中央バス最新NEWS

空知管内 1960年代

1960(昭和35)年〜1969(昭和44)年

【夕張】若菜に案内所完成 (1960年3月31日)


夕張バスが若菜停留所に建設していた案内所がこのほど完成、業務を始めた。丁未行きバス始発停留所わきにあった切符発売所を取り払い、若菜小グラウンド寄りの道路から約5㍍離れたところに新築したもの。

 案内所は6平方㍍平屋建て。切符発売窓口のほか、今まで本社1階にあった配車係をここへ移し、ブザー、マイクが設けられた。発車の時はブザーで運転手、利用者に合図、待ち合わせ時間、接続時間などはその都度マイクで知らせ、利用者から喜ばれている。

(写真:若菜停留所に設けられた案内所)

旭川でも激しいナワ張り争い (1960年4月9日)


最近道内各地でバス路線のナワ張り争いが目立ってきているが、住宅地が四方に伸びている旭川でもかなり激しい。同市には市内路線をもつ旭川バス、近郊を走る旭川電気軌道、道北バスの3社あるが、旭川バスが市内から郊外にドンドン路線をのばそうとするのに対し、電気軌道、道北バスはこれを食い止め、逆に市内に停留所を増やそうとして真っ向から対立。とくに花咲町藤学園停留所の設置問題や、発展の早い豊岡町、東町方面でまったく同じ路線に2社が申請したり、一方が増発しようとすれば、他社は強く反対するなど激しい争いを続けている。

 このため、郊外バスを利用する通勤者、通学生が停留所の増設ストップで、途中で降りられずナワ張り争いの弊害をイヤというほど味わわされており、バス会社のナワ張り争いは住民に迷惑をかけるだけの結果に終わっている。

奈井江―白山―上砂川間を計画 (1960年4月9日)


上砂川・奈井江両町界にある上砂川トンネルの崩壊や老朽橋のかけ替え工事で、これまでほとんど利用できなかった道々上砂川〜東奈井江間(5㌔)の産業開発道路だが、今秋ようやく補修工事が完成するはこびとなり、中央バスでは現在この道路にバスを通すことを検討している。

 この道路は上砂川町の道々赤平・上砂川線から奈井江町9号線、国道12号線に連なるいわゆる循環道路。三井砂川鉱の祖鉱関係やハイキングコースとしても利用度が高く、また上砂川町朝陽台地区は年内舗装される見込みで、同社はすでに陸運局から認可を取っており、奈井江〜向ヶ丘〜白山〜上砂川という路線を運行する計画。

夏ダイヤ改正による変更 (1960年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

滝川―岩見沢間を増発 (1960年8月13日)


中央バスは13〜15日まで滝川〜岩見沢間に臨時バスを増発、通常30分間隔が20分間隔になる。運行時間は岩見沢発が6:40〜18:20、滝川発が6:30〜18:10まで、いずれも20分おきに運行。滝川〜岩見沢間の所要時間1時間半。ただし岩見沢発9:40、12:40、13:40、16:40の4本は上芦別直通となる。

岩見沢神社秋祭り臨時バス (1960年9月15日)


中央バスは岩見沢神社秋祭りが行われる15、16の両日、岩見沢駅前発の終バスを次の通り臨時運行する。

道新主催バス旅行会 (1960年9月17日)


秋の旅行シーズンを迎え、北海道新聞滝川支局主催、中央バス滝川営業所後援で恒例のバス旅行会が催される。申し込みは中央バス滝川営業所(滝川駅前)まで、阿寒一周バスは同社砂川営業所(砂川駅前)でも受付ける。

冬ダイヤ改正による変更 (1960年11月15日)


15日から冬ダイヤに改正。

岩見沢市内バス拡充を要望 (1960年12月20日)


今年3月、岩見沢市議会の特別委員会としてスタートした交通通信拡充特別委員会では、市内バス路線の拡充について調査結果をまとめた。報告書のおもな内容は次の通り。

芦別駅前独占に不満の声 (1960年12月21日)


中央バス芦別営業所は芦別駅前広場を占用してバスの発着を行っているが、これが一般の交通のじゃまになると市民から批判の声が出ている。

 同社は長年にわたって駅前正面の営業所前に7ヶ所の停留所を設け、バスをタテに並べて駐車しているが、車道を大幅に占用しているうえバス後部が歩道にはみ出しており、歩行者にとっても危険極まりない。

 芦別署でも再三にわたり会社側に善処を申し入れているが、代替地の確保が難しいうえ家屋移転面などから、どの話も暗礁に乗り上げているという。

 その後、双方の話し合いで、とりあえず10分刻みの発車時間を改め、タテ駐車を防ぐという方向に話がまとまったが、20日から施行された道交法改正の問題もあり、成り行きが注目されている。

元日のバスダイヤ変更 (1961年1月1日)


中央バスは元日のバス運行時刻を次の通り変更する。

【夕張・美鉄・夕鉄】鹿島道路開通による延長計画 (1961年1月5日)


1948年から工事が進められていた鹿島道路が今秋までには完成、これまで大夕張鉄道1本しかなく"陸の孤島"と呼ばれていた鹿島地区へのバス乗り入れが可能となるが、それに伴う延長計画などが各社から次のように出ている。

栗山町のバス強化策 (1961年1月14日)


14日から国鉄夕張線に気動車のビジネス特急が走るのに刺激され、バス各社とも栗山を中心とした交通網の強化を計画している。

 中央バスは札幌線、岩見沢線など6路線が栗山町に入っているが、栗山の乗降客が年々ふえているので、いまの栗山案内所を営業所に昇格させるか、または長沼営業所を栗山に移すことを考えており、いまのところ栗山案内所昇格の線が強く、早いうちに実現するものとみられている。

 夕張鉄道は栗山〜夕張、栗山〜御園、栗山〜南幌向、杵臼〜栗山など栗山を中心に4路線をもっているので、かねてから栗山営業所の設置を町側に申し入れていたが、雪どけ早々格好の場所を見つけて営業所を建設し、サービスに万全を期すことにしている。

 一方、国鉄バスは幌向村から路線拡張、車庫の設置などの強い要望があり、車庫の建設は来年以降として、とりあえず札幌〜幌向間を走っているバスを今春から幌向村15線道路をへて栗山へのばし、札幌〜幌向〜栗山間を運転する予定となっている。

芦別営業所のダイヤ変更 (1961年1月20日)


中央バス芦別営業所は芦別駅前広場を占用してバスの発着を行っていたが、20日から一部路線のダイヤを変更、高根、油谷、黄金の3路線で営業所前の発車時刻を若干ずらし、市民から批判があったタテ駐車の全面廃止をはかる。新ダイヤは次の通り。

(写真:中央バス芦別営業所)

ガケ崩れで徒歩連絡 (1961年2月13日)


国鉄幌内線唐松駅東方、中央バス停留所春光台下のガケ崩れによる市道幌内ー奔幌内線の移設工事のため、中央バスは13〜14日まで同区間の運行は春光台〜弥生西両区間は徒歩連絡で運行する。

桂沢線 9日から運休 (1961年2月16日)


三笠市桂沢地区には桂沢小中学校をはじめ、電発、開発局、営林署の造材現場、約60戸の部落などがあるが、中央バスの幾春別〜桂沢間が積雪のため9日以来運休しており、小中学校の教員、児童生徒の通勤通学はもちろん、桂沢町の住民も足を奪われ、文字どおり"陸の孤島"と化している。

 同社岩見沢営業所では「この路線は冬季間はほとんど乗客もないが、道路さえよければダイヤ通り運行している。たとえジープなどは通行できても、バスは車体が大きいため通れない場合が多い」と道路整備の不備が原因だと話しており、関係者の早急な対策が市民から強く望まれている。

【国鉄】砂川市がバス増発を陳情 (1961年3月22日)


砂川市と市議会では22日、国鉄バスの砂川〜浦臼間を7往復以上、砂川〜下徳富間に3往復以上それぞれ増発してほしいと道地方自動車事務所長に陳情した。いずれも国鉄バスの運行数が少ないため不便をきたしているため。

夏ダイヤ改正による変更 (1961年4月21日)


21日から夏ダイヤに改正する。

桂沢八十八ヵ所春まつり臨時バス (1961年6月5日)


