中央バス最新NEWS

札幌管内 1970年代

1970(昭和45)年〜1979(昭和54)年

運賃改定による変更 (1970年2月1日)


道南バスの運賃が1日から値上げされるため、"同一距離は同一運賃"の原則から、競合する中央バスの札幌〜室蘭間の運賃も450円→500円に調整値上げする。

札幌―大麻競願問題に決着 (1970年2月14日)


札幌陸運局は14日、"札幌のベッドタウン"江別市大麻団地と札幌を結ぶ定期バス路線を北海道中央、札幌市営、国鉄バスの3業者に認可した。運行開始は市営、国鉄が4月ごろ、中央が6月以降の見通し。昨年11月に夕鉄バスを含め4バス業者の競願となっていた。

 免許されたのは市営と国鉄バスが米里通り〜東高前〜国道12号線を経由して札幌に至るコース。中央バスは厚別幹線通り〜雁来橋〜苗穂を経由して札幌に至るコース。運行回数は各15往復以内でバス停の位置や名称は3バス業者ができるだけ同じとし、市営と国鉄は共通定期券発行が条件。

 一方、却下になった夕鉄バスについては国道12号線の輸送対策として、札幌〜北海鋼機間の急行便10往復を札幌〜あけぼの団地間の15往復に拡大、江別から札幌への通勤・通学輸送を担当することとし、従来ノンストップだった札幌市内に15ヶ所の停留所を設けることが認められた。申請された大麻団地内のバス停は次の通り。

札幌市内のマチマチ乗降法 (1970年2月24日)


札幌市内を走るバス、市電の乗降方式は業者や路線によってマチマチで、たびたび変わる乗降方式は市民や地方からの客を戸惑わせ「利用者の身になって再検討してほしい」と不満の声が高まっている。

 これは1963年ごろから乗務員の確保難、人件費の節約を目ざしてワンマン化が進められ、車内を回って乗客を誘導、料金を集めていた車掌が減ったことで乗降方式や支払い方法が複雑化したのが原因。札幌陸運局によると「バスは当初、客が少なく運賃も同じ路線だけにワンマンを認可したが、不採算路線が増えるにつれ、運賃も違う郊外線に採用され、各社ごとに方式を考え、これが複雑化する原因となった」と説明している。つまりワンマン化による人件費節減のシワ寄せが乗降方法の多様化となって現れたワケだが、乗降方法の調整については「各社ともそれぞれ事情があり、いまとなっては同じ系統は同一方式で走らせることを守らせるだけだ」と手をこまねいている。各バス、電車の乗降方式は次の通り。

【池田町】本道初の町営バス! (1970年2月24日)


十勝管内池田町は本道で初めての町営バスを24日から運行する。札幌陸運局から23日付で運行が認可され、同日試乗式、翌24日から営業開始する段取り。同町には2年前まで国鉄バスが運行していたが、同町郊外の居辺橋が一昨年11月にかけ替え工事で重量制限が行われたことを理由に1年以上も休止したまま。今回認可されたのは池田駅前〜士幌町界(27.4㌔)間、19停留所、1日3往復で料金は180円を予定している。

 道内バス路線は人口流出による過疎化とハイヤー・タクシー、マイカーの普及に伴って、69年度23系統、来年度は網走、十勝、上川、空知地方を中心に17社80系統の休廃止が予定されている。このため道は昨年11月に道内7陸運事務所ごとに「過疎バス路線対策連絡会議」を発足させ、本格的に辺地の交通確保対策に取り組んでいる。

【道南】洞爺サマーランドを建設 (1970年3月5日)


中央バスが昨年春、小樽市朝里川温泉のホテル経営に乗り出したのに続いて、道南バスが5月中旬オープンを目ざして洞爺湖温泉街にレジャー施設「洞爺サマーランド」を建設している。建設工費は10億円にのぼり、本館が地下2階、地上4階、延べ約8550平方㍍、別館のパノラマホールは約3420平方㍍で、温水プールを中心にサウナぶろ、大浴場、熱帯コーナー、各種遊戯施設を配置し、専属のハワイ・フラダンスチームもあるというデラックスなもの。いうまでもなくバス事業と観光を結んで増収をはかろうという作戦。

大麻団地線の終点延長 (1970年3月21日)


中央バスは21日から大麻団地線(江別駅前〜大麻駅前〜大麻16丁目)の終点を西町まで約400㍍延長し「扇町」「西町東」「西町」の3停留所を新設する。1日15往復で料金は大人30円、小人15円。同団地第3住区の扇、西町の入居増に合わせ利便をはかったもの。ダイヤは次の通り。
【江別駅前発】6:45 7:20 8:00 8:50 10:10 11:40 12:50 14:00 14:50 15:30 16:00 16:40 17:25 18:30 19:30
【大麻西町発】7:25 8:00 8:40 9:25 10:50 12:20 13:25 14:50 15:25 16:10 16:35 17:10 18:05 19:00 20:05

篠路駅前団地線スタート! (1970年4月1日)


中央バスは1日から篠路駅前団地線(札幌ターミナル〜篠路駅前団地)を運行開始する。札幌ターミナル発は1日15本、篠路駅前団地発は18本(うち4本は北営業所止まり)。料金は篠路線の札幌ターミナル〜篠路駅前間と同じ大人片道60円、小人30円。

 同団地のバス通勤者、通学生はこれまで線路の反対側にある篠路線「篠路駅前」バス停まで歩いていたが、昨年春から同団地が中央バスに新路線の開設を陳情していた。なお従来の定期券では今回新設する3停留所から乗降できない。

 これを記念し、同日午前6時半から篠路駅前団地で団地の人たち約50人が集まって「中央バス運行開通式」が行われ、鈴木団地町内会長らがあいさつしたあと、晴れ着姿のお嬢さんが運転手と車掌に花束を贈呈、鈴木会長と大塚道勤労者住宅生協専務が紅白のテープにハサミを入れ、始発バスがスタートした。
【停車停留所】札幌ターミナル〜(茨戸線と同じ)〜横新道中央 団地入口(新設) 生協マーケット前(新設) 篠路駅前団地(新設)

東急の躍進 (1970年4月16日)


東急が本道に乗り込み『東急旋風』を最初に巻き起こしたのが1957(S32)年。函館バスに続いて定山渓鉄道、北見バス、宗谷バス、早来運輸、北紋バス、網走交通、斜里バスとめぼしいものを片っ端から手に入れた。中央バスの乗っ取り失敗や五島慶太社長の死去で“進攻”は一応おさまったものの、65年頃から再び進軍ラッパを鳴らし、バスのほか路線トラック、ハイヤー、石油など多方面でじわじわ規模を広げ、現在道内での東急系は定鉄を頂点に20社を数える。また本州とつなぐ道内一貫輸送体制確立をめざして、北見貨物、南宗運輸(旭川)、渡島運輸(函館)の東急系路線トラック3社の大同合併を図るなど体制固めに力を入れており、いぜんとして運輸業界では「台風の目」となっている。

 本道東急の本拠である定鉄では、これまで“お荷物”だった札幌〜定山渓間の軌道電車を昨年秋廃止して身軽になったうえ、札幌駅北口に約3300平方㍍の空き地を所有、そっくり残っている鉄道部門の社員を有効に使って新たな事業に乗り出すのは確実といわれ、子会社の国土計画を通じて札幌市南2西11の中央電車車庫跡地北側に道内一を誇る15階建てデラックスホテルの建設に乗り出し、札幌進出を果たそうとする西武とともに本道の観光・ホテル業界に波乱を起こしそうだ。

夏ダイヤ改正による変更 (1970年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

東千歳線ワンマン化 (1970年6月1日)


中央バス千歳営業所は1日から東千歳線(千歳ターミナル〜東千歳)のワンマンバス運行に踏み切る。これで同バスの千歳市内路線はすべてワンマン化され、長年親しまれた"車掌さん"が姿を消すことになる。

 同社は昨年12月、車掌不足と労務管理の問題から市内を走る富岡団地線、大和団地線、北栄団地線を皮切りにワンマン運行をスタート。市内初のワンマンバスとあって当初は乗客から「サービスが悪い、味気ない」などの声が寄せられたが、半年たって大部分の乗客がなじんできたと同社が判断、全線ワンマン化に踏み切った。料金の支払い方法は、これまで乗客の口答で乗車区間を判断する"信用方式"を採っていたが、今後は乗車時に発行する券で料金を払う"整理券方式"となり、文字通り機械化される。

 市内路線を走る同営業所のバス10台のうちワンマンバスは7台だが、このうちワンマンに適している"電車式"座席車は2台しかなく、残り5台は不便な"列車式"座席車。乗客からは「前から乗って前から降りるのに、列車式座席バスだと混み合う時は窮屈だ」との声もあるが、同営業所では「バス不足でしかたがない」という説明。機械化による会社の合理化、効率化のカゲで、市民の足としてのサービス低下を心配する市民の声も根強い。

【国鉄】札幌駅前のりば変更 (1970年6月10日)


札幌駅地下鉄工事に伴い、10日から国鉄バスの駅前ホームを駅の東寄りに移設する。新ホームは現在の同バス降車口隣に移され、現在より長い約90㍍のホームに各乗り場を新設する。現在のホームは近く取り除かれ、自家用、ハイタクの駅前駐車に活用される予定。

 新バスのりばは東側から①下白石・旭町方面②下野幌・大麻団地方面③江別・岩見沢・美唄方面④長沼・恵庭・手稲公営住宅・発寒団地方面⑤手稲町・手稲鉱山方面⑥小樽方面(特急・急行)⑦同(快速)が新設される。

(写真:店開きした新・国鉄札幌バスセンター)

札幌―大麻間 運行スタート! (1970年6月11日)


中央バスは11日から大麻線(札幌〜大麻〜江別、札幌〜大麻駅前)を新設する。2系統あわせて1日15往復、いずれも急行便にして札幌〜大麻間の所要時間を33分に縮める。4月末から運行している国鉄、札幌市営と同じく大麻団地裏の9号線、東米里経由の札幌への近道ルートを走り、料金は国鉄、市営バスと同じ。これと同時に現行の大麻団地線(江別駅前〜団地西町間)のダイヤも改正する。当初6月1日から運行する予定が、道道東雁来―江別線の雁来橋付近1300㍍の路盤が悪いため、改良工事を待って運行開始の運びとなった。停車停留所と運行ダイヤは次の通り。

