月23日)


23日から市営バス八垂別線を従来の「石切山町界」まで運行していたのを廃止して「八号沢」までの運転に変更する。

【定鉄】定山渓まで延長 (1948年8月25日)


定鉄は札幌駅前〜簾舞まで運転中のバスを、25日から一部定山渓まで延長運転する。定山渓行きバス時刻は次の通り。
 (下り)札幌駅前発=700 1430、(上り)定山渓発=850 1630(所要約1時間34分)

【省営バス】十勝5線の運行内定 (1948年9月5日)


運輸省では省営バスの新規線について協議中だが、十勝支庁管内で次の5線が来年度から運行されることに内定した。

競馬場へ臨時バス (1948年9月10日)


11日開幕する国営札幌競馬に伴い、中央、定鉄、市営バスでは11、12、18、19、23、25、26の7日間、約30台の自動車を動員して競馬場行き臨時バスを運転する。発車場所などは次の通り。乗車券は車内で発売する。

中央、省営バスのダイヤ改正 (1948年9月15日)


中央バス、札鉄局では15日から運転時間を変更する。

【国営バス】長広線ダイヤ改正 (1948年10月15日)


札鉄局では15日から国営バス長広線の一部運転時間を次の通り変更。

【国営バス】開拓バス路線スタート! (1948年11月3日)


道総合開発の一環として計画されてから、一時は国営か民営かでもんだ国営バス開拓路線の営業が開道80周年記念日をと、3日からいっせいに開始されることになった。

 真狩、旭川など4地帯の国営バス交渉のため、中部開拓自動車期成同盟会長以下関係町村長が上京して運輸省と協議していたが、9月17日に運輸省川村自動車局長が総司令部パウエル自動車部長を訪問し、4地帯いっせいに開通することが決定した。

 新ルートは江別、旭川、帯広、真狩4地帯を舞台とし、8地区243.6㌔におよぶ開拓運転キロ数では全国最大のもの。34台の新型バスが配置され、交通に恵まれなかった田園地帯の輸送力に新威力を発揮する。なお開拓路線Bクラスの5系統(延長124.5㌔)は道路改修の関係で来春早々からスタートする。各地帯別の新路線、運転回数、停留所は次の通り。

【札幌市】貸切バス到着 (1948年11月25日)


昔なつかしい観光バス2台が25日市交通局に到着、近く貸切専門バスとしてデビューする。このバスは1台70万円、24人分として12個のロマンス・シートが前向きで並んでいるスマートなもの。お葬式や結婚のときにもぜひご利用くださいと市では望んでいる。貸切料金は次の通り。

【札幌市】手稲スキー滑降バス運行 (1949年2月4日)


市交通局では国体道予選大会2日目となる4日の滑降競技に備え、札幌市役所前〜省営バス西野停留所間にバスを運行する。西野停留所から滑降ゴールまでの距離は約3㌔。片道20円で乗車券は3日の開会式で発売する。発車時刻は札幌市役所前発7:00、西野発15:00 15:30 16:00の4本。

【国営バス】中央長沼―漁間スタート! (1949年3月15日)


国営自動車は15日から長恵線の中央長沼〜漁間で運輸営業を開始する。南長沼と中恵庭では旅客のほか到着手荷物、小荷物および貨物も取り扱う。停車停留所は次の通り。(「官報」より)

【国営バス】本様似―荻伏築港間スタート! (1949年3月15日)


国営自動車は15日から日勝線の本様似〜荻伏築港間で運輸営業を開始する。荻伏築港では旅客のほか発送車扱貨物も取り扱う。停車停留所は次の通り。(「官報」より)

札幌郊外のバス路線争奪 (1949年4月3日)


札幌市交通局ではさきに市バスの近郊進出を計画、丘珠線その他の路線開設申請を行ったが、これとほぼ同時に中央バス、定鉄もそれぞれ同一方面に競争線の開設を計画して申請、市郊外のバス路線開設をめぐり市交通局、中央バス、定鉄3者の競争がはげしくなっている。