桂沢八十八ヵ所恒例の春まつりが開かれる5日、中央バスは現行の桂沢線(幾春別〜桂沢)のほか、午前9時半に臨時バスを出す予定。この祭りは数年前、三笠市内や近郊の篤志家から観光の名所・桂沢湖畔に八十八体の地蔵尊が寄進・建立されて以降、行楽を兼ねて参詣する善男善女が毎年ウナギのぼりに増え、ことしも市のハイキングコースに沿って大自然の景観を楽しむ人でかなりのにぎわいが予想される。

【夕張】札幌―清水沢間に急行バス (1961年6月5日)


夕張バスは5日から札幌急行バス(札幌大通り〜夕張鉱業所)のうち1往復を清水沢発着に振り替え、札幌〜北高前経由〜清水沢間の急行バスを新設する。発車時刻は清水沢駅発7:55→札幌着10:20、札幌発17:00→清水沢着19:25。夕張方面からは北高前で乗りかえできる。(※このため同年11月、北高前停留所近くにバス券発売所を備えたレンガ造り平屋建て14平方㍍の待合所を建設し停留所を移設)

三笠営業所を着工 (1961年7月9日)


中央バスは今月半ばから三笠市幸町の三笠農協横にブロック建ての三笠営業所を新築する。敷地面積は約2,300平方㍍、このうち車庫(約300平方㍍)は7台のバスが常駐できる規模で、軽量鉄骨を使った総モルタル仕上げ。9月末までに完成する予定。将来は三笠ターミナルとする計画で、引き続きキップ売り場、乗客の待合室、運転手控え室、小2階(約100平方㍍)の管理人住宅なども建設する。営業所完成によるバス路線の変更はナシ。

お盆臨時ダイヤで運行 (1961年8月13日)


中央バス滝川、岩見沢両営業所は13〜17日までの5日間、お盆中の人出を緩和させるため臨時ダイヤで運行する。

岩見沢まつり臨時バス (1961年9月15日)


中央バス岩見沢営業所は岩見沢まつりの15、16の両日、岩見沢駅前発21:00の月形行き、北村循環、三笠行き、峰延行き、茂世丑行き、美流渡行き、栗沢行きを臨時増発する。

冬ダイヤ改正による変更 (1961年11月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

三笠ターミナルOPEN!! (1961年11月18日)


中央バスが10月上旬から三笠市内に建設していた三笠ターミナルがこのほど完成、18日午後2時から開所式を行う。

 ターミナルは総ブロック2階建て延べ172平方㍍の淡緑色のスマートな明るい建物。総工費は1千万円。1階は乗客の待合室、キップ売り場兼案内所、事務所、運転手控え室、車掌室など。2階は寮施設に充てる計画で、屋上には150㍋の無線電話のアンテナが設けられている。

 また構内には延べ295平方㍍の軽量鉄骨組みの車庫(総モルタル仕上げ)がありバス8台が収容できる。同社では常時6台をここに駐車させるが近く10台に増やすプラン。

(写真:中央バス三笠ターミナル)

【夕張】テレビ塔に営業所開設 (1962年1月15日)


夕張バスはかねて札幌進出の準備を進めていたが、札幌市大通りのテレビ塔内に営業所を設け、15日から営業を開始する。

 営業所はテレビ塔3号室を借り、事務員も3、4人置く予定。当分は案内程度だが、札幌での貸切バス営業許可がありしだい、ここを拠点に本格的な業務に入る意向。夏ごろまでには許可が下りる見込みで、新車4台も購入する予定。一昨年夕鉄バスが札幌で貸切バス営業を始め、かなりの成績を上げているだけに、夕張バスの札幌進出は札幌のバス業界に大きな波紋を投げるものとみられる。

 同バスは現在夕張市内路線のほか、夕張を中心とした貸切バス、夕張〜札幌間の急行バスを運行しているが、札幌線は午前中札幌へ着いたバスは午後5時、6時発の夕張行きまで待ち時間があるため、昨年春から札幌市菊水東町で車庫建設に着手、9月完成した車庫は鉄骨ブロック造り一部二階建て、総面積270平方㍍、バス4台を収容できる。また同バスは国鉄夕張線、三菱大夕張線のダイヤ変更に伴い、15日から次の通り一部ダイヤ改正を行う。

赤平市内のコース変更 (1962年1月20日)


中央バスは20日から赤平市内の豊里線(28往復)のコースを変更する。従来は市役所前踏み切りをわたっていたが、踏み切りをバスをが渡るのが危険なため、宮下町一帯、美園町、豊里鉱業所方面は今後通らなくなる。

島の下線を再開 (1962年2月1日)


中央バス芦別営業所は昨年末から運休していた島の下線(芦別〜野花南〜島の下)を道路条件が良くなったため1日から再開する。1日4往復、所要時間は芦別〜野花南間25分、同〜島の下間は55分。ダイヤは次の通り。
◇芦別発 700(野花南止) 830 1130 1530
◇島の下発 725(野花南発) 930 1230 1630

【夕張・三菱】鹿島道路は相互乗り入れ (1962年3月6日)


夕張バスと三菱バスが一昨年から争っていた鹿島道路バス乗り入れ問題は、このほどようやく両者の歩み寄りで解決、夕張バスは若菜〜南部を鹿島(大夕張駅前)へ、三菱バスは大夕張炭山駅〜明石町を本町(夕張駅)へ延ばし、それぞれ急行バスを運行することになった。

 両社は鹿島道路完成をキッカケに前後して陸運局に延長を申請、陸運局は競合を避けようという方針から業者間で話を付けるようにと地元にゲタを預け、そこで夕鉄がなかに入って骨を折ったが、夕張バスは「三菱バスの本町乗り入れは若菜〜南部路線の既得権益を侵し、われわれの経営を脅かすものだ」と主張。一方、三菱バスは「夕張駅までの直通バスは鹿島地区住民の切実な声、相互乗り入れでサービスの競争をしよう」と答えていた。

 しかしその後陸運局の方針が路線の独占を排して、利用者の便宜を尊重する方向に変わり、道バス協会が間に入って話し合いを続けた結果、①両社はまず現在の申請を取り下げる②鹿島道路の正式開通の時期がはっきりしてから、ともに急行乗り入れの申請をする③運行回数、停留所の設置個所などについては両社で話し合って決める―ということで落ち着いた。結局急行の運行という苦肉の策で妥協したワケ。

多賀町バス停廃止に反対 (1962年3月20日)


中央バスは将来、三笠ターミナルの新設、直線コースのスピードアップを理由に三笠市内の多賀町停留所を廃止する方針だが、停留所存続の要望が地元住民らでつくる三交停留所期成会から出ている。

 同期成会は三笠市の本町、多賀町、幸町など3つの町内会が主体となって結成したものだが、かねてから中央バスに「多賀町停留所は岩見沢、幾春別、幌内線とも現在のまま残してほしい」「三笠駅前にも新しく停留所を設けてもらいたい」の2点を要請し、20日には三笠市長、幌内鉱業所長、三笠市商工会長にも同様の陳情を行った。多賀町停留所や三笠駅周辺の人口や乗降客の増加、同地域は人の集散地域でとくに官公庁、銀行、会社、商店および幌内鉱業所関係のバス利用者が増えていることなどが理由だが、中央バスでは三笠駅前の停留所新設については国鉄との関係から実現不可能との態度をとっているようで、早急解決はきわめて難しい見通し。

芦別ターミナル建設に暗雲… (1962年4月5日)


中央バスは芦別駅前にバスターミナルを建設するプランをかためているが、ターミナルまでのバス延長コースをめぐって地元商工業者から強い反対の声が出ている。

 このコースは国道から大心寺南側の市道を曲がり、料理店い津美〜五山市前〜新ターミナルに至る200㍍の区間。セマい未舗装路を大型バスが頻繁に通るため、都通り商工振興会や商業共同組合、五山市などは連名で5日、バス運行反対の要請書を商工会議所に提出した。

 同社は駅前道路の曲がり角にバス停を数ヶ所設けて営業しているが、これは道交法を無視した違反営業にあたる。そこで今春駅前通りに面した現営業所裏の旧鈴木旅館跡地などを取得し、この夏までに4台同時に収容できる2車線のトンネル式ターミナルを建設する予定を立てていた。

夏ダイヤ改正による変更 (1962年4月15日)


15日から夏ダイヤに改正する。

赤平市内路線の変更 (1962年6月1日)


中央バス赤平出張所は赤平駅前広場の混雑解消をはかるため、1日から駅前始発のバスを廃止するなど3路線のルート、ダイヤを次の通り変更する。これにより豊里地区の利用者は市内循環、福住両線を交互に1時間ごとに利用できる。