太平団地線スタート! (1970年6月25日)


中央バスは25日から札幌市の内外太平町内会住民から陳情が出ていた太平団地線(札幌ターミナル〜北営業所〜太平団地中央)を運行開始する。石狩街道の「1番通り」から北王団地に入り3停留所を新設。1日11往復で運賃は片道大人50円、小人25円。
【停車停留所】札幌ターミナル〜(篠路駅前団地線と同じ)〜1番通り 太平2番(新設) 団地南(新設) 団地中央(新設)

石狩海水浴バス臨時運行 (1970年7月19日)


中央バスは7/19〜8/16まで恒例の海水浴場行き臨時便を運行する。

 石狩線(札幌タ〜石狩)、十線浜線(札幌タ〜十線浜)、オタネ浜線(札幌タ〜十線浜〜オタネ浜)の3路線走らせ、石狩線が1日4往復、昨年から開始した十線浜線と今年から運行するオタネ浜線は合わせて9.5往復。雨天の場合は中止。

【定鉄】後乗り前降り型バス導入 (1970年7月20日)


定鉄バスは20日のダイヤ改正から札幌市内の路線バスに道内初の"後ろ乗り前降り型"ワンマンバスを運行する。

 このバスは前と後輪の後ろに扉があり、おもに関西方面で多く導入されているが道内では初めて。価格は1台430万円。同社はこのワンマンカーを15台購入し、20日から平岸東線(札幌駅南口〜平岸高台)、札幌駅北口線(札幌駅北口〜慈恵学園)、中の島線(札幌駅南口〜中の島〜慈恵学園・下西岡)の市内3路線に走らせる。

 市内を走るワンマンカーは各社とも前と中央に扉があるが「中乗り」だと客が出口付近にかたまって混み合い、後ろ乗りではそうした欠点が解消される。また防護装置をつけなくても車輪に巻き込まれる心配がなく、同社は好評なら来年度も購入し、将来は全路線に普及させたい考え。

(道内初登場となる後乗りワンマンカー)

【道南】幌別ダム花火大会臨時バス (1970年8月8日)


道南バスは8日夜、幌別ダムの川上公園で開催される花火大会に次の通り臨時バスを運行する。

墓参臨時バス (1970年8月13日)


中央、市営、定鉄バスは13〜16日まで墓参臨時バスを運行する。

千歳駅―千歳空港間の直通バスを (1970年9月10日)


千歳市街から千歳空港に向かうバスは現在、中央バス千歳ターミナル(千歳市本町2)からしか出ていないが、道内を訪れる観光客からは千歳駅と空港を結ぶバス路線を望む声が多いことがわかった。

 これは市が6/16〜8/16まで試験的に千歳駅内に設けた観光案内所に寄せられたもの。このほか千歳観光の一枚看板、支笏湖へ行くバスの便が足りず「最盛期だけでも臨時便を出してほしい」などの声も多かった。

 これを受けて国鉄、市観光連盟、千歳観光株式会社の3者は10日ごろに反省会をもち、中央バスに路線面での改善を働きかける方針。

【札幌市・定鉄】運賃改定による変更 (1970年10月1日)


札幌市営と定鉄バスは1日から値上げに踏み切るが、両バスと並行して走る中央、夕鉄、道南、沿岸、支笏湖観光バスの5社と、国鉄バスの市内運賃も同日から足並みをそろえて同調値上げする。

大麻団地の利便アップを (1970年10月7日)


すでに人口1万7千人に膨れ上がった江別市大麻団地の造成も、ことしが最終ラウンド。5月から国鉄、札幌市営バスが米里経由、続いて6月から中央バスが東米里経由の札幌近道ルートでそれぞれ大麻〜札幌間に乗り入れた。

 一方、団地の西はずれに当たる西町や扇町地区は札幌直通バスが通ってなく、南北1㌔、東西3.2㌔の団地は地区によって、ちょっとした"交通過疎"の状態にあり、西町自治会などは潤沢な札幌直通バス路線と団地環状線の新設を発足以来の重点目標にしている。

 この点について中央バスは「駅前業務センターにバスターミナルができる来秋からは、西町経由の札幌直通バスと団地環状線を設ける考え」といい、国鉄バスは「実施はいつになるかわからないが、団地環状線は検討中」との答え。一方、札幌市営バスは「団地環状線は将来の検討材料」としながらも、11月20日の冬季ダイヤから現在の12丁目〜14丁目経由〜札幌(上下30便)を新たに15丁目に延ばし、再び14丁目にUターンする新路線に切り替えるという。

 半面、増便については各社とも「現状の少ない利用客では完全に採算ベースを割っている」として、逆に冬季ダイヤから直通便間引きを検討しているところもある。さらに近道ルートのため、従来の国道12号線より10分は短縮―のうたい文句だった3バスの札幌直通便は、道道東雁来線、札幌市道米里線のアバタ路面で"スピードアップ"は完全に看板倒れの状態。利用者、バス会社からの苦情も深刻で、札幌土現ではことしから東雁来線の路盤改良工事にはいり、近く舗装のスケジュールだが、米里線は目下舗装の予定はなく、ここしばらくは"最適な通勤、買い物バス"は望めそうもないようだ。

札幌市内3路線を休止 (1970年10月11日)


中央バスは11日から次の市内3路線を休止する。これらの路線は市営バスや定鉄バスと競合しているうえ、利用もほとんどなかった。

札幌市内のバス暖房サービス (1970年10月26日)


札幌市内を走るバスの車内暖房のうち、市営バスはエンジンの熱で温められた水を車内に送る温水式が223台、灯油を燃やして暖かい空気を送る温風式が110台、温水温風併用式が274台ある。中央、定鉄、国鉄バスはすべて温風式を採用している。

 温水式はエンジンが熱くなるまで温度が高くならない欠点はあるが、温風式のように灯油代もかからず経費が安いうえ、引火による火災、排気ガス中毒の心配がないなど、衛生上の利点もあって重宝がられている。

 市営バスは昨年、1台だけテストした温水式の改良型を、ことしは10台以上に拡張することにした。これはカナダで実用化されているもので、ラジエーターに自動温度調節器付きの防寒幕を取り付け、車内を回る温水の温度差を小さくする。また車内の配管も太くしてあり1時間当たりの熱エネルギーは2万4千㌔カロリー。ちなみに温水式は3〜5千㌔、温風でも中央が1万6千〜2万㌔、定鉄は7千5百〜1万3千㌔というから、威力はかなり強そう。

 しかし、暖房設備が整っても、調節の難しさは各社共通の悩み。中央バスは客席のほぼ中央から運転席の下に自動調整器を取り付け、20〜25度にセットしておいて、寒くなると暖房器が自動的に働くようにしている。ところが、この装置は調整器周辺の気温で動くので、車内全体の温度に反応するわけではない。定鉄バスは一時、全車に取り付けたが、運転席のあたりが寒すぎて乗務員に嫌われ、最近は手動式に切り替えつつある。市営はすべて手動式で、車内温度は運転手の感覚次第で上下しているケースが多く、利用者の苦情をやわらげる決め手はいまのところなさそう。それだけに各社とも暖房サービスに頭をいためている。

冬ダイヤ改正による変更 (1970年11月1日)


1日から冬ダイヤを実施。札幌市内線は夏ダイヤとあまり変わらないが、住宅団地系統を増強する。

地下鉄完成後の路線再編成 (1971年1月5日)


札幌の地下鉄完成まであと1年、この開通によってバスの利用者が地下鉄に流れ、市内に定期バス路線を持つ業者は少なからず打撃を受ける。バス業界ではこれを機会に路線確保を、と微妙な動きを見せているが、定鉄は定鉄軌道跡を走る地下鉄の進出と引き替えに、地下鉄開通と同時に市営バスの中の島経由真駒内線、22条橋経由の啓明線を手中に収め、真駒内団地内の路線は市営が40%を譲る約束もとりつけた。また豊平川沿いにできる幹線道路にも市営が進出しないという条件ものませたが、これでも定鉄側は「心臓に刃物を突き刺されたようだ」という。

 一方、中央バスも「地下鉄開通の影響は大きい。しかし対策はまだ考えていません」と慎重だが、これまでの"競争"からいっても市営の黒字路線への乗り入れには意欲を見せる。対する交通局も「市営バス路線は市民の財産。なかには何年も赤字に耐えて黒字路線に育てたものもあり、一本たりとも譲れない」と強気になっている。

 こうした実情から札幌陸運局は「地下鉄開通は既存の輸送体系を再編成するうえで、またとない好機だ。せっかくできる輸送の太いパイプに各社がソッポを向いて有効に使われない事態が発生しないよう、今月中に発足する道陸上交通審議会にかけて、十分に検討してもらいます」と前向きな姿勢をみせている。

【国鉄】浦河駅前乗れ入れ廃止 (1971年2月6日)


国鉄バス様似営業所は、27日ごろから浦河駅前を通る定期バスを昨秋完成した新国道に切り替えると浦河町に通告、町は「駅前をバスが通らないのは不便、さびれている駅前にさらに拍車をかける」と同営業所に路線変更中止をかけあったが話は平行線のまま。町民の間でも「住民の意思をまったく無視した一方的なもの」と批判の声が出ている。

 この問題は昨年11月、同営業所から町に「市街地のワンマン化と運転保安のため、新国道を通る路線を陸運事務所に申請する」と話があり、町は路線変更しないよう要望書を出したが、今月2日に「路線変更の申請は1日に公示され、20日には認可が下りるので路線を変更する」と突然電話で通告してきた。驚いた町は3日、田中助役が同営業所を訪れ変更中止を申し入れたが聞き入れられず、4日に善処を願う陳情書を浜口町長名で提出した。

 駅前を通るバス78便のうち列車に接続するのは上り下り合わせて32便。路線変更で駅裏の新国道経由になった場合、大通り側の停留所は駅から200㍍以上、堺町側は500㍍以上離れているため列車の利用者はグンと不便になる。