 この状況に道路管理事務所では3者の意向を確かめ無用の競争を避けるため乗り出したが、市では2日交通常任委員会を開いてその問題を協議、市内バスでさえ満足に運行されていないのに郊外まで進出する要はないという一部委員の意見に対し、当局は「バス事業は遠距離運行になればなるほど収益が上がる、現在の市バス1㌔当り収益は八垂別線が96円43銭、琴似線が59円64銭なのに対し、山鼻線は12円97銭であることからもこれは分るはずだ」と強調、結局既定方針通り進むことに決定したが、中央バス、定鉄の計画にもある程度同調して市バス路線の改廃を行い、今後の交渉に弾力性を持たせることになった。

【札幌自動車】火葬場行きバス運行 (1949年4月3日)


会葬者だけが乗れる火葬場行きのバスが近く運転される。これは経済的負担が大きくてなかなか利用できない一般乗用車に代わって会葬者の足を安く確保しようと、札幌自動車会社が始めるもの。2日の市交通常任委員会の同意も得たので近く中央に申請されるが、コースは北5条西5丁目架橋のところから火葬場まで、料金は1人片道20円程度。

冬季運休線の再開など (1949年4〜5月)


雪解けにより運休路線を再開する。

スズラン狩り臨時バス (1949年6月5日)


中央バスは5日、鈴蘭狩りの旅客の便を図るため五番館〜島松間に臨時バスを運転する。また札鉄でも6〜12日まで島松駅〜旧島松演習場間に1日1往復の臨時省営バスを運転、バスは千歳線の札幌方面接続列車(島松着8:55、島松発17:55)にあわせ運転する。

競馬、野球場直行バス (1949年7月9日)


中央バスと市交通局は9日からの札幌競馬の期間中、大通、拓銀前、札幌駅前から競馬場直行バスを運行する。なお中央バスは9〜11日まで、拓銀前から円山総合グラウンド行きバスも運行する。

【定鉄】墓参バス運行 (1949年8月13日)


定鉄は13日、墓参者のために札幌駅前〜平岸墓地間の臨時バスを運行する。
◇運行時刻=7:00〜10:00、15:00〜19:00まで30分ごとに発車
【停車停留所】札幌駅前 丸井前 保全病院前 豊平橋 豊平駅前 豊平墓地 平岸墓地

円山球場臨時バス (1949年8月18日)


18日から開幕する道新主催プロ野球に中央バス、市交通局、定鉄では円山球場行き臨時バスをつぎの通り運行する。

バスダイヤ改正 (1949年9月15日)


国鉄、市交通局、中央バスは15日からバスの運転時刻を次の通り変更する。

札幌競輪場行きバス (1949年10月23日)


札幌郡豊平町字月寒旧練兵場(1万5千坪)の敷地に1650万円の工費を投じ、8月23日から工事が進めれてきた道営札幌競輪場がこのほど完成、中央バスでは完成を祝って23日に行われる道営札幌競輪場竣工記念アマチュア競輪大会場行きバスを、次の系統で午前9時から10分ごとに運行する。なお竣工が遅れ、競輪は来春から実施される。
A 五番館〜時計台〜松竹座〜豊平駅〜競輪場
B 豊平駅〜競輪場

バスダイヤ改正 (1949年11月1日)


札幌市バス、国鉄札幌自動車部では1日から次の通り変更する。

バスダイヤ改正 (1949年11月7日)


札幌市バス、中央バスは7日から次の通り変更する。

厚田線を折り返し運転 (1949年11月22日)


19日未明発生した石狩国厚田郡厚田村大字古潭村字小谷のバス道路陥没のため、中央バスは石狩〜厚田間のバスを同地点から折り返し運転している。

 同地区ではバス道路から40㍍東側の通称岡田石垣付近の傾斜地が幅120㍍、長さ1.2㌔にわたって地すべりによって約2㍍陥没、バス道路西側約35㍍の各所に多数の亀裂を生じているため通行禁止となっている。現地住民の話によると、同地方望来には大正年間に一度陥没が起り、その直後?波が起こったといわれている。

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