空知太に車両センター建設 (1962年7月24日)


中央バスは来年から砂川市の空知太地区に全道一の規模を誇る"マンモス車庫"を建設する。バス利用者の増加で新たな車庫建設が必要となり、滝川、砂川に分散している車両を集中管理して効率的な運行をはかる。

 予定地は砂川市と滝川市のほぼ中間に位置する国道沿いという恵まれた立地で、"車庫建設用地"の札が立てられた敷地1万平方㍍の整地もすでに完了。同社は遅くとも来年から1棟約36両収容できるバス車庫3棟程度を年次計画で建設する構想。

 この車庫敷地に隣接して北星ハイヤー(滝川市栄町)の自動車整備工場(敷地8,600平方㍍)の建設工事も進められており、今秋には完成するという。

歌志内車庫OPEN!! (1962年7月29日)


中央バスが総工費500万円を投じ、歌志内市に建設していた中央バスの住宅併用車庫がこのほど上歌バス停前に完成、29日から営業を始める。車庫は軽量鉄骨造防火構造のモルタル仕上げ、延べ156平方㍍、住宅68平方㍍。常時4台のバスを収容できるほか、事務所も設けられている。車庫の完成で車両の運行や従業員の交替も便利になるので歌志内始発の遅れも解消でき、将来は営業所並みに団体、貸切バスの要望にも応ずるという。

三笠でお盆臨時バス (1962年8月14日)


中央バス三笠出張所は14〜16日までお盆臨時バスを運行する。幾春別線(ターミナル〜中ノ沢)は現在は20分おきだが、期間中はターミナル発8:25〜20:05、中ノ沢発8:30〜20:10までそれぞれ10分おきに運行(多賀町停留所は通過しない)。また三笠線(ターミナル〜幌内)は7時〜20時半まで10分おきに運行する。

岩見沢祭り臨時バス (1962年9月15日)


中央バス岩見沢営業所は岩見沢祭りが行われる15、16日、岩見沢駅前発の臨時バスを次の通り運行する。14〜16日までは中央通り(4条〜10条間)が通行止めになるため、市内循環線は東高通り〜10条通り〜市立病院通り〜5丁目通り〜駅前に経路を変更する。

夕張地区の運賃改定 (1962年9月20日)


中央バスは20日から夕張地区で運賃値上げを実施する。人件費や物価の値上がりを理由に、夕張バスの札幌線、夕鉄バスの栗山、上江別、御園、継立の各線の運賃が11〜14%アップするのに伴う措置。20日から3社一斉に値上げする。おもな停留所の新料金は次の通り。

札幌―留萌間は3社競願 (1962年9月23日)


札幌〜留萌間のバス路線(151㌔)をめぐって天塩炭鉱鉄道、沿岸バス(本社・羽幌)、中央バスの3社が競願になっている問題で、札幌陸運局は今月末か10月初めに聴聞会を開く。

 これは5月24日に路線開設申請を出した天塩炭鉱鉄道のあとを追って、沿岸バス(本社・羽幌)、中央バスの2社が6月2日同じ路線申請を提出し、3社競願の形になったもの。

【夕張・三菱】夕張―鹿島間スタート! (1962年10月7日)


市道清水沢―大夕張間(鹿島道路)が6日開通したので、夕張バスと三菱バスは7日から相互乗り入れし、夕張〜鹿島間(25㌔)にそれぞれ急行バスを走らせる。夕張バスは南部線をさらに延長して鹿島地区(大夕張駅)まで乗り入れ、三菱バスは新路線として運行する。

 一昨年から争っていた鹿島道路バス乗り入れ問題だが、昨年暮れに両社の相互乗り入れが決まり、両社は申請を前に6月から話し合いを行ってきたが、運行回数や停留所数について真っ向から対立、調整が難航していた。しかし同道路の公用開始のメドがついた8月23日の話し合いで、伊藤道バス協会長から調停案が出され三菱側が大幅に譲歩、妥協案として両社合わせて15往復とし、このうち夕張バスが8往復、三菱バスは7往復でやっと話がまとまり、路線免許を陸運局に申請、このほど仮免許がおりたもの。

 停留所は両社とも12ヶ所設け、夕張バスは明石町、千年町、大夕張の3ヶ所に停留所を新設するほか、現在15往復ある南部行きをもう1停留所大夕張寄りのシューパロ湖まで延長する。一方の三菱バスは隧南以南は三菱大夕張鉄道の各駅と北夕鹿島炭鉱に停留所を設けるほか、隧北地区に入っては当初の7ヶ所を修正、若菜、鹿の谷、また昭和通りを通って市役所前、夕張駅に停車する。夕張〜鹿島間の所要時間は列車よりはやい1時間10分。料金は片道大人120円。両社とも空気バネのついた最新式の車を配車してサービスにつとめる。

(写真:テープカットを行う三菱バスの始発便)

冬ダイヤ改正による変更 (1962年11月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

【夕鉄】札幌乗り入れを申請 (1963年1月7日)


夕鉄は7日、夕張から札幌までの直通バス路線を運輸省に申請した。今後、鉄道だけでは経営が苦しくなるうえ、64年度までには北炭平和鉱業所平和鉱の増産体制により、旅客列車を間引きして石炭を運ばねばならず、このため旅客列車を3本減らして、代わりに夕張〜栗山間のバス4往復を角田から札幌まで延長、角田までは各停留所に停車、以後はノン・ストップで札幌の大通りまで運行する。

 夕張〜札幌間の直通バスは現在、夕張バス2本と中央バス2本があり夕鉄とは競合になるが、夕張バスもことし札幌行き急行の1往復増を申請することがはっきりしており、さらに三菱バスも新たに鹿島地区からの札幌直通バスを検討中。5月までに関係官庁の結論が出される見通しだが、夕鉄急行列車の札幌乗り入れ問題も絡まって、ことしの交通業界は利用者の獲得をめぐって戦国時代となりそうだ。

【三菱】運賃改定による変更 (1963年2月11日)


三菱バスは人件費や材料費、除雪費などが上がったため、11日から運賃を値上げする。かねてから陸運局に申請していたが、このほど道南バスなどとともに認可された。

夏ダイヤ改正による変更 (1963年4月20日)


20日から夏ダイヤに改正する。

歌志内線ダイヤ改正 (1963年6月21日)


中央バス滝川営業部は、道道歌志内線の工事で遅延が多い歌志内線急行を21日から運休し、代わりに同ローカル線を一部滝川まで延長運転する。

岩見沢市立病院前に新バス停 (1963年8月10日)


中央バス岩見沢営業所は10条通りの岩見沢市立総合病院前に10日から「市立病院前」停留所を新設する。同病院に通う志文、上志文方面の人たちや市から長いあいだ陳情があり、中央バス万字線(岩見沢駅前〜万字)はこれまでの4条通りから、10条通りを通って志文通りに抜けるようになる。

 これを記念して、同日午後1時半から同停留所で開通式が開かれ、中央バス営業所長や市助役、病院長、市議会議員らが参列してテープカット、待機していたバスの運転手と車掌に花束が贈られたあと、参列者を乗せたバスが10条通りを初運行した。

お盆期間中はバス増発 (1963年8月13日)


中央バスは墓参りなどお盆中の混雑緩和のため、一部の便を増発して運行する。

【夕張】札幌急行線を2便増発 (1963年8月28日)


夕張バスは28日から札幌急行路線(札幌大通り〜清水沢、夕張鉱業所前)を2便増発する。各便の所要時間もこれまでより10分ずつ短縮され、札幌大通り〜夕張鉱業所前間が1時間50分、同〜清水沢間は2時間。ダイヤは次の通り。
◇上り=清水沢発※730 810 ◎1000 ◎1400
◇下り=札幌大通り発◎1000 ◎1530 1700 ※1800
※印は夕張鉱業所前発着便、◎印は新設便

芦別―島の下線 運行再開 (1963年9月1日)


中央バス芦別営業所は地すべりのため3月20日から運休していた芦別〜滝里、島の下線を1日から再開する。ダイヤは次の通り。
芦別→島の下 島の下→芦別
芦別 上芦別 野花南 滝里 島の下 島の下 滝里 野花南 上芦別 芦別
7:00 7:10 7:22 7:29 7:50 7:55 8:16 8:23 8:35 8:45
11:40 11:50 12:02 12:09 12:30 12:35 12:56 13:03 13:15 13:25
16:40 16:50 17:02 17:09 17:30 17:35 17:56 18:03 18:15 18:25