 同営業所によると「陸運事務所から運転保安上、変更した方がよいと指導を受けた。路線変更で踏切2ヶ所を通らずにすみ、時間も1分半ほど短縮される。ただし夜10時の1便だけは運行する。新しい停留所は駅から210㍍しかなく、歩く時間もそれほどかからないので協力してほしい」といっており、実施は27日から3月1日までの間になるという。

 これに対し、住民からは「単にバス停まで200㍍歩けばすむという問題ではない。浦河は官公庁のマチだけに来客も多く、いまでも駅前は山で民家が少なくさびれた感じ。このうえバスが通らなくなったら、ますますさびれる。駅にバス停のない人口2万人以上の町は道内のどこにもない」と批判の声が出ている。

 田中助役は「国鉄バスとケンカする気はないがあまりにもひどすぎる。どうしても変更するというならせめて列車と接続する32便だけでも駅前を通ってもらいたい。もし、これも受け入れられないなら、聴聞会にかけてでも駅前の路線をなくしたくない」といっている。

プレ五輪臨時バス (1971年2月7日)


7〜14日まで行われるプレオリンピックの会期中、中央バスは一般観客のため、五番館前〜札幌ターミナル〜恵庭会場(恵庭岳)間に臨時直行バスを運行する。会期中はマイカーによる会場への乗り入れは全面的に禁止になる。(支笏湖観光バスも五番館横から発車)

【国鉄】浦河駅前乗り入れ問題が解決 (1971年3月10日)


国鉄バスの浦河駅前乗り入れ廃止について、浦河町は「国鉄バス路線変更反対」の陳情書を国鉄北海道地方自動車部へ出していたが、町と国鉄バス様似営業所が話し合った結果、同バス側は今月はじめに回答した上り6便、下り5便に、さらに町が要望した上り1便増を認め、合計12便を同駅前に乗り入れることになった。

 これは当初、町との折衝で同自動車部が回答した"駅前乗り入れは上り1便のみ"からみると大幅な譲歩となり、これによって同バスは、様似〜浦河第一中線など上り7便、下り5便を浦河駅前に乗り入れるほかは新国道を走ることになる。

 近く新ダイヤの編成に取りかかるが、新路線での運行は路線運行申請手続き、新国道運行に伴う新停留所標識の製作などの作業があるため5月の夏ダイヤからになる見通し。

夏ダイヤ改正による変更 (1971年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【恵庭市】盤尻に市営バス (1971年6月15日)


中央バスが赤字を理由に3月いっぱいで盤尻線(恵庭駅〜盤尻間 3往復)を運休し、陸の孤島と化した恵庭市盤尻地区。市は住民の足を確保しようと、このほど市営バス方式による運行を決めた。

 同地区は市街地から西へ約10㌔、道道恵庭―鉱山光竜線沿いにあり、10年前には約70戸あった農村地域も盤尻小が1964年廃校し、いまではわずか34戸というさびれよう。児童、生徒の通学はスクールバスの投入で一応確保されたものの、足を失った住民の悩みは深まるばかり。

 中央バスは「廃止ではなく中止」と説明しているが、再開のメドは絶望的。盤尻を孤島にするな―という市民の声で、市が対策を検討した結果が市営バス方式。具体的にはスクールバスを使って、市内大町郵便局から盤尻までの9㌔を児童、生徒の通学に支障をきたさない時間帯に運行するというもので運賃は50円。

 12日閉会した第2回定例市議会で市バス条例が新設され、市はこの路線をいま札幌陸運事務所に申請中。認可されしだい運行させたい―といっており、これで同地区住民の足の確保に一応メドがついた。

中央バス機構改革 (1971年7月3日)


中央バスでは松川嘉太郎前社長が引退、杉江猛新社長体制でスタートしたが、このほど社内機構を一部改正した。

【道南】有珠海水浴場行きバス (1971年7月26日)


道南バスは7/26〜8/8まで室蘭駅前〜有珠海水浴場間に臨時バスを運行する。1日2往復、料金は片道260円(小人半額)で郊外線の停留所に停車する。運行時間は次の通り。

十勝バス、道東バス合併 (1971年8月7日)


十勝、道東両バス合併に伴う臨時総会が7日十勝バス本社(帯広市西2南11)で開かれ、席上、野村勝次郎十勝バス社長は「道東バスを吸収し、10日に合併登記を行いたい」と報告、承認された。新会社は従業員約600人、バス台数182台。役員は現十勝バス役員全員のほか、新たに中島国男道東バス会長、中島郁男同社長の2人を取締役に加え、道東バスの名称、標識はすべて「十勝バス」に変わる。

【国鉄】浦河港まつり臨時バス (1971年8月16日)


浦河港まつりのフィナーレを飾る花火大会が行われる16日、国鉄バスは開始前と終了後にそれぞれ臨時バスを運行する。ダイヤは開始前が浦河第一中前〜東町間を18:00〜19:20まで10分置きに往復運行。終了後は浦河第一中前〜荻伏市街地〜荻伏築港〜上野深間、東町〜老人ホーム「ちのみ荘」間、幌別、様似方面が20:42(日高支庁前発の普通便に続行)、西舎方面が21:30(同)。

【札幌市】大麻バスターミナル来月オープン (1971年8月17日)


札幌市交通局が江別市大麻東町に建設を急いでいた「大麻バスターミナル」が近く完成のはこびとなり、9月15日オープンを目ざしている。

 人口約1万8千人が暮らす大麻団地には昨年春から札幌市営バスが東米里経由で1日14便を乗り入れているが、その大半が札幌への通勤・通学客。同団地にはこれまでバスターミナルがなく、不便なうえ交通安全上も問題という声もあり、同局がターミナルを建設することになった。

 このため交通局はバスターミナル用地として大麻東町の石狩中央信金支店横の道有地1232平方㍍を買収、7月13日から第1期工事を始め、整地、待合所、サクなどが完成。さらに8月20日からはジャリを敷いたり、一部舗装するなどの第2期工事を行う。使用開始は9月15日からの予定。バスターミナルには花壇2ヶ所のほか、乗降者用の歩道なども設けられ利用者サービスが高められる。

【札幌市】障害者の市電・バス無料に (1971年9月1日)


札幌市は重度身体障害者らの市電、市バス乗車料金の無料化を1日からスタートする。対象となるのは身体障害程度1-4級の人、知能指数50未満の精薄者(児)、戦傷病者で恩給法第1号表2項の適用者。これらの人にはこれまでも半額の福祉割引があったが、今回の措置で全額公費助成されることになる。

 このほか身体障害程度5-6級の人、知能指数が50以上、75以下の人、戦傷病者で恩給法第1号表3項の適用者、全額助成される重度心身障害者の介護人には5割の助成が適用される。

 また施設などに毎日通園する人には無料または割り引きの定期を発行、不定期に市電、市バスを利用する人には福祉事務所の認定で3ヶ月の無料券、割引券が前渡しされる。

 心身障害者などに対する助成は道内では函館市でも行っているが、重身者を無料にするのは札幌が初めて。

【札幌市】市電廃止後の代替バス (1971年10月1日)


札幌市交通局は30日いっぱいで、北5条線(長生園前〜北5条経由〜札幌駅前 2.751㌔)、豊平線(豊平8丁目〜すすきの 2.123㌔)、苗穂線(苗穂駅前〜道庁前 2.157㌔)の市電3線を廃止するが、この区間に1日から電車の代替として次の通り市営バスを運行する。

 運転回数は新設、既設を組み合わせ、北5条線は303回、豊平線は85回、苗穂線は140回の合わせて528回、民営バスがひんぱんに走っている豊平8丁目〜国道36号線を除いて市電時代よりも2〜5割近くふえる。ただ、運賃は電車が全線1区で大人25円なのに対し、バスは1区間30円、距離によって加算され高くなるケース(区間割り増し)も出てくる。

 同局はこの3線に続いて地下鉄が開通する12月中旬には鉄北線、四丁目線の一部(北24条〜西4丁目)も廃止し、地下鉄駅に結ぶ大掛かりな電車バス路線の再編成をすることにしている。1日から運行する代替バスは次の通り。

バス優先レーンお目見え (1971年10月15日)


札幌都心部のバス運行をスムーズにしようと道警本部は15日から道内初の「バス優先レーン」を札幌市内でスタート、ドーナツ型に膨張する札幌の通勤・通学者のラッシュ対策としてバスの時間短縮をねらう。

 優先レーンは、札幌駅前と薄野を結ぶ市内目抜き通りの市道西2丁目線(北5条〜南4条間1.26㌔)と市道西3丁目線(南4条〜北5条間1.26㌔)のいずれも一方通行道路。4車線のうち左側3車線(一部2車線)を日曜・祝日を除く毎日午前7:30〜9:30と午後4:30〜6:30の朝夕2回、バスが優先的に利用できるようにする。この時間帯はバスを除くマイカーやタクシーなどの車両は停駐車禁止となる。

地下鉄開通に伴うバス再編案 (1971年11月1日)


中央バスは地下鉄開通に伴うバス路線再編を計画、1日付で札幌陸運局に認可申請を行った。

 地下鉄開通で減収が見込まれる同社は、市営バスがマイクロバスで運行している屯田、篠路両線の割譲を要求しているほか、中央バス篠路線を苗穂、元町経由に切り替えスピードアップをはかるなど、市営バスの"牙線"食い込みをネラっている。このほか市電撤去後の西5丁目線(北5条〜北24条間)への乗り入れを申請、地下鉄の"北線"もけん制する構え。

 一方、地下鉄開通で経営に甚大な影響を受ける定鉄バスは、美園線(札幌駅前〜月寒公園下)を市営バス北光線沿いに北37東8まで延長、また市営山手線の向静学園前、鉄工団地線、札苗線豊畑への乗り入れを申請しているが、これには市営側の反発も予想されるため、陸運局では3業者の話し合いでなんとか調整するよう要請している。

【東亜国内航空】丘珠空港送迎バス廃止 (1971年11月30日)


東亜国内航空の札幌〜丘珠空港間送迎バスが30日限りで廃止となる。同バスは十数年前、同社の前身"北日本航空"時代にスタートしたが、現在は中央バスの定期便がひんぱんに運行、使命は終わったというワケ。一方、全日空は札幌〜仙台便のために当分は送迎バスを走らせるが、ジェット化されると発着を千歳へかえる方針。