夕張バスが夕鉄と合併 (1963年10月1日)


夕張バスは1日から同じ北炭の系列にある夕張鉄道と合併することになり、これに先立って先月20日、夕張市の平和会館で解散式が行われ、13年の歴史に別れを惜しんだ。

 同社は昭和25年4月1日に設立。当初は夕張鉱業所〜若菜間を2台のバスで運行していたが、市の発展とともに会社の規模も拡大、昭和31年9月から夕張〜札幌間にノンストップの急行路線を開設し、現在は従業員210人、路線延長125㌔、バス53台、年間1億4千万円の収入を上げるほどになった。

 しかし炭鉱の不況とともに市の人口もガタ減り、また同じバス事業を行う同系の夕鉄と競合するのは不合理と、両社が1日から合併することになった。

芦別ターミナルOPEN!! (1963年10月31日)


中央バス芦別ターミナル(芦別市北1西1)が国道脇の拓銀芦別支店前に完成、31日から営業開始する。昨年同社が取得した駅前の敷地が付近の商店から反対され、今春新たに土地を取得し工費約2千万円かけて建設していた。

 ターミナルは鉄筋コンクリート2階建て延べ982平方㍍。1階は事務室兼キップ売り場、待合室と2列の車路があり、乗車ホームはコンクリート舗装された近代的なもの。2階は車掌、ガイド、運転手休憩室のほか管理人室、小会議室を設け、車路部分は吹き抜けとなる。駅前の旧営業所もここに移し、旧営業所跡には芦別専門店会が移転する。

冬ダイヤ改正による変更 (1963年11月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

浜益線に大型バスを配車 (1963年11月20日)


中央バス滝川営業所は来春から浜益線(滝川〜浜益)に大型バスの乗り入れを計画している。この路線は時代離れした順番券を発行するなど同社の完備された輸送体系から完全に取り残されており、浜益村と村議会が村民の利便アップを求め同社に陳情していた。

 同線は旧式な小型バスで1日3往復しているが、昨年から冬期運行も可能になって乗客も次第にふえているため、同社ではこの冬から滝川〜浜益間の所要時間を15分早めて2時間5分にするほか、車内暖房も完備。来年4月には大型バスを配車し、これまでの割引回数券に代わって村内バス学割も実施する構想を練っている。

【道北】旭川―名寄間急行バスをスタート! (1963年12月1日)


道北バスは1日から旭川〜名寄間(87.1㌔)の急行バスをスタートする。従来30往復のうち3往復を急行バスとして運行するため、10月28日旭川陸運事務所に認可申請を行い、11月4日に認可された。旭川〜名寄間の所要時間1時間20分、運賃230円と国鉄普通列車(1時間15分、210円)とほぼ互角。(1964年3月発行『道北急行バス運行による国鉄への影響調査』より抜粋)
◇停車停留所=旭川駅前、旭川7条、北海道神社、末広1丁目、1線13号、比布、蘭留、塩狩、和寒、剣渕、士別、多寄、風連、名寄

【北見・北紋・宗谷】6月から稚内―網走間バス運行 (1964年3月6日)


稚内〜網走間を結んでオホーツク海沿岸を走る急行バス「オホーツク」が観光シーズンのはじまる6月20日から運行される。

 北見バス、北紋バス、宗谷バスの3社が提携し、最近観光客がふえている利尻、礼文と知床を最短距離で、しかもいままで通ることのできなかったオホーツク海沿岸を走る長距離観光コース。稚内〜紋別間を宗谷バス、紋別〜遠軽間を北紋バス、遠軽〜網走間を北見バスがそれぞれリレー運転し、未開の観光地オホーツク海沿岸を案内しようというもの。1日1往復の計画でコースは次の通り。

3年越し、札幌―留萌間直通バスを認可 (1964年4月11日)


運輸省は3年越しの懸案だった札幌〜留萌間直通バス路線の免許を11日、中央バス、沿岸バス(本社・羽幌町)の両社に与えた。同路線は1962年以来、中央、沿岸両バスと天塩炭鉱鉄道の3社間で競願となっていた。

 同直通バスは一昨年5、6月に3社から相次いで開設の申請があり、運輸審議会、運輸省で3年越しの検討を重ねていたが、天塩炭鉱鉄道は途中経路のバス・ストップが少なく、営業所施設が同区間に少ないという理由で却下され、中央バス、沿岸バスの申請だけが認められた。両社は8月ごろまでには営業開始、いずれも1日2往復を予定している。両社の直通バスの営業内容は次の通り。

夏ダイヤ改正による変更 (1964年4月20日)


20日から夏ダイヤに改正する。

札幌―留萌間特急バスをスタート! (1964年6月10日)


中央バス滝川地方営業部はかねて免許申請中だった札幌〜留萌間特急バスの認可が下りたため、10日から1日2往復する。沿岸バスと同区間の相互乗り入れで、所要時間4時間15分、料金は430円。中央バスのダイヤは下表の通りだが、沿岸バスも同日から留萌発7:30、9:00、札幌発15:30、17:00の各2本を運行する。

【特急留萌線時刻表】 ※留萌=留萌港町(留萌市港町2丁目30-58)
(下り)札幌→留萌 (上り)留萌→札幌
札幌 岩見沢 美唄 砂川 滝川 深川 留萌 留萌 深川 滝川 砂川 美唄 岩見沢 札幌
810 920 948 1015 1029 1105 1225 820 940 1018 1030 1057 1125 1235
1410 1520 1548 1615 1629 1705 1825 1520 1640 1718 1730 1757 1825 1935

三笠市立病院開業に伴う新路線 (1964年7月1日)


三笠市立総合病院が先月完成したため、中央バスは1日から新路線を運行する。コースは多賀町〜三笠山線(市道45号線)〜道々岩見沢三笠線〜市立病院前〜三笠ターミナルで1時間に2本ほど運行する。

赤平ターミナルOPEN!! (1964年10月10日)


赤平駅前の中央通りに建設していた中央バス赤平ターミナルがこのほど完成、8日に松川中央バス社長、赤平、歌志内両市長らが集まって開設式を行った。業務は10日から開始する。

 ターミナルは鉄筋コンクリート3階建て延べ460平方㍍、てい形状のスマートな建物。総工費は2,200万円。1階は待合室とバス5台が一度に発車できる3列のバスホームがあり、ホームにバスが到着するとマイクで乗車案内を行い、発車もベルで知らせてくれる。

 これまで赤平駅前の歩道で立ったままバスを待っていた乗客も、これからは暖かい待合室で快適にバスを待つことができるうえ、ターミナル周辺の道路もこのほど舗装され、食堂、商店、ハイヤー車庫などもでき、殺風景だった中央通りもにぎやかになったと住民らを喜ばせている。

(写真:中央バス赤平ターミナル)

冬ダイヤ改正による変更 (1964年11月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

幾春別線を増発 (1965年1月20日)


中央バス三笠出張所は幾春別線(岩見沢〜奔別)のラッシュ時の混雑緩和のため、20日から奔別発の7:22〜7:52に限り10分→6分おきに増強する。

運賃改定による変更 (1965年4月10日)


中央バスは10日から運賃を約11%値上げする。1㌔あたりの基準賃率は4円77銭→5円30銭、最低運賃は10円→15円にいずれもアップし、5円きざみの運賃は10円きざみとなる。ただしブロック単位に停留所を再編したため、赤平市内〜神威(35→30円)、赤平市内〜歌志内市役所前(45→40円)など一部値下げする区間もある。

 この値上げに伴って、競合区間をもつ夕鉄バスの角田〜栗山、栗山〜南幌、野幌〜札幌大通り間なども同調値上げされるが、滝川〜橋本町(新十津川)間など国鉄バスとの競合区間は当分据え置く。

 定期券は値上げを極力押さえて現行1日1往復をフリーパス方式に切り替え、購入した停留所間の乗車回数制限を撤廃、自由に途中下車を認める。このほか3ヶ月定期券が新設され、一般は35%、学生は45%それぞれ割り引く。夕鉄バスとの競合区間は今月下旬から実施する予定。新料金は次の通り。

芦別・岩見沢営業所に新車導入 (1965年4月15日)


中央バスはこのほど芦別、岩見沢両営業所に春の新車を導入した。

 芦別営業所は最新型ロマンスカー3台を増車。全長11.3㍍とこれまでの車よりいくらか大きくバスとしては最長。定員は73人だが真ん中の補助イスを1人としたため席はゆったり、さらにドアは自動式で窓も従来の上下式と異なり、座ったまま開けられるワイドな引き窓を採用した。4月末から花見や観光用、札幌〜旭川線などに走らせる。

 一方、岩見沢営業所ではこの春から市内線専用ワンマンカー4台と札幌〜旭川間長距離用、貸切用9台のあわせて13台の新車を導入する。空知地方では初のワンマンカーとなり、前と後ろにドアがあり、前から乗車して運転席横の料金箱に運賃を入れ、降りるときは座席のボタンを押すとブザーが鳴り、後部の自動ドアから降りる。案内はすべてテープレコーダー。ワンマンカーは陸運局の認可が下りしだい運行する。
 
(左)芦別営業所の新車、(右)岩見沢営業所の新車

夏ダイヤ改正による変更 (1965年5月10日)


10日から夏ダイヤに改正する。

【夕鉄】バス部門拡張計画 (1965年7月11日)


夕張鉄道はこのほどバス部門を中心にした事務所を札幌に新設、さらに岩見沢方面へのバス路線獲得に乗り出そうと、バスの乗客収入を大きく伸ばそうと計画を進めている。

 同社は昭和27年に夕張〜栗山線を獲得してバス部門に進出、38年に夕張バスを吸収して夕張市内のバス路線を一手に握るようになったが、鉄道部門では採算が取れているものの、市の人口の減少なども影響して、バス部門では赤字を出している。とくにバス部門の夕張〜栗山線では乗客は鉄道でも利用できるため、一種の二重投資になっており、市内バスのとくに丁未〜若菜線を除く営業成績もあまり芳しくない。このため夕鉄は岩見沢への乗り入れを実現、栗山〜岩見沢間のバス路線を獲得する計画で準備を進めており、夕張市民がバスに乗ったまま乗り換えなしに岩見沢へ行けるようにしたい考え。

 このほか札幌に新しくできる北炭ビルに夕鉄事務所を新設、社長など幹部が常駐して、中央バスが運行している札幌〜千歳線などの獲得に力を入れ、夕張だけの夕鉄から抜け出て夕張、札幌を含む広範囲に事業を拡張したい意向だ。

桂沢湖水まつりに臨時便 (1965年7月17日)


道立自然公園桂沢湖畔一帯で17・18の両日「湖水まつり」が開かれるが、中央バスは17日、車両30台を投入して桂沢線(幾春別〜桂沢)の桂沢発最終便18:40を延長、20:30から花火大会終了後に見物客が帰り終わるまで同線をピストン輸送して見物客の足を確保する。また幾春別線(岩見沢〜幾春別)も現行の最終便20:30を22時ごろまで延長する。

 湖水まつりはことしで8回目を迎え、呼びものの花火大会やマラソン大会、NHKオーケストラの湖上演奏会、とうろう流しなど多彩なプログラムが目白押し。地元三笠をはじめ近隣市町村から2万人を越える人出が見込まれている。

江竜橋開通に伴う新路線 (1965年9月29日)


中央バス滝川地方営業部は江部乙〜雨竜間の江竜橋開通に伴い、滝川〜深川、滝川〜旭川間(いずれも雨竜、妹背牛経由)の直通バスを開設、このほど運行を始めた。料金は滝川〜雨竜間70円、同〜妹背牛間80円、同〜旭川間180円、江部乙〜雨竜間30円。

留萌ターミナルOPEN!! (1965年10月6日)


中央バス滝川営業部の留萌ターミナルが留萌市幸町2丁目に完成、6日午後1時から開設式を行う。ターミナルは今年6月に着工したもので、鉄筋コンクリート2階建て一部平屋225平方㍍と車庫105平方㍍。乗客待合室、事務室、運転手、車掌室などを備えたモダンな建物。昨年6月に開通した札幌〜留萌間バス利用者の便をはかった。

岩見沢・夕張線スタート! (1965年10月15日)


中央バスと夕鉄バスは15日から岩見沢〜夕張間に急行バスを運行する。この路線は夕鉄がバス部門強化による業務拡張のため、現行の夕張〜栗山線を延長、新たに栗山〜岩見沢間の獲得に乗り出し、昨年3月から札幌陸運局に申請していたもの。これまで、栗山〜岩見沢間に路線をもつ中央バスがこの乗り入れに反対しており、同局が今月8日付で夕鉄の岩見沢乗り入れを認可するとともに、中央バスが岩見沢〜夕張間に急行バスを運行することを認めたため、ようやく運行開始の運びとなった。

 便数は中央・夕鉄とも1日5往復の計10往復。運賃は岩見沢〜夕張間が国鉄より50円安い180円、岩見沢〜栗山間は60円。両社とも新車2台を購入して運行にあたる。

深川ターミナルOPEN!! (1965年10月29日)


中央バス深川ターミナルが深川市森元町9丁目の国道沿いにこのほど完成した。27日午後に開設式を行い、29日から営業開始する。これまで深川駅前にあった旧ターミナルは手狭なうえ、留萌へ抜ける道道の立体交差化で従来の蓬莱町通りでは不便になったため、同社が5月から総工費8,563万円(土地取得費を含む)をかけて建設していた。

 新ターミナルは鉄筋コンクリート3階建て(一部4階)、延べ1,276平方㍍という中央バスでは全道一デラックスなターミナル。1日350本、3,500人の乗降客をさばくためホームは2本、方面別に乗降場が5つ設けられている。待合室も駅前の旧ターミナルよりグンと広く、乗降場には道内のターミナルとしては初めて融雪用のロードヒーティングも敷かれている。11月末には同社が市内音江町広里に建設中の車庫(敷地6,600平方㍍)も完成する見込み。新ターミナル開業に伴い「本町8丁目」「本町9丁目」「拓銀前」「深川橋」の4停留所は廃止となる。※旧ターミナルは現在の1条9番地

(店開きした深川ターミナル)

岩見沢に初のワンマンカー (1965年11月10日)


中央バス岩見沢営業所は10日から美園線(岩見沢駅前〜美園車庫前)に初めてワンマンバスを運行する。

 同社は今年2月、市内循環線、労災・自衛隊線のワンマン化も札幌陸運局に申請していたが、ワンマン化には全コース幅員6㍍以上、踏み切りナシ、方向転換場所確保の3条件が必要なため、これをクリアする美園線(片道3.1㌔、1日58往復)だけが認可された。

 ワンマンバスは前乗り後降りだが、美園車庫終点の降車のみ前降りになる。このほかワンマンバス注意点は次の通り。

 ①料金はあらかじめ釣り銭のいらぬよう小銭を用意する。
 ②料金(乗車券)は乗車時に料金箱に入れる。
 ③定期券は乗車時に運転手に見せる。
 ④降車口ドアは自動式で運転手が操作するのでドアに触れないこと。
 ⑤降車の際は窓ワクにあるブザーを押す。

(写真:岩見沢営業所に入ったワンマンカー)

冬ダイヤ改正による変更 (1965年11月10日)


10日から冬ダイヤに改正。

【三菱】札幌―大夕張間スタート! (1965年12月20日)


三菱バス(三菱鉱業)は20日から札幌〜大夕張間の急行バスの運行を開始する。同社は現在、大夕張〜夕張間を1日7往復しているが、地元から札幌乗り入れの要望が強いため申請していたもので、先月5日に運輸審議会が路線開設を免許するよう中村運輸相に答申していた。

 大夕張鉄道大夕張駅前〜札幌市北5条西7丁目三菱車庫前間を結ぶこの直通バスは1日2往復で、車両はことし春購入した三菱ふそうのロマンス空気バネAR1965型「スズラン号」。19日試運転を兼ね、三菱大夕張バス停前で開通式が行われ、関係者など約80人が出席して急行「スズラン号」の発車を合図にテープカットで開通を祝った。

 かつて大夕張地区は鉄道を除いて夕張中心街に抜けるバスがなく、文字どおり"陸の孤島"だったが、3年ほど前から夕張駅前行き急行バスが通るようになり、さらに今度は札幌行き急行が開通し、これで札幌日帰りも可能になるとあって住民の喜びもひとしお。ダイヤは次の通り。

(写真:大夕張バス停前で行われた開通式)
(復)大夕張→札幌 (往)札幌→大夕張
大夕張駅前 710 1600 三菱札幌
営業所前
1140 1840
千年町 713 1603 札幌大通
6丁目公園
1200 1900
明石町 716 1606 遠幌 1340 2040
湖畔亭 724 1614 北菱 1344 2044
南部 731 1621 南部 1349 2049
北菱 736 1626 湖畔亭 1356 2056
遠幌 740 1630 明石町 1404 2104
札幌大通
6丁目公園
920 1810 千年町 1407 2107
三菱札幌
営業所前
925 1815 大夕張駅前 1410 2110