千歳バイパス開通による変更 (1971年12月5日)


本道に初めてお目見えする本格的な高速有料道路「千歳バイパス」(道央自動車道)の開通に伴い、中央バスと北都交通は5日から路線を一部変更して同バイパスに乗り入れる。

 道央自動車道(正式名称は北海道縦貫自動車道千歳―広島間)に乗り入れるのは、中央バスの札支線(札幌〜千歳〜支笏湖)、空港送迎バス・日航線(札幌〜千歳空港)、北都交通の全日空「空港送迎バス」の3路線。いずれも従来国道36号線を走っていた広島〜千歳間を同バイパスに切り替えるが、中央バスでは「空港まで逆に3㌔延びるため時間短縮は期待できない」と話しており、当面60㌔の速度制限がひかれ、しかもバスの通行使用料は400円かかるとあって、バス会社にとってメリットは薄いようだ。

泰進建設を買収 (1971年12月)


中央バスはバス事業の斜陽に伴い多角経営に踏み出す方針を固めていたが、このほど滝川市栄町にある土建会社「泰進建設」(芥川裕司社長、従業員45人)の全株を取得、5人の役員を送り込み、同社資本金2400万円を倍額増資した。これによって同バスは建設部門に進出する。泰進建設は71年度年商6億6千万円(見込み)の中堅土建会社。90%は道路、河川工事を請け負っている。

地下鉄開業に伴うバス路線変更 (1971年12月16日)


札幌市の地下鉄南北(なんぽく)線(真駒内〜北24条間12㌔)開業に伴い、難航していた中央、市営、定鉄各バスの路線再編案がこのほど陸運局の仲介でまとまり、各社とも地下鉄開通の16日からダイヤ改正を行う。なお中央バスが申請していた篠路線の苗穂地区乗り入れと、ひまわり団地線の太平地区乗り入れについては、地下鉄との関連が薄いため見送られた。

【道南】郊外線のワンマン化など (1971年12月19日)


道南バスは19日から郊外線4路線のワンマン化など、次の通り変更する。

ファーストソニックを設立 (1972年2月1日)


中央バスは昨年12月、建設部門に進出したのに続き、ガイド・コーダー製造専門の新会社「ファースト・ソニック」(資本金300万円)を2月に設立する。カーラジオメーカーのクラリオンと提携、観光ガイドの代わりを務めるガイド・コーダー(1台約7万円)とワンマンバス用のテープコーダーを量産する。

札幌オリンピック会場バス (1972年2月4日)


中央バスは札幌オリンピック冬季大会の開催に伴って、4〜7日まで札幌ターミナルと北1条(市民会館前)から滑降の恵庭岳会場まで直行バスを運行する。札幌発は午前11時半から、会場発は午後2時から運行するが、天候の関係で変更になることがある。途中創成川、豊平川幹線、道々札幌支笏湖線を経由し所要時間は約80分。料金は往復大人520円、子供半額。停留所からゲートまでは徒歩5〜8分。

 一方、市バスも3〜13日までのオリンピック期間中、大通西5広場を臨時ターミナルとし発着場6か所を設け、ジャンプの大倉山競技場行きの臨時バスを運行するほか、地下鉄真駒内駅〜真駒内会場間に無料の連絡バスを運行、観客の足の便をはかる。

 また市交通局が観客輸送にあてる計画だった国内初の連結バス(全長16㍍、定員150人、満員時250人)については、交差点を曲がるとき、終点でのUターンなどがいまの都市構造上難しい―と道路管理者など関係機関の間からクレームが出たため見送られた。

運賃改定による変更 (1972年2月15日)


中央バスは冬季オリンピック後の15日から運賃を約27%(実質21.6%)値上げする。ここ数年は乗車人員が伸び悩んでいる反面、人件費の上昇が続いており昨年8月に運輸省に値上げを申請していた。同社の値上げは1965年3月以来7年ぶり。ただし一昨年10月の札幌市営バス値上げの際に値上げした札幌市内線(特殊区間制料金)は据え置かれる。

【札幌市・定鉄】2路線で共通定期券 (1972年3月15日)


15日から市バス、定鉄バスの両方で使える定期券が一部路線で発行される。共通になるのは市バス真駒内線と定鉄バス真駒内西線(南町4丁目〜曙町間で乗降、大通・札幌駅間)と中の島線(真駒内〜札幌駅・バスセンター間)。定鉄バスは5月1日から市バスと一緒になるのでそれまでの短期ドッキング。

  市バスの共通定期券は1970年12月、国鉄バスとの米里線で実現して以来。市交通局では国鉄バスとほぼ同じところを走る下野幌、ひばりヶ丘団地〜大通・札幌駅間でも、と検討を始めている。

支笏湖畔―オコタン間の競願合戦 (1972年3月31日)


道央圏の観光地、支笏湖周辺は中央、支笏湖観光、苫小牧市営、道南の4バスが乗り入れているが、とくにモラップスキー場周辺は道南バスを除く3業者が交錯するバスの過当競争地帯。そこへ今度は奥支笏湖乗り入れをめぐって、中央バスと三井観光開発グループの支笏湖観光運輸(千歳市)が路線争奪合戦を演じている。奥支笏湖には観光開発を見越して道南バスも路線を延ばす計画といわれ、調停を行う札幌陸運局では認可の取扱いに頭を痛めている。

 両社が申請しているのは、湖畔有料道路〜恵庭岳西側のオリンピック道路〜オコタン間の約9.2㌔。中央バスは1970年2月、支笏湖観光が同5月にそれぞれ申請したが「ただでさえ4社入り乱れて過当競争を演じているところへ新線延長といわれても判断がつきかねる」として陸運局はまる2年もこの申請を"タナざらし"にしたまま。しかし、放っておくと4年前の日勝道路のようにこじれる恐れもあるため、ようやく審査を始めるという。だた支笏湖観光の湖畔めぐりが平均乗車人員11人(道バス協会調べ、1971年10月現在)、中央バスの千歳〜支笏湖線も11.7人(同)と需要が少ないことから、結論を出すまでには相当時間がかかりそうで「それでも、なんとか年内には…」(同局自動車部)といっている。

苫小牧フェリーターミナルに乗り入れ (1972年4月17日)


苫小牧港開発は17日、下船した船客輸送について中央、道南、市営の3バスがフェリーターミナル発の路線バスを運行する計画があることを明らかにした。

 計画では中央バスは札幌、道南バスは同バスターミナル、市営バスは苫小牧駅行きで、運行はいずれもフェリー着岸時に限られる。このうち中央バスの路線はすでに認可されており、ほか2バスも近く認可の見込み。

夏ダイヤ改正による変更 (1972年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

厚田―濃昼間に定期バス (1972年6月10日)


中央バスは10日から厚田線(当別ターミナル〜石狩渡船場〜厚田)のうち2往復を濃昼(ごきびる)まで延長、浜益村から濃昼まで出ている同社滝川営業所の区間バスに接続させる。これは国道231号線(札幌〜留萌)の一部開通に伴い、地元の要望が強い厚田〜浜益間にバス路線を開設することになったもの。ダイヤは当別発8:05、13:35、濃昼発10:45、15:45。

 この結果、札幌から浜益へは石狩町(渡船口)か当別町経由で一応バスルートが開かれることになるが、運行回数が2往復と少ないうえ、濃昼で接続の待ち時間も長いため、同社は石狩河口橋の開通、道路整備状況などを検討しながら札幌〜浜益間の直通バスを札幌陸運局に申請する考え。

乗継定期券の発売スタート! (1972年6月29日)


29日から中央バスと地下鉄の乗り継ぎ定期券が初めて発売される。発売するのは地下鉄北24条駅に接続する中央バスの新琴似線、新琴似6番西線、屯田線、同(新琴似局経由)、同(1番通中央経由)、丘珠線の6路線。別々の定期券の場合より料金は3割程度安くなる。使用できるのは7月5日から。

 地下鉄と民営バスの乗り継ぎ定期券はすでに真駒内方面で、定鉄との間で実施されており、これで南、北の地下鉄両端で民営バスとの乗り継ぎができることになる。

道営北広島団地にバス誘致 (1972年7月6日)


人口3万1千人住宅団地へのトップを切って、7月中旬から道営北広島住宅団地の道営住宅314戸分の入居募集が始まるが、いま"文化生活"に必要な施設整備が急ピッチ。電話、商店などは入居にセーフの見込みで、問題は団地内のバス路線誘致。だが、バス会社では「ある程度の団地人がふえないと…」と二の足。当分は"足"のない団地住まいになりそう。

 なにしろ440㌶という道内最大の広さをもつ団地。国鉄北広島駅、市街地の"札幌行きバス"の停留所まで歩くのは大変。そこで団地事務所は団地内の"足"確保を今春から中央バス札幌営業所と路線開設の折衝を重ねているが、バス会社は採算がとれないことを理由に「人口が1万人ぐらいにまでふえないと…」と難色を示しており、団地族は当分、足の無い苦しみを味わうことになりそうだ。

札幌―浜益線スタート! (1972年7月21日)


国道231号線の石狩河口橋が20日に開通。このため中央バスは21日から札幌〜厚田〜浜益間に特急バスを1日1往復運転する。これまで滝川〜浜益間を4往復していた"滝浜線"のうち1往復を札幌〜浜益間(延長86㌔)の直通バスに振り替えるもので、道都・札幌と"陸の孤島"浜益村がこの夏から片道2時間半で結ばれる。

 この直通バスは昨秋の国道231号線(札幌〜留萌)の不通区間・送毛峠の開通以来、浜益村や同村議会などから中央バスに陳情が出されていたが、このたび石狩河口橋の開通を待って札幌陸運局に申請、13日付けで認可された。

 浜益村ではバス運行を記念し、札幌行きの始発便にあわせて打ち上げ花火を合図に紅白のテープにハサミが入れられ、バス乗務員に花束が贈られるなど盛大な開通式が開かれた。

(浜益村内で行われた札浜線開通式)

江別霊園臨時バス (1972年8月13日)