夏ダイヤ改正による変更 (1966年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

岩見沢ターミナルOPEN!! (1966年6月15日)


4月10日の着工以来、突貫工事を続けていた中央バス岩見沢営業所のバスターミナルが国鉄岩見沢駅前広場の一角にこのほど完成、15日から営業を始めた。

 ターミナルは建物、発着ホームを含めて延べ674平方㍍、総工費は3200万円。事務所や建物は鉄筋2階建てで、壁や床の部分は総タイル張り。1階は待合室(132平方㍍)に当てられ、四方がガラス張りになった明るくてモダンな雰囲気。発着ホームは5本あり、それぞれこの待合室から改札口を通ってバスに乗り込む仕組み。

 隣接する駅前広場は拡張工事のため、11日から舗装のための路面掘り起こし作業が進められており、市の表玄関にふさわしく以前の倍以上の新広場に生まれ変わる予定。(※新広場は9/10落成式)

(写真:中央バス岩見沢ターミナル)

【夕鉄】夕張市内の系統変更 (1966年6月25日)


夕張市内の錦橋がこのほど完成し、高松と丁未を結ぶ幹線が完全舗装となったため、夕鉄は25日から高松と丁未を結ぶ系統を新設するなど一部運行系統を改正する。若菜〜丁未間は夕炭労・人車前経由と炭鉱病院前・高松経由の2系統になるわけで、利用者にわかりやすいようバスの方向幕に色をつけ表示する。

札幌・留萌線を増発 (1966年7月1日)


中央バス滝川地方営業部は海水浴シーズンに備え、1日から特急札幌・留萌線(札幌〜滝川〜江部乙〜深川〜留萌)を3→4往復に増強する。所要時間4時間15分。発車時刻は次の通り。

赤平ターミナル前に防護サク (1966年7月7日)


中央バス赤平ターミナル(赤平市錦町)前の路上にこのほど、鉄パイプの防護柵がお目見えした。バスが道路いっぱいに回転して危険だと昨年住民から苦情が出て、市議会でも問題になっていた。

 バスはターミナル構内の3本の乗降ホームから発車し、幅員11㍍の狭い都市計画道路7号線をほぼ直角に左折するが、この時バスは道路わきの商店などにスレスレとなり、他の車や歩行者は一時ストップを強いられるため、商店の営業にも支障があると昨年8月、錦町町内会から市議会に対策が陳情された。市議会もこれをとりあげ同12月、市理事者に意見書を送付した。

 その後、横断歩道が設けられたが根本的な解決にはならず、再び先月の市議会で追及され、市は中央バスと話し合い、乗降場の拡幅で発車角度を変えることは容易ではないため、暫定処置として赤平署と協議のうえ、ターミナル発車口前の路上に高さ1㍍、長さ4㍍、直径10㌢の鉄パイプ製歩行者防護柵が取り付けられた。バス運転手はまだ慣れないため発車には苦心しているが、歩行者にとっては一応の安全地帯ができあがった。

(赤平ターミナル前に設けられた防護サク)

札幌―沼田間に特急バス (1966年8月1日)


中央バスは沼田町民から要望の高かった札沼線(札幌ターミナル〜沼田駅前)の特急バスを1日からスタートさせる。札幌〜岩見沢〜滝川〜雨竜〜妹背牛〜深川〜秩父別を経て沼田駅前まで、所要時間3時間50分。札幌発13:05、15:05と沼田発7:55、8:50の1日2往復する。

 札幌〜沼田間のバス運行をめぐっては、沼田・雨竜両町など国鉄札沼線沿線4町村の町理事者、町議会関係者が今春札沼線列車のスピードアップと沼田〜北竜〜雨竜〜新十津川〜滝川間の国鉄バスを札幌まで延長するよう国鉄道支社や札幌陸運局に申し入れていたが、滝川〜美唄間の運行権は中央バスがもっており、他社の乗り入れに反対しているため実現しなかった。

岩見沢神社秋祭臨時バス (1966年9月15日)


中央バスは岩見沢神社祭典の15、16の両日、北村循環線(森農場先回り)と月形、栗沢駅前、茂世丑局前、上美流渡、幌向駅前行きに臨時増発便を運行する。いずれも岩見沢ターミナルを午後8時に発車。市内循環線は14・15・16の3日間、中央通り(6条〜10条間)が露店で通行禁止となるため西2丁目通りを迂回する。

旭川バス 経営権めぐり争い (1966年10月1日)


5月下旬、旭川バス(旭川市)の株を過半数買い占めた旭川電気軌道(同)が経営権を手中にしようと計画された旭川バス臨時株主総会が1日、旭川・アサヒビルで開かれた。

 ヤジと怒号が乱れ飛ぶなか、百十数人の株主が真っぷたつに分かれ「このままでは総会が続けられない」と電軌側数十人がいっせいに退場、旭川バス側は「定款の一部変更」「役員全員の解任」をそれぞれ否決、現取締役8人のほか10人の新取締役を選出した。

 一方、電軌側は別室で独自に議案を審議し、2/3以上の同意を必要とするさきの2議案を撤回、同社側の取締役14人を選出した。

 このようにそれぞれ有利な2通りの議決がなされたが、双方の総会とも商法上成立するかどうか異議があり、旭川バスの経営権をめぐる争いはこんこんとしてきた。

 この問題はことし4月末、旭川バスの元専務取締役、黒田氏が自分の持ち株約3万株(同社の株式総数は10万8千株)を手放したいと旭川電気軌道の豊島常務に持ちかけ、これをきっかけに電軌側が旭川バスの株を買い占め続け、5月30日の定時株主総会を前に約6万株(55%)を手中に収めた。この総会で豊島氏が黒田氏の後任として旭川バスの専務に選任、これをめぐって経営権をめぐる争いが表面化したもの。

長沼ターミナルOPEN!! (1966年10月7日)


長沼中央市街の道道札夕線沿いに中央バス長沼ターミナルが完成、7日から営業開始する。ターミナルは680平方㍍の敷地に鉄筋コンクリート一部2階建て、延べ207平方㍍の建物を備えたスッキリとした建物。1階は営業所事務室、待合室、2本のバスホームなど。2階は乗務員の寮になっており、同社がこの春から総工費3千万円で建設していた。

 バスは両側の道路から入って客を乗せ、東側の道道札夕線に出る。これまで営業所前が停留所になっており、バス発着のたびに交通の障害になって住民から苦情が出ていたが、これで付近の交通もスムーズになる。

札夕線に新停留所 (1966年11月7日)


中央バスと夕鉄バスは由仁高生徒の便をはかるため、7日から両社が運行する札夕線(札幌〜夕張)に停留所を新設する。これまで協定により中央バスは夕張〜角田間、夕鉄バスは夕張橋〜中央長沼間に停留所が設置できなかったため、栗山町内の新二股、継立両地区から由仁高校に通う生徒約30人は角田で乗り継ぎしなければならず、同校や同校PTA、栗山町、由仁町の4者から札幌陸運局や両社に「停留所を設置して乗り換えなしで通学できるようにしてほしい」と陳情が出ていた。

 このほど話し合いがまとまり、7日から「由仁高前」などの停留所が新設することになったが、この措置はあくまでも同校生徒の便をはかるためのものなので、各停留所には上り線、下り線とも乗降制限が設けられる。新設する停留所は次の通り。

冬ダイヤ改正による変更 (1966年11月21日)


21日から冬ダイヤに改正。

富良野線 運行スタート! (1966年12月29日)


中央バスと旭川電気軌道バスは29日から富良野線(芦別ターミナル〜富良野)の運行を開始、中央バスの富良野市乗り入れが初めて実現する。この直通でスキーシーズンは「北の峯」も気楽に利用できるなどグッと便利になる。

 これまで富良野〜芦別間は、旭川電気軌道が富良野〜島の下まで、中央バスが芦別〜島の下(泉部落)間を1日3往復していたが、双方の終点はわずか100㍍ほど離れており、両バスの運行回数やダイヤも違うため乗り継ぎもできず、国鉄にたよる以外、富良野〜芦別間の直結はできなかった。

 このため富良野地方総合開発連絡協議会が両バスに対し同区間の直通バス運行を要望するとともに、去る10月26日、両社の代表を招いて富良野市役所の市長室で話し合った結果、両社間の相互乗り入れの協定が成立した。