中央バスは8/13〜16のお盆期間中、江別駅前〜江別霊園間の臨時バスを運行する。料金は大人30円、小人15円。ダイヤは次の通り。
 ○江別駅前発8:50 9:50 10:30 11:10 12:10 13:10 14:20 15:20
 ○江別霊園発9:05 10:05 10:45 11:25 12:25 13:25 14:35 15:35

【国鉄】室蘭乗り入れ問題が再燃 (1972年8月30日)


国労伊達自動車分会は30日、室蘭市内への国鉄バス乗り入れを長谷川室蘭市長に要請、同市長は「実現の方向で努力する」と約束した。一時サタやみとなっていたバス路線の競合問題に改めて火がついた格好となり、成り行きが注目されている。

 国鉄バスの伊達紋別〜黄金線は昭和39年、室蘭乗り入れの足掛かりとして運行されたが、その後タナ上げ状態となり、同路線は1日の往復乗客が平均5人という赤字路線に転落。このため国鉄は今年11月のダイヤ改正で同路線を廃止する意向という。

 一方、室蘭市内は道南バスが市内全域をカバーしているが、サービスが悪いという市民の苦情が強く、そこへこの6月バス料金の値上げ申請が出され、市民の間から国鉄バスの乗り入れ問題が目下再燃、これを受けて伊達分会長ら3人が同市長を訪問、要請したもの。

 市内バス路線の競合化問題は、過去に昭和25年市営バスの運行実現、また42年国鉄バスの市内乗り入れという形で出、とくに国鉄バス乗り入れについては市議会で採択されながら日の目を見なかった。そして市民の意向をくみ上げようと"市内バス連絡協"が出来、市民のバスに対する要望を取り上げてきたが、決定機関ではないだけに市民の要望は無視されるケースが多かった。

 これに対し同市長は「いまのバス連協よりもっと強い力を持つ広域的な審議機関の設立を進めており、このなかで国鉄バスの乗り入れを国鉄へ働きかける」と述べ、要請に全面的に賛成する意向を明らかにした。

 審議機関についてはバス連協を発展的に解消、広域的な立場から伊達、豊浦など西胆振各市町村も加えて9月中に設立、将来は第3セクター方式でバス事業を行うねらいを持っている。

大谷地・北野地区に市バスを (1972年11月18日)


道路条件、中央バスの輸送エリア内などの理由で、希望するルートに市営バス乗り入れが難航している札幌市白石区大谷地の住民たちが「もう待てない」と、このほど市議会に市営バスの乗り入れを請願した。

 この一帯は大谷地団地、北野団地など千世帯以上の住民が暮らしているが、バス便は中央バスが東北通り、市営バスが団地はずれの平岡通りを通っているだけ。国道12号線から市道月寒線を通り、東北通りへというメインルートを結ぶバスはなく、ここに住む通勤者、通学生ら約800人は国道を走る市営、国鉄バスの北星大学前バス停まで約2㌔の道のりを毎日テクテク歩いており、特に小学生たちは交通事故の危険にもさらされ、ヒヤリとさせられるシーンもしばしば。住民たちは「もう限界だ」と、母親たちを中心とした「大谷地団地・北野団地子供を守る会」が市議会に駆け込んだ。

 市議会でも公営企業委員会がさっそく採択したが、この地域は札幌陸運局が中央バスの輸送エリアとしているため、同委員会の申し入れにも陸運局幹部から色よい返事は得られず、これを聞いて住民たちもガッカリ…。しかし「泣き寝入りしていては不便は解消できない」と、主婦たちはさらに結束を固めており、こんどは陸運局へ直接訴えることにした。

 これに対して陸運局は「もちろん、十分に話は聞きます」というが、同局では「国道12号線に出入りするカーブがきつい、むしろ既存の市営バス路線を増強する方が…」と、住民側の要望とは違った意見。いずれにしろ、市営バスと中央バスの利害が背後に絡んでいるだけに、住民の利益とバス企業の損得のどちらを優先させるか、同局の"大岡裁き"に注目が集まっている。

冬ダイヤ改正による変更 (1972年11月21日)


札幌営業部管内では21日から冬ダイヤに切り替わる。

札幌バスエリア問題が決着 (1972年12月15日)


札幌市内3路線の乗り入れをめぐって中央バスと市営バスが対立、一時は暗礁に乗り上げていた問題で、札幌陸運局はこのほど調整案を提示、両者ともこの案を受け入れ、来月下旬をメドに新体制でスタートする。

 問題になっていたのは市営バス東16丁目線の延長、同屯田線マイクロバスの大型化、市道月寒線―東北通へのバス乗り入れの3点。これらは住民の要望で中央バスの"ナワ張り"へ延長せざるを得ない市営バスの双方が対立、「住民の足が大切か、企業間の利害を優先するのか」と谷間に置き去りにされた住民たちの怒りが表面化、市議会からも陸運局に早期解決の要請が出ていた。

 調整案では、市営バス東16丁目線延長を認める代わりに市営バス屯田線は中央バスに譲渡、南郷通り―市道月寒線―東北通りは中央バスが乗り入れるといった内容。市交通局は15日この案に従うことに決め、中央バスもこれに倣う意向を示しており、3年越しの懸案だった屯田線大型化問題も市営バスの撤退でようやく解決する見通しがついた。

 札幌市内のバス輸送は市営、中央、国鉄、定鉄の4バスが受け持っているが、1960年前後から各社が競って郊外線の獲得に乗り出して収拾がつかず、1964年に当時の札幌陸運局長の"断"により、4バスそれぞれの輸送エリア(権益地区)が決められた。以来各社とも区域での他社バス乗り入れを極力排除、独占体制を保持しているが、ここにきて一昔前に定めた"エリア分け"の不合理さが浮き彫りになった格好だ。

屯田、南郷線に新系統 (1973年2月15日)


札幌市内のバス乗り入れをめぐって市営バスと対立、運行がノビノビになっていた中央バス2路線が15日ようやくスタートする。中央バスは新たに南郷線を市道月寒線に乗り入れ、住民から強い要望が出ていた市営屯田線の大型化については、市電鉄北線の延長ということで昭和39年12月から中央バスの"シマ"に食い込む形でマイクロバスを走らせていた市営バスが全面的に撤退、中央バスに一本化される。

(写真:中央バスに一本化される屯田線=北区新琴似)

福住地区のバス増便を― (1973年2月27日)


中央バス羊ヶ丘線(中央バスターミナル〜羊ヶ丘展望台、18往復)の本数が少なくて不便と、豊平区福住の新興住宅地の住民らが27日、同バスに増便の行政指導をするよう関係機関に要請を―と、市議会公営企業委員会に訴えた。

 雇用促進事業団福住宿舎自治会の会長ら9人の請願で、それによると同線は住民唯一の足だが、朝の出勤時間帯の午前7〜8時にはわずか4本、学童の通学もあり大変な混雑という。このほか「国道36号線、12号線、真駒内方面へ抜ける路線も新設してほしい」との要望と合わせて中央バスと交渉したが思わしい返事は得られず、市議会に持ち込んだ。

 しかし、この地区はほ中央バスのエリアになっているため、市議会としても市営バスを相手にするのとはわけが違って、ストレートに結論も出せず「まず現地をよく見てから」と、この日は継続審議を決めただけ。

もめる千歳車庫建設 (1973年2月28日)


中央バスは千歳市朝日町6丁目の千歳営業所車庫が手狭になり、このほど市道をはさんだ西側の社有地に高さ9㍍、面積668平方㍍の新車庫を建設する予定だったが、車庫北側の朝日町6丁目住民からエンジン音や日照権をめぐって反対の声が上がっている。これを受けて28日、石狩支庁は建設に反対する付近住民を集め同社千歳営業所で聴聞会を開いた。

 同社は車庫が手狭なため現在は車庫前広場にバス8台を青空駐車しており、野外駐車で騒音もひどいため新たな車庫を建設してこれらのバスを収容するつもりでいた。ところが、付近の住民はこれまでも午前4時すぎから行われるバスのエンジンを暖める作業で騒音公害を浴びせられており、新車庫で日照を奪われる住民もいて、この日の聴聞会でも「公害を出す車庫はお断わり」といった声が強かった。

 同社は「日照問題も民有地境界から2㍍は離したい」としているが、認可されるには道建築審議会から公害防止などの条件がつけられる可能性もあり、成り行きが注目されている。

運賃改定による変更 (1973年3月1日)


中央バス札幌営業部は人件費などの高騰により1日から運賃値上げに踏み切る。この値上げは昨年2月26日に運輸省から認可されていたが、同省の指示で1年間据え置いていた。

【道南】金山線廃止に反対運動 (1973年4月11日)


道南バスは昨年12月ごろから経営合理化のため日胆地区の路線縮小プランを打ち出し、各市町村に波紋を投げかけているが、日高町では金山線(日高〜占冠〜金山駅)の全線と千栄線(日高〜千栄)の終バス廃止を計画、縮小すれば同社の日高町出張所の大幅縮小が可能となり、合理化の面ではかなり役立つという。

 しかし住民にとっては金山線は富良野、旭川方面に抜ける貴重な足。また千栄線の終バスは、日高高校生徒約20人が利用する"スクールバス"でもあり、両方とも欠かせない。ところが金山線は中継点の占冠村が村営バス運行に踏み切り、占冠〜金山間は廃止が本決まりとなった。

 これに対し日高町理事者側は「一企業内の合理化反対闘争としてではなく、地域住民を守る運動として取り組む」との方針を打ち出し、金山線の日高〜占冠間の運行を道南バスに要求、町の赤字負担金の上積みなどの条件で交渉を重ねた結果、なんとか1日2往復確保にこぎつける見通しだが、その運行時間などで不一致な点も多い。また千栄線については話し合いはついておらず、道南バスは15日ごろまでに最終見解を打ち出す予定だが、町側の意向と一致を見ないまま5月1日から新ダイヤに変わることも考えられるという。

夏ダイヤ改正による変更 (1973年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

道内初のバス専用レーン (1973年10月1日)


1日から道内初の「バス専用レーン」が札幌市内3区間にお目見えする。専用レーンに指定されるのは、国道12号線の厚別橋(白石区大谷地434)〜中央区北1西3間(8.94㌔)、71年10月から試験的にバス優先レーンになっている都心の市道西2丁目線(中央区北5西2〜南4西2間1.26㌔)、同西3丁目線(同区南4西3〜北5西3間1.26㌔)の3区間。