 富良野市側の終点はホテルしみず前(東5条南2丁目)となり、所要時間50分。料金は120円。運転回数は中央バスが6往復、旭川電気軌道バスは3往復の計9往復。ほかに中央バスの芦別〜野花南間も4往復ある。バスは普通便でこれまでの各停留所で乗降できる。運行ダイヤは次の通り。(◎印は旭川電気軌道バス)

【芦別発】6:55 ◎8:25 9:25 11:25 ◎12:25 13:55 16:25 ◎17:25 18:25
【富良野発】◎7:10 8:10 10:40 ◎11:10 12:40 15:10 ◎16:10 17:40 19:40

芦別スキー場行き新設 (1967年1月8日)


中央バス芦別営業所は1/8〜3/26までの日曜、祭日と学休日に国設芦別スキー場行きバス(芦別ターミナル〜芦別スキー場)を初めて運行する。札幌陸運局からこのほど認可され、料金は大人20円、小人10円。1日4往復する。ダイヤは次の通り。
【運行ダイヤ】ターミナル発9:30 10:00 14:30 15:00/スキー場発9:45 10:15 14:45 15:15

砂川市終バス延長など要望 (1967年1月17日)


砂川市の移動市役所が17日、空知太小学校、市消防署、北電・石狩荘でそれぞれ開かれ、中央バスへの注文が次のように出されたので、砂川市は中央バスや関係当局と交渉することにした。

夏ダイヤ改正による変更 (1967年5月1日)


中央バスは1日から夏ダイヤに改正する。

三笠市にバス停車帯登場 (1967年9月)


中央バス幾春別線(岩見沢〜中の沢町)の三笠警察署前停留所(弥生桜木町)に、三笠市初のバスの"停車帯"が今月中にも完成する。

 札幌土現岩見沢出張所が道道桂沢―岩見沢線の舗装改良に伴う歩道新設工事にあわせて設置するもので、バス停のある歩道を"コの字型"に幅2㍍、長さ6㍍にわたって食い込ませた交通安全施設。バスが停車すると車体の3分の1ほどが歩道側に入るため見通しも悪くならず、クルマの流れにも影響しない。

 同出張所では来春「唐松栄町」にも同様の停車帯を設置する計画だが、三笠署でも最近多発しているバス直前横断時の死亡事故をなくそうと躍起になっている。

札幌―夕張線を大増便 (1967年11月6日)


中央バスは6日から特急札夕線(札幌ターミナル〜夕張駅前)を5往復増発、競合する夕鉄バスの札幌〜夕張間急行バスとあわせ19往復に増強する。両社は7月初めから話し合いを始め、9月になって中央が6→11往復、夕鉄が4→8往復に増やすことで意見が一致。このうち夕鉄は増える4便のうち3便を夕張鉱業所前発、1便を真谷地発の直通運行とする考え。両社は札幌陸運局に認可申請を提出し10月1日から運行開始する運びだったが、一昨年12月から札幌〜大夕張間に急行バスを2往復走らせている三菱バスとの利害関係が出てきたことと、その調整のために認可がノビノビになっていた。新ダイヤは次の通り。

冬ダイヤ改正による変更 (1967年11月21日)


21日から冬ダイヤに改正。

滝川市でスクールバスをスタート! (1967年12月)


滝川営業所は江陵中学校と第二小学校のラッシュ時スクールバス1台を運行する。両校とも江部乙寄りの北滝の川8丁目付近から発車。12月中旬〜来年3月いっぱいまで、学休日は運休。
【運行ルート】北滝の川8丁目付近(7:56)→自衛隊正門→江陵中学校(折り返し)→第二小学校

新・砂川ターミナル建設プラン (1967年12月31日)


来年7月に完成する砂川市立病院の移転に伴い、跡地に中央バスが新ターミナルをつくるプランを立てている。

 跡地は国道に近い市の中心部、砂川の一等地となる延べ9,600平方㍍の敷地。現在の砂川ターミナルが狭いため、同社は病院跡地の東半分4,800平方㍍について市に払い下げの陳情書を出している。

 これによると、同社は現ターミナルを移設して鉄筋コンクリート2階建ての待合室、事務室、会議室(延べ660平方㍍)、バスのホーム360平方㍍、操車用車庫700平方㍍などを建設する計画。また地元商工業者の要望があれば3〜4階にターミナルデパートをつくるプランもあるが、同じ場所に砂川商工会議所が産業会館やデパート式の共同店舗をつくる希望を出しており、競合となっている。

円山―継立間直通バスを (1968年1月25日)


この4月から栗山町内5つの中学校(栗山、角田、雨煙別、継立、円山)が2つに統合、南部地区では円山中学が継立中学に合併されるが、町教委では円山の通学生徒の便をはかろうと25日午後1時半から、役場会議室に中央、夕鉄両バスの営業担当者を招いて円山〜継立間の新バス路線などについて話し合った。

 同地区には現在、中央バスの円山線(栗山〜角田〜南学田〜南角田〜円山〜滝ノ下)、夕鉄バスの御園循環線(栗山〜角田〜継立〜御園〜南角田)の両線が走っているが、円山の生徒が直接継立まで行くには、中央バスで出て南角田で夕鉄バスに乗り換えるか、中央バスの御園口で降りて継立まで約2㌔歩くかしかない。

 中学校統合にあたっては、円山から継立に行けるバス路線を新設するという条件が出されているが、町ではスクールバスの構想はなく、中央、夕鉄両バスに協力を要請していた。

 この日の話し合いでは、夕鉄バスが南角田から円山まで路線を延ばして中央バスもそれを認めるか、中央バスが通学時だけ御園口から継立を経由して角田に出るよう路線を変更するか、2つの案が出され、とりあえず夕鉄バスの路線延長を第1案とすることにした。

由仁町内のバス停問題 (1968年2月16日)


由仁町内には中央、夕鉄両バスの札幌〜夕張間急行バスが走っているが、由仁から札幌へ出るには中央バスの急行しか利用できず「もっとも早くて便利な夕鉄バスを由仁町民も利用させてほしい」と、由仁町商工会、由仁本町連合町内会などが中心となって、近く夕鉄バス由仁旅客取り扱い促進期成会(仮称)を結成、署名運動をして道行政監査局、札幌陸運局、札幌陸運事務所、夕鉄バスなど関係機関に陳情することになった。

 同急行バスは1956年に運行開始。北広島〜夕張は道道札夕線の同じ道を走るが、札幌〜北広島間は夕鉄が国道12号線〜白石〜厚別経由、中央が国道36号線〜豊平〜大曲〜産業大学前経由で走っており、夕鉄バスの所要時間1時間に対し、中央バスは約1時間20分と20分の開きがある。しかしバス会社の権益保護のため、札幌への旅客取り扱いは夕鉄が夕張〜角田間、中央が由仁町のある角田〜長沼間に限られ、これが長沼まで行く夕鉄、中央両バスともお客さんを降ろすだけ、長沼から札幌に行く人は国鉄バスの権益となり、中央、夕鉄両バスとも客を乗せないという複雑な取り決め。由仁の人たちは札幌行きの夕鉄バスが町内を走っていながら、乗ることはできない状態に置かれている。

 陳情書では「公共的使命を持つバス業者が沿線利用者の要望を無視し、互いの利害のみにとらわれる一方的な業者間の協定を結んでいるのは不当な利用制限である。両社のバスは運行時刻と経路が異なり、行き先と目的によって利用者が自由に選択できるべきだ」と訴えている。

夏ダイヤ改正による変更 (1968年3月21日)


中央バス滝川地方営業部は21日から、滝川市内の泉町線全系統と砂川市内の北電線(緑町経由を除く)に両市内初のワンマンカーを運行する。

夏ダイヤ改正による変更 (1968年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

砂川市立病院跡地、中央バスに払い下げ (1968年8月24日)


砂川市は市立病院旧館跡地の払い下げを希望していた中央バス、砂川商工会議所の双方と話し合いを進めていたが、24日、双方の地割り交渉が成立した。

 市立病院は新館完成に伴い、旧館の大部分は現在取りこわしの真っ最中で跡地は約1万800平方㍍。このうち国道に近い東半分を中央バス、商工会議所の双方が払い下げを希望していた。中央バスは来春ここに新しいバスターミナルを建設、商工会議所は会員有志の出資によるショッピング・センターを設ける。