 12号線は7:30〜9:00まで都心部への上りコース1車線、「専用レーン」に格上げされた市道2路線は左側2車線(西2丁目線は一部3車線)を7:30〜9:30と16:30〜18:30の朝夕2回実施する。同レーンは定期バスのほか、事業・自家用と通学・通園バス(マイクロバス以上)の通行も認められる。

 道警は専用レーンの実施で交通渋滞の元凶"マイカー族"を締め出し、バス利用客の通勤時間短縮をネラっており、10月中は警察官を配置して指導にあたり11月から違反車両を検挙する。

札幌市内線の運賃アップ (1973年10月20日)


札幌市営交通の値上げに伴い、20日から市バスと同じエリアを走る中央バスなどの市内バス運賃も"同一路線は同一料金に"との方針に基づき、市バスの料金アップに歩調を合わせる。

 対象となるのは中央バス37路線、国鉄バス28路線、夕鉄バス4路線、定鉄バス、道南バス各3路線、三菱バス、支笏湖観光バス各1路線の計79路線。市内路線の値上げは70年10月以来3年ぶり。

低床式バス本格運行 (1973年11月16日)


中央バスは昨年11月テストケースとして全道で初めて低床式バス4台を購入、札幌月寒営業所に配置して札幌駅前〜月寒ターミナル間など数路線で運行しているが、乗客から「乗り降りがラクチン」と好評を得ているため今秋さらに7台増車、先ごろ本格運行に踏み切った。

 このバスは従来車に比べて床がグンと低い都市型バスで、乗車口の1段目ステップが路面から35.5㌢と普通車より7.5㌢も低いため、老人や子供でも乗り降りしやすい。価格は1台430万円と14〜5万円ほど割高になるが、当初心配された冬季間の積雪でも支障がなく、同社は新規購入した7台を月寒営業所に配置してこの秋から月寒、西岡両線で運行している。この動きに刺激され市交通局でも来年度から数台導入することを検討している。

冬ダイヤ改正による変更 (1973年12月1日)


札幌事業部は1日から冬ダイヤに改正する。江別市内で停留所の統廃合を行う。

札浜線の増発を申し入れ (1974年4月27日)


浜益村と札幌市を結ぶ中央バス札浜線(札幌ターミナル〜幌)は繁忙期を除いて1日1往復しかないため、住民から増発の要請が高まっているが、同村は27日、中央バスに対し「なんとか実現の努力をしてほしい」と申し入れた。

運賃改定による変更 (1974年5月1日)


中央バスは1日から運賃を平均22.6%値上げする。石油ショックによる燃料代、人件費、車両購入費など物価の高騰が主な理由。競合路線を持つ夕鉄、千歳、支笏湖観光、北都、ニセコ、道南、沿岸、道北バスなど、道央地区を中心に一部道北、道南地区にまたがる14社の運賃も"同一距離、同一運賃"の原則から調整値上げする。札幌市内は一部地域を除いて昨年秋の札幌市営バスの運賃改定で値上げしたため据え置かれる。

 同社の値上げは昨年8月に札幌陸運局に提出されていたが、本道バス業界の最大手企業であり影響も大きいことから経営の合理化を同局から要望され、値上げが延期されていた。中央バス労組は同盟系のため今春ストはしないが、利用者は運賃値上げのパンチをくらいそうだ。これにあわせて一部路線の変更も行う。

春のニュー・フェイスが登場!! (1974年5月17日)


中央バスはこの春から新車117両(貸切46、路線71)を大量に購入した。これで同社の保有総台数は988両(貸切156、路線832)になる。

 型体別で分けると全員が座れるロマンス車が62両(うち46両は貸切)、乗り合い専用の三方車が55両。営業部別では小樽29両(ロマンス11、三方18)、札幌47両(ロマンス26、三方21)、空知41両(ロマンス25、三方16)となっており、ロマンス車はこれまで11あった座席シートの横列を1つ減らしてゆったりさせ、シート間隔が従来の74㌢から85㌢に広がった。またボデー左外側部には大型荷物を収容する荷物室(幅2.2㍍、高さ52㌢、奥行き65㌢)が新たに設けられている。三方車は昨年テストケースとして4両購入して好評を得たステップの低い「低床式バス」を7両導入し、札幌月寒営業所に配車したほか、さらにラッシュ対策として全車が定員87〜92人の大型ボデーになっており、昨年度延べ利用客1億6400万人の実績を大きく上回ろうと、夏本番の活躍を待ち構えている。

夏ダイヤ改正による変更 (1974年6月1日)


中央バスは1日から夏ダイヤに改正する。

対雁工業団地の不便解消を… (1974年7月)


江別市の対雁工業団地と市中心部を結ぶバスの便が悪いため、団地の進出企業で組織する江別工業用団地内立地企業連絡協議会は近く、団地内へのバス乗り入れなどを中央バスに文書で申し入れる。

 同団地は現在35社が操業、従業員600人、さらに団地沿いの元江別の高台には163区画の関連従業員住宅地があり、30世帯が暮らしている。団地を囲む市道対雁新道と国道275号線には中央バスの札幌〜江別線、札幌〜当別線、札幌から滝川・旭川などへ向かう特急バスも走っているが、団地最寄りとなる「霊苑入口」「工業団地」「対雁中央」「対雁北」「新石狩大橋」の5停留所に停車するのは1時間1本の札江線(1日11往復)だけ。残りの急行や特急バスは素通りする。札当線も新石狩大橋にしか停車しないため、団地の主婦たちは住宅地からもっとも近い「工業団地」バス停まで1㌔ほど歩いて、1時間に1本のバスで中心街まで買い物に出ている。

 この不便を解消しようと、団地の関係者らはバス路線を対雁新道から団地内にひっぱり、道道5丁目通りから江別市街地に抜ける循環路線にしてほしいと訴えている。

ジャンボリー会場へ臨時バス (1974年8月1日)


8/1〜8/6まで千歳市の陸上自衛隊東千歳駐屯地内で開かれる「第6回日本ジャンボリー」の期間、中央バスは千歳駅から会場行きの臨時循環バス(千歳駅前〜ジャンボリー会場間)を運行する。乗車券は片道100円。この大会にはボーイスカウトだけで2万6千人、見学者を含めると5、6万人の人々が全国から集う。

バス専用レーンを増設 (1974年11月1日)


昨年10月に札幌市内でスタートしたバス専用レーンは、この1年でバスの乗客が16%増し、1日から新たに市内2ヶ所に増設されることになった。

 新たに設定するのは、国道36号線(豊平区羊ケ丘1〜中央区南4西4間6.6㌔)、国道5号線(西区宮の沢北2〜中央区北1西25間4.9㌔)の2区間。いずれも日祝を除く午前7時半〜9時まで都心に向かう上り左側1車線をバス専用レーンとする。また同日より国道5号線(中央区北1西25〜北1西3間2.7㌔)と市道北5条通り(中央区北5西25〜北5西2間2.8㌔)の2区間をバス優先レーンとする。このほか、昨年からスタートした市道西2、西3丁目両線では準公共輸送機関の性格をもつハイ・タクに限り、乗り入れを認めることになった。

 バスレーンの誕生を祝ってこの日は朝7時20分から国道36号線、羊ケ丘1の中央バス停留所前で開通式が行われ、バスレーンのトップを切って走る中央バス第1号車の泉運転手に利用者の月寒高生から花束が贈られ、魚谷道交通部長、向当市企画調整局長らがテープカットして開通を祝った。これで市内の国道5、12、36号の3幹線にバスレーンがお目見えしたことになり、道警、市などの関係者は「マイカー都心乗り入れの歯止めに役立ちそう」と期待を込めている。

冬ダイヤ改正による変更 (1974年12月1日)


中央バスは1日から冬ダイヤに改正。

夏ダイヤ改正による変更 (1975年5月1日)


1日からダイヤ改正を行う。

平取町営バスをスタート! (1975年5月1日)


平取町は1日から町営バス(貫気別〜芽生間)の運行を始める。日高管内では日高町に次ぎ2番目の町営バス。赤字を理由に道南バスの貫気別〜芽生間が1日2便を1便に減らしたため、減った1便を町営バスを走らせてカバーする。このため町は42人乗りの新車を購入、今年3月末で閉校した振内高校(定時制)の生徒用に平取〜振内間の通学バスとしてもすでに運行を始めている。料金は道南バスと同じ、ダイヤは小中学生の下校に合わせ、貫気別局前16:30〜アブシ〜芽生開拓〜芽生小前着16:57、芽生小発16:57〜貫気別局着17:11の1往復。毎週日曜は運休。

【札幌市】大通バスセンターOPEN!! (1975年7月1日)


札幌市交通局は1日から大通バスセンター(札幌市中央区南1東1)の営業をスタートする。バスセンターは市バス専用ターミナルで、1階は待合室、ロビー、カーリフトと2レーン計4バースのバス乗り場があり、中地下は連絡通路。面積は670平方㍍。1日から次の市バス10系統534便が乗り入れる。

道南バスが事実上の倒産 (1975年9月8日)


70年暮れに経営危機が表面化していた道南バス(本社・室蘭)は8日、札幌地裁に会社更生法の適用を申請、事実上倒産した。定期路線バス会社の倒産は戦後、道内では初のケース。国内でもこれまでに高知県交通、岩手県南バス、同・花巻バスの3社しか例がない。負債総額は33億9600万円(★)にのぼるが、5年にわたって経営立て直しが叫ばれながら、永年にわたる放漫経営の傷が深かったのと、ローカル赤字線が足かせとなって再建をはばみ、また10億円を投入したレジャー施設「洞爺サマーランド」の失敗が危機に拍車をかけ、最近は燃料代にもこと欠く状態だった。

 当面のバス運行については、労組側、燃料供給の室蘭石油、室蘭市も協力する方針を打ち出していることから、平常ダイヤの運行が続行される見通し。

 ★のちに社長の手形乱発や不正な土地投機が明るみに出て、負債総額は約52億円にのぼるともいわれる

北広島団地線スタート! (1975年10月10日)


中央バスは道営北広島団地(札幌郡広島町)を循環する北広島団地線(北広島駅〜高台町2丁目)を10日から運行開始する。コースは同社の当初案通り、中央通りと緑陽通り経由の2系統折り返しとなり、町から要望のあった団地縦断、外周循環コースの運行は見送られた。

 ダイヤは国鉄千歳線列車に接続するように組まれ、運賃は区間あたり大人40〜50円、小人20〜30円。定期券と回数券は北広島駅前バス待合所で9〜12日は毎日、13日以降は毎週火・金・日曜の13〜19時まで販売。運行は中央バス南郷営業所が担当する。

 一方、路線から外された第1住区の特に集合アパートが立て込む輝美町住民からは不満の声も出ており、同自治会代表らは8日、役場を訪れ「団地で一番早く入居してこれまで我慢してきた。人口は2,400人と団地全体の3分の1近くもいるのだから来春までには対策を考えてほしい」と穴田町長にバス運行を訴えた。これに対し町長は「来年4月までには運行のメドをつけるよう全力投球する」と答えた。10日からのバス停留所とダイヤは次の通り。

(北広島駅前を出発する北広島団地線)

【北広島団地線時刻表】※印は日曜・祝日運休
北広島駅前(発) 時刻 高台町2丁目(発)
中央通り経由 緑陽通り経由 緑陽通り経由 中央通り経由
高台町2丁目(行) 北広島駅前(行)
    6 40 42
    7 12 ※24 38 ※47 14 ※26 40 ※49
30 55 8 45 20
40   9 52 30
  13 10   50
5 40 11 20  
25   12 40 15
  0 32 13 12  
10 40 14 25 0 55
10 48 15 25  
19 21 16 37 35
3 5 17 22 20
3 ※15 58 5 ※17 18 17 15
50 0 52 19 12 10
10分 10分 所要 10分 10分

【じょうてつ】冷水トンネルまで延長 (1975年10月12日)


じょうてつバスは12日から札幌市南区の豊平峡入口から冷水トンネル(豊平峡ダム)まで路線を延長する。バスは定山渓駅前から1日5往復の予定で料金は80円。これによって雄大な景観がウリの豊平峡の紅葉がグンと楽しみやすくなる。

 豊平峡ダムは72年10月に完成、これまでダム周辺の自然破壊や湖水汚染を警戒して、市はダムサイト手前約2.5㌔の地点でクルマの乗り入れをストップ、ダムまでは徒歩かサイクリングでしか行けなかったが、この道はやや登り坂で、子どもやお年寄りにはキツイため市はこの車両禁止措置を緩和、トンネル手前までならバスや一部マイカーなどにかぎって乗り入れできるようになった。

冬ダイヤ改正による変更 (1975年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

【千歳バス】市内2路線を身売り (1975年12月19日)


千歳バスは経営不振から千歳市内の全2路線を身売り、19日から新設の千歳相互観光バスが路線を引き継ぐ。当面、路線と停留所、事務所は従来通りなので乗客に影響はないが、同バスでは年明け早々に事務所、車庫を建設していく予定。

 千歳バス(本社千歳、渡部茂社長)は1965年12月に千歳交通(同)から独立、1967年10月から市内2路線(青葉線、末広高台線)を運行してきたが、乗客の伸び悩みなどから1970年にバス12台を所有していたのが逐次縮小され、現在はバス3台に減った。市内では中央バスがほとんどの路線を網羅しており、今後業績の向上が見込めなくなったことから同路線を手放すことにした。

 これとともに19日付で札幌陸運局の認可を得て設立、路線を引き継いだ千歳相互観光バスは、札幌と根室に北海道相互自動車学校をもつほか、道相互観光株式会社、札幌グリーンホテルを経営する沼田義繁氏が社長に就任し、来年度以降は市内定期路線の延長と、支笏湖など道内観光地への観光バス乗り入れを進めていく計画。

運賃改定による変更 (1975年12月20日)


中央バス、札幌市交通局(市バス・市電・地下鉄)、じょうてつバスの3者は20日、路線運賃を一斉にアップする。市営とじょうてつは1973年10月以来2年ぶり、中央バスは昨年4月に次いで2年連続の値上げとなるが、3者とも値上げ幅が大きいため来年3月31日までは値上げ幅を低く抑えた"暫定料金"が設けられる。また競合区間を持つ国鉄、夕鉄、三菱、支笏湖観光、北都交通、ニセコ、道南、苫小牧市営、千歳、早来運輸、道北、沿岸バス12社の運賃も調整値上げする。

 中央バスでは「過密過疎の進行やマイカーの増加で運賃収入が伸び悩んでいるうえ、物価上昇による人件費、燃料費などのコストアップで赤字が必至の状況にあることから、やむを得ず値上げに踏み切った」と話している。中央バスの料金改定については次の通り。

住民待望の花畔団地線がスタート! (1976年2月1日)


札幌市のベッドタウンとして人口が急増している石狩町の道住宅供給公社花畔団地に、1日から中央バスの定期バスが乗り入れる。同団地は住民の多くが札幌市へ通勤しているが、これまでバス路線がなく地域住民や町から再三要望が出ていた。

 新設するのは[北13]花畔団地線で、花畔団地から新札幌団地(3号線)を通って地下鉄北24条駅に連絡するコース。ダイヤは7:20〜19:35まで1日11往復、所要時間30分、運賃150円。

夏ダイヤ改正による変更 (1976年5月1日)


1日からダイヤ改正を行う。

【ばんけい観光】荒井山線肩代わりを1年延期 (1976年6月2日)


札幌市交通局は市内過疎バス路線のひとつ、荒井山線の一部「円山公園〜盤溪間」を6月から市内の観光会社「ばんけい観光」(我満由明社長)に肩代わり運行させる計画だったが、札幌陸運局の認可が得られず1年延期された。

 この路線は平日7往復、日祝日10往復運行されているが、1日当たりの乗客は定期も含め約100人と昨年度は740万円の赤字、このうち240万円は国、道などからの地方バス路線維持補助金を受けている。

 こうしたところへ、同地区でスキー場、行楽施設を経営している同社が「利用者サービスのため同じ路線に無料バスを運行しており、肩代わり経営をしたい」と申し入れ、地区住民の了解を得て去る2月、陸運局に市営バスの廃止と同社の営業認可を申請していた。(※この路線は同社が翌年5月1日から1日18便を代替運行)

地下鉄開通に伴う路線再編 (1976年6月10日)


市営地下鉄東西線(琴似〜白石間)の開通により10日から一部路線が変わる。

夏休みこども博 連絡バス運行 (1976年7月25日)


札幌市豊平区東月寒の道産業共進会場で7/25〜8/15まで開催される「夏休みこども博」の期間中、札幌駅前(さっぽろ東急百貨店南口)と地下鉄東西線白石駅から、会場入口まで有料の連絡バスを運行する。

道南バス運賃値上げ (1976年8月25日)


今月9日に運輸省から平均22%アップの運賃値上げが認可された道南バスは25日から値上げを行う。当初は20日から実施する予定だったが、6月に行った室蘭市内線のダイヤ改正で長距離直行便廃止などに利用者の不満が噴出したことから、市民感情を考慮する形で実施を5日間遅らせることにした。このため、競合路線を抱える苫小牧市営バス、早来バスも値上げを25日に延期するほか、中央、ニセコ、国鉄、定鉄の4社も道南バスと競合する区間は25日から新運賃となる。

大麻ターミナル完成 (1976年10月1日)


道、江別市、地元自治連の三者協議により大麻駅前の道有空き地に建設していた中央バスターミナルが1日から供用開始となる。用地内には約30平方㍍の待合所が設けられたほか、幅10㍍の誘導路が横切っており、中央バス大麻線(札幌〜江別間15往復)専用として利用される。ほかの市内路線は大麻駅前のバス停に停車するが、当面の利用状況を見て将来のターミナル拡充も検討している。また同日から停留所の名称変更などもあわせて実施される。
資料協力/各駅倉庫さん

冬ダイヤ改正による変更 (1976年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正。
資料協力/各駅倉庫さん

北広島団地線の延長 (1977年3月15日)


中央バスは15日から北広島団地線(広島市街・北広島駅前〜中央通〜高台町2丁目)のうち8往復半を第4住区の「山手町4丁目」まで延長する。残り中央通り経由25本と緑陽通り経由42本全便は、これまで通り「高台町2丁目」が終点となるが、5月の夏ダイヤからは全便「山手町4丁目」発着に変わる。

日航線に白石経由を新設 (1977年7月1日)


中央バスは1日から日航線(千歳空港行連絡バス)に「白石経由」を新設するなど乗客サービスアップを図る。

丘珠線の終点延長など (1977年10月1日)


中央バスは1日から丘珠線の終点を延長、また昨年12月、"条丁目"に変更された石狩町花川を中心に停留所の名称が大幅に変わる。
資料協力/各駅倉庫さん

冬ダイヤ改正による変更 (1977年12月1日)


1日からダイヤ改正を実施。人口増加の続く札幌のベッドタウン「定鉄真栄団地」に乗り入れるなど住宅団地系統を増強する。
資料協力/各駅倉庫さん

地下鉄南北線延長に伴う変更 (1978年3月16日)


地下鉄南北線の北24条〜麻生(あざぶ)間延長にあわせ、中央バスは16日から路線を再編成する。これまで札幌都心や北24条駅から出ていた屯田、新琴似、丘珠線など5路線を麻生駅に短絡させるが、同日オープンする市営麻生バスターミナルには乗り入れず、西5丁目の路上から発車する。

麻生バスターミナルOPEN!! (1978年3月16日)


札幌市交通局が昨年6月から建設していた麻生バスターミナルが地下鉄麻生駅開業の16日オープンする。

 ターミナルは同駅真上にあるダイエー麻生店の南側に隣接した鉄骨平屋建て約950平方㍍の建物。待合室、案内所、トイレ、乗務員室のほか、建物南側には長さ110㍍のプラットホームが設けられバス発着所は5ヶ所、ホーム上には地下鉄南北線の地上高架部分で使われていた長さ44㍍、高さ7㍍、下幅9㍍のカマボコ型をしたアルミ製のシェルター(ドーム)が被せられ、利用客は雨や雪にさらされずにバス待ちができる。地下鉄駅とは階段を含めた約100㍍の地下コンコースで結ばれ、同日から市営バス5路線約350便がターミナルに乗り入れるが、麻生駅に短絡する中央バス5路線350便はターミナルには乗り入れず西5丁目の路上から発車する。