冬ダイヤ改正による変更 (1968年11月21日)


21日から冬ダイヤに改正。

滝川ターミナルOPEN!! (1968年12月1日)


中央バスが5月から建設していた滝川ターミナルが、このほど滝川市明神町154の国道12号線沿いに完成した。同バスターミナルはこれまで駅前にあったが、市の駅前整備で移転することになり、同社が約3億5千万円かけて建設していた。11月27日午前11時から現地1階で開設式が行われ、1日の冬ダイヤから営業開始する。

 新ターミナルは鉄筋コンクリート地下1階、地上4階、塔屋2階建て延べ3,624平方㍍という空知一の施設を誇るバスターミナル。同社としては札幌に次ぐ2番目の大型バスターミナルとなり、規模としては東北以北最大。1階はバス待合室と乗車ホーム、2-3階は金市館、4階は事務室、会議室が設けられ、1階の乗車ホームからは一度に8台のバスが発車できる。

 地下から屋上にかけてエレベーター、1-3階にはエスカレーターを取りつけ全館温風暖房完備。地階には地元業者6店が入居して名店街をつくる。また屋上の大きな無線塔からは札幌、旭川、富良野などの遠隔地と連絡することができる。

(写真:中央バス滝川ターミナル)

冬場は陸の孤島…送毛、濃昼地区 (1968年12月15日)


日本海沿岸の浜益村の役場所在地である茂生〜毘砂別〜送毛〜濃昼間は中央バス浜益村内線が1日2往復しているが、12月暮れから4月上旬にかけて毘砂別〜濃昼間(約12㌔)が雪のためストップ、送毛(61戸)、濃昼(64戸)の住民は4か月近くも全く足を奪われ"陸の孤島"と化してしまう。

 このため札幌開建滝川事業所が4年ほど前から除雪を行い、昨年正式に除雪路線に指定されたが、幅員4.5㍍と狭いうえ、最高15度の傾斜があり、約9.7㌔にわたって曲がりくねっている通称・送毛峠はスリップがひどく、バスなど大型車の通行はとてもムリ。最大のネックである"送毛峠"の拡幅など改良工事は、国道231号線厚田〜浜益間が全通する71年度以降に持ち越される予定で、冬季もバスが通れるようになるのはまだまだ先になりそう。

 中央バス佐藤滝川営業所長は「赤字路線だから走らせないのだろうという見方もあるようだが、道路事情さえ許せばいつでも運行する。少しでも軽量な車をと、マイクロバスを入れてみたがやっぱりだめだった。私の方としては除雪をしっかりやってもらうより仕方ない」といっている。

三瓶山スキー場行き運行 (1968年12月25日)


三瓶山スキー場は暖冬異変のため開始が遅れていたスキーリフトを25日から運転する。これに伴い、スキー場行きの定期バスを土曜、日曜、祭日と学校の冬休み中、次のダイヤで運行する。料金は片道大人30円、小人15円。
 ◇深川ターミナル発 910 1240 1500、スキー場発 930 1300 1530

ターミナル移転で客足パッタリ… (1968年12月27日)


滝川駅前中央バス滝川営業部のバスターミナルが今月1日、駅前から市内明神町の国道沿いに移転してからまもなく1ヶ月になるが、旧ターミナル前と有楽町通りの一角にある駅前商店街は客足がガタ落ち、とくにターミナル前は、おみやげ屋、旅館、食堂、喫茶店、菓子店など10軒があり、"市の玄関口"という安定した商売をしてきただけに影響が大きく「このままでは倒産する」と業者をあわてさせている。

 1日平均1万人前後の利用客があった中央バスターミナルの引っ越し後は、どこも予想以上に客足がガタ落ち、通りに面する菓子店は従来の60%も売り上げがダウン、また13年間営業してきた食堂のお客は半分以下に激減しているといい、いつもはにぎわうクリスマスイブもロウソクの火が消えたような寂しさ…。

 一方、同地区は3.3平方㍍あたり最低15万円という市内でも指折りの地価だったが、これもグングン値下がりし、あまりにも影響が大きいため、地区業者30人が集まり対策を話し合ったものの、これといった名案がないまま散会。いまのところお手上げの状態。「こんな状態では売り上げが減って店がつぶれてしまう」とある業者は"さびれゆくマチ"に不安な表情でいる。

(写真:人影さびしい滝川駅前商店街)

砂川市がバス運行陳情 (1969年1月18日)


砂川市は18日、南吉野地区を通って砂川小、奈井江方面へ向かうバスの運行などを求め、中央バス砂川営業所に陳情書を手渡した。

 それによると、南吉野地区から砂川小、奈井江方面行きのバスは途中、南5丁目停留所か砂川ターミナルで下車、乗り換えしなければならず、とくに砂川小の児童は南5丁目〜砂川小の約500㍍を歩くため、ラッシュ時に交通事故の危険がともなう。そこで、砂川ターミナル〜南吉野地区〜砂川小〜奈井江方面のバス運行の実現、午前7時半〜8時半と午後5時〜6時のラッシュ時の増便の2点を陳情した。

 これに対し、同営業所は「利用者からは何の苦情もないし、バスの運行は現状で精一杯なので要望を受け入れることは難しい」と難色を示している。

三笠市内にワンマンバス登場 (1969年4月23日)


中央バス三笠営業所(三笠市幸町)にこのほど大型バス3台が納車され、このうち2台は78人乗りのワンマンバス、幌内線(三笠ターミナル〜中央町)専用車として走らせる。

 同社では車掌不足のため、この路線をワンマンバスに切り替えることを決め運輸省に申請しているが、認可は夏か秋ごろになる見通し。それまでは車掌が乗務する"ツーマン方式"で同線にこの新型バスを走らせる。

(三笠営業所に入ったワンマンカー)

夏ダイヤ改正による変更 (1969年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

夕張市内のバス停問題 (1969年7月9日)


夕張市内には夕鉄バス97、三菱バス14、中央バス7つのバス停があるが、本町から若菜間のバス停はほとんどが"バス停留所基準違反"。特にひどいのが「本町1丁目」と「炭鉱病院前」。踏切のすぐそばで並行停留所のうえ、カーブで見通しの悪いところ。ラッシュ時は道路の両側にバスがとまり、一般の車はもちろん歩行者は横断することもできない。このほか「本町2丁目」「十字街」「市役所前」なども似たような状態。

 バス停留所基準は昭和35年に道警本部、陸運局、バス協会の3者が協議して設けたもので、バス停を設置する場合、横断歩道から30㍍以上、踏切から50㍍以上離れ、道路幅が15㍍未満の場合は並行してバス停を置いてはならない、歩行者保護、道路交通をスムーズにすることなど、交通安全という立場から細かく規制されている。

 すでに札幌、旭川など他都市は基準どおりバス停が移設されているが、夕張だけは依然として踏切や交差点のすぐそばにバス停が設置されたままになっており、夕張署ではバス停を基準どおり移設するよう、昭和40年ごろから再三にわたり3社に申し入れているが、いまだに改善されていないので、近くさらに強い勧告をするという。

 このような現状に、一般ドライバーや市民からは「横断歩道から5㍍以内に駐車したら駐車違反になるのに、バスだけは許されるのか」「両側にバスが停車するため横断するのに前方が見えず、あぶないこともしばしば」―という声も出ており、批判も集中している。

新・砂川ターミナルOPEN!! (1969年10月15日)


中央バス砂川ターミナル(砂川市西1北2)が旧砂川市立病院跡地にこのほど完成した。13日午前11時から落成式を行い、15日から営業開始する。国道沿いの現ターミナルが老朽化し手狭になり、同社が総工費1億円を投じて4月から建設していた。

 新ターミナルは鉄筋コンクリート2階建て、一部地下1階、延べ1,242平方㍍、外壁はレンガ造りのモダンな建物。1階は待合室、事務室、売店、改札口、乗車ホーム、2階は車掌室、食堂、その他4店舗などが入り、スイッチバック式の乗車ホームから一度に6台のバスが発車でき、1日360便のバスが発着する。ホームには運転司令室から全体を見渡せる監視用テレビが3台あり、札幌、岩見沢ターミナルに次ぐ最新式の設備となる。
※滝川方面からのバス降車場はターミナル向かいの市道西1条線(西1北3)に設けられたが、バス停が酒販売店倉庫前にあり商売のジャマになるためその後移転

(完成した中央バス砂川ターミナル)

冬ダイヤ改正による変更 (1969年11月21日)


21日から冬ダイヤに改正。

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