 ターミナルは当初ダイエーの建物を使うことも検討されたが、ダイエー進出反対運動がらみで断念し、市交通局所有の広さ5,000平方㍍の一部を利用して独自に建設した。

札幌市内で老人無料パス導入 (1978年4月1日)


一昨年から札幌市交通局が導入していた敬老優待乗車証(老人無料パス)が1日から中央、じょうてつ、国鉄各バスでも使えるようになる。このパスは70歳以上のお年寄りが市内のバス、地下鉄、市電、ロープウエーに無料で乗車できるもので、薄桃色の表面に「敬老優待乗車証」と赤い文字で書かれている。これまで市営交通のみ利用できたが、市バスのエリア外の住民から「不公平」と不満の声が出ていたため、交通局は昨年秋市内を運行する3バスにも参加を呼びかけ共通利用が実現した。利用できるのは札幌市内の路線だけで、市外で下車する場合は市内の最終停留所から下車区間までの運賃が必要になる。

【北都】札幌―支笏湖―千歳間をスタート! (1978年6月20日)


札幌〜千歳間の全日空乗客をバス輸送している北都交通(札幌市東区北30東1)は、本州方面からの搭乗客と全日空の強い要望をうけ、6/20〜10/15まで札幌〜支笏湖経由〜千歳空港間の連絡バスを運行する。

 所要時間は約2時間。札幌〜千歳間の連絡バスのうち、1日6本を支笏湖経由で運行する。運賃は大人850円、小人430円。運行時刻はその月々で変わることもある。

【国鉄】札幌駅前のりばを移転 (1978年7月3日)


国鉄バスは3日始発から札幌駅前バス乗降場を現在建築中の札幌ターミナルビル1階の札幌バスターミナル北側レーン(国鉄線路側)に移転する。1〜6番までの方面別行き先は現行通り。また新しい乗り場への通路は西2丁目側からの通り抜けを禁止、札幌駅側からのみとなる。降り場は現在の1〜3番のりばを使用する。現在の乗降場を同ビル関連工事に使用するための措置。

運賃改定による変更 (1978年8月11日)


中央バスなど道内私バス23社は11日、一斉値上げを行う。人件費など諸経費の高騰、利用者の横ばい、利用減少によるバス会社の経営悪化などがおもな理由。中央バスの値上げ幅は9.7%(申請16.4%)となり、最低運賃(3.7㌔以内)は60円→70円にアップ。主に近郊線が対象となり、国鉄、札幌市営、じょうてつ、千歳相互観光バス、北都交通も競合区間も調整値上げするが、札幌市内線(現行90円)は市交通局と同調して行うため変更ナシ。ただし道南バスとの競合区間(千歳空港〜登別温泉)は同社が室蘭市内のバス連絡協議会で説明することになっているため、17日にズレ込むことになる。中央バスの値上げは75年12月25日以来、2年7か月ぶり。おもな新料金は次の通り。

札幌駅前ターミナル乗り入れ開始!! (1978年9月20日)


札幌駅東側の旧国鉄バスターミナル跡に1976年8月から建設していた札幌駅前ターミナルビル(愛称エスタ)が今月1日オープン、中央バスは20日から同ビル1階の新バスターミナルに乗り入れる。

 新ターミナルビルは札幌駅前の再開発の一環。地上10階、地下3階、延べ面積88,594平方㍍という130万都市・札幌の表玄関にふさわしい大型ビルで、総工費はざっと185億円。キーテナントに札幌そごうデパート(1〜9階)、地下1階と10階はエスタ名店会(61店舗)、2階は283台収容の駐車場のほかペデストリアンデッキ(遊歩道)が設けられ、市民の憩いの広場として活用する。愛称の「エスタ」とはスペイン語のエスタシオンの略で、駅、四季を意味する。

 バスターミナルは1階の4,400平方㍍を使用。南(6バース)、中(6バース)、北(7バース)の3つのレーン、計19バースの乗り場を備え、中央、国鉄、札幌市営、じょうてつ、道南、北都の各バスが乗り入れる。ビル管理は札幌ターミナルビル社が請け負い、ターミナル使用料は1発着当たり120円。当初は1日のオープンから各社同時発車する計画だったが、バース配分をめぐり6業者の調整が難航、7月3日から北側レーンを仮使用している国鉄以外は開店休業状態が続いていた。このほど陸運局の調整もあって合意に達し、18日の始発から市営、道南、じょうてつの3社が、20日から中央、北都の2社も乗り入れをスタートさせる。中央バスは南郷線4系統(東70〜73)、日本航空線(札幌〜千歳空港)、定期観光(積丹岬、積丹半島一周、支笏ロマン、小樽マリン4コース)の3路線が南側レーンの4バースに乗り入れるほか、国鉄7、市営5、じょうてつ、道南、北都各1バースと配分される。

 しかしこのターミナル、これまで駅前に分散していた各バス乗り場を集約し、付近の交通の流れをスムーズにしようと計画されたものだが、駅前の北4条通から移る中央バスは南郷線1路線のみ。残りの月寒本線など11路線はこれまでと同じ東急デパート前と富士銀行前からの発車となり「これでは4条通の混雑が解消されない」と首をかしげる市民も多い。これに対し、同社札幌事業部では「南郷線4系統だけで1日300本近くあり、まとめてはとても移せない。同じ方面の路線をバラバラにすればかえって利用客が不便する」と説明しているが―。

苫小牧市営バスターミナルOPEN!! (1978年11月26日)


苫小牧駅東側に7月から建設していた苫小牧市営バスターミナルが完成、26日から営業開始した。この日、午前10時半から市長ら関係者が集まって落成式行われ、テープカットやくす玉割りで無事故運行と利用客アップを祈願した。

 ターミナル建設は駅前再開発の一環で総工費は約1億9千万円、延べ面積は5千平方㍍。赤、黄、緑に着色された3つのホームに15バースの乗り場があり、テレビシステムによる集中管理方式で各ホームの発着状況を確認してバスの流れをスムーズにできる。また目の不自由な人のためのチャイム式信号機、点字ブロックも各所に設けられている。

 ターミナルには市バス約450便が乗り入れ、1日約9千人の利用が見込まれているが、中央、道南、早来バスなど苫小牧駅を発着する民営バスはターミナルには乗り入れず、これまで通り路上から発車する。

冬ダイヤ改正による変更 (1978年12月1日)


中央バスは1日からダイヤ改正を実施。花畔団地線のコースを一部変更するほか、篠路駅前団地線の一部を地下鉄麻生駅に短絡させるなど大幅な路線再編成となっている。

中央バス札幌支社を新設 (1979年4月1日)


中央バスは札幌圏の事業拡大と輸送体系の変化に対応するため、1日付で札幌事業部を廃止、札幌乗合事業部と札幌貸切事業部の2事業部からなる「札幌支社」を新設する。小樽、空知両事業部は従来のまま。これによって従来の本社、3事業部制から本社、1支社、4事業部制に変わる。

定期券発行機を導入 (1979年4月25日)


中央バスは定期券発行機システムの新型機器を25日、同社札幌ターミナルと月寒営業所で使用開始する。

 この機械はコンピューターと連動し、客が書き込んだ必要事項を操作盤に打ち込むだけで料金計算から定期券の発行までわずか6秒で済ませてしまう最新鋭の装置。これまで混み合う時期は1時間以上待たされることもあったが、今後は定期券買いもスムーズになりそうだ。道内ではこれをもっと大型にしたシステムが札幌市交通局に導入されているが、道内バス会社では初めてという。

夏ダイヤ改正による変更 (1979年5月1日)


1日から夏ダイヤを実施する。

北広島団地線を公民館まで延長 (1979年7月20日)


中央バスは20日から北広島団地線(山手町4丁目〜緑陽通経由〜広島市街)の一部便を「広島市街」から「中央公民館前」(新設)まで延長する。延長するのは山手町4丁目発9:05、11:55、14:45、中央公民館前発9:42、12:22、15:42の1日3往復。ただし、公民館が休館となる月曜と祝日は「広島市街」までの運行。

篠路駅前団地線の経路変更 (1979年10月1日)


中央バスは1日から篠路駅前団地線(麻生駅発着便)の経路変更、停留所の改名を行う。
資料協力/各駅倉庫さん

札幌市内線の運賃アップ (1979年10月20日)


札幌市営交通の運賃値上げに伴い、20日から市バスと同じエリアを走る中央バスなどの市内バス運賃が1区90円→110円、2区110円→140円にアップする。バスの平均アップ率は25.1%。これに合わせ、ばんけい観光バスでは円山公園駅前〜盤渓間で地下鉄乗り継ぎ制度を導入。また国鉄北海道地方自動車部は、国鉄バス空知線の停留所を次の通り変更する。

千歳空港連絡バス改正 (1979年11月1日)


道央自動車道の広島・大曲〜札幌南IC間が先月29日開通したので、中央バスと北都交通は千歳空港連絡バスを1日から大谷地の札幌南インターから道央道に乗り入れ、スピードアップをはかる。

江別市内線の経路変更 (1979年11月7日)


江別市街地と東光町、上江別など駅裏東部地区を結ぶ市街地東光通り(総延長約1㌔)と東光橋が6日午前10時半に開通。このため中央バスは7日から、これまで江別橋を経由していた江別市内線(あけぼの団地入口・東光町〜江別高校)と南幌線(江別〜南幌)の2路線を東光橋経由に改め「大川通」停留所を廃止する。

 なお江別のマチのシンボルとして1世紀近く市民に親しまれた江別橋は来月5日から通行止めとなり、10日から解体作業がはじまる。
【旧ルート】2条2丁目〜大川通(廃止)〜東光町入口〜あけぼの・南幌方面
【新ルート】2条2丁目〜東光町入口〜あけぼの・南幌方面

冬ダイヤ改正による変更 (1979年12月1日)


1日からダイヤ改正を実施。
資料協力/各駅倉庫さん

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