中央バス最新NEWS

小樽管内 1960年代

1960(昭和35)年〜1969(昭和44)年

札幌・朝里川温泉線ダイヤ改正 (1960年2月5日)


中央バスは5日からスキー客のため、札幌〜朝里川温泉間急行バスダイヤを次のように改正する。
札幌ターミナル発 910 1310 1510、朝里川温泉センター発 1030 1430 1630

冬季運休線の再開 (1960年2〜3月)


中央バスは冬期間運休していた路線を再開。

夏ダイヤ改正による変更 (1960年5月15日)


15日から夏ダイヤを実施。蘭越〜島牧間直通便を運行する。

小樽市内線に番号制、終発延長 (1960年5月16日)


中央バスは16日から小樽市内線の運行時間を延長。同時にバスの前部に行先別の系統番号を表示し乗客の便をはかる。番号は車体前部の方向幕の隣やバンパーに取り付けられ、これまで同じ路線を行先の異なる同じ型のバスが続く場合、バスが接近するまで自分の乗るバスを確認できなかったが、番号制によりかなり前方から確認できるうえ、地方客にも簡単に番線案内ができるようになる。

 市内線の運行時間については、同日から9月30日まで朝晩とも30分延長。午後10時以降は女子の勤務が禁じられているため商大生のアルバイト18人を採用し、午後7時ごろから学生車掌が初めて配置される。各路線の運行時間は次の通り。


(バンパーに取りつけられる系統番号)

積丹定期観光バスをスタート! (1960年6月1日)


中央バスは6/1〜9/10まで積丹定期観光バスを運行する。料金700円。

寿都管内などダイヤ改正 (1960年7月1日)


中央、道南両バスは1日からダイヤ改正を行う

岩内神社祭典にバス増発 (1960年7月8日)


中央バスは岩内神社の祭典が行われる8、9の両日、各線とも朝から折返し運転を行うほか、岩内発の最終バス発車時間を次の通り変更する。なお宵宮祭当日の7日は人出の状況によって増発する。

登線スタート! (1960年7月9日)


中央バスは9日から登線(余市営業所〜登小前)を新設する。発車時刻は余市営業所発7:15 12:30 16:05、登発7:40 13:00 16:30の3往復。
【停車停留所】余市営業所〜余市駅前〜黒川9丁目〜日本清酒〜駒谷クラブ〜大登橋〜登小学校前

【新見温泉】岩内―温泉間無料バス (1960年7月20日)


国民温泉に指定されている新見温泉(蘭越町)では20日から岩内〜新見温泉間無料バスを1日2往復している。岩内発8:30、17:00の2便で日帰り客、泊まり客からも喜ばれている。

岩内―小沢線を経路変更 (1960年8月2日)


道道岩内―小沢線の前田農協前から幌似へ向かって延長1,140㍍で凍雪害防止工事が始まったため、中央バスは2日から2週間、岩内〜小沢線すべてを発足経由で運行する。このため岩内発車時間はいずれも5分早くなる。

祝津線を経路変更 (1960年9月8日)


中央バス祝津線(小樽駅前〜祝津)の赤岩湯〜高島小学校間が道路工事で一方通行になるため、9/8〜9/30まで同線の運行経路を復路のみ高島小学校〜高島〜手宮駅〜小樽駅に変更する。

小樽市内線 早朝便廃止 (1960年10月1日)


中央バス小樽地方営業部は5月16日から実施していた小樽市内線の運行時間延長のうち、早朝延長を取りやめ夜間延長のみ継続する。1日からの各線の始発時間は次の通り。このほか1日から古平、積丹線(小樽〜美国・入舸、余市〜豊浜鉱山・美国・入舸・余別)の運行時刻も改正する。

小樽駅前案内所OPEN!! (1960年11月18日)


6月から拡張工事を行っていた中央バスの駅前案内所がこのほど完成した。案内所は小樽駅前広場に面した鉄筋コンクリート2階建て延べ500平方㍍。1階は待合室や案内所、2階は本社から小樽地方営業部が移転するほか、運転手、車掌の控え室に用いられる。
  
(小樽駅前に完成した案内所/左:近景、右:遠景)

【国鉄】冬ダイヤ改正による変更 (1960年11月21日)


国鉄バスは21日から次の通り冬ダイヤを実施。

岩宇地方の配車事情 (1960年11月28日)


岩宇地方を走る中央バスは岩内線(岩内〜神恵内)が28往復、発足線(泊〜小沢)、島野線(岩内〜敷島内)がそれぞれ2往復半、倶知安線(岩内〜倶知安)が13往復半、これをふそうリアエンジン車のロマンスカー4台(今春1台、10月3台配車)、いすゞのボンネットタイプ中型車5台、ガソリン車3台の計12台で運行しているが、このうち赤と緑に塗ったガソリン車はかなりのオンボロ車で乗客からの評判が非常に悪い。

 そこで中央バス岩内営業所は来春同車を廃車し、雪どけ後に新車に切り替えるほか1〜2台増車する予定もあり、主要路線は1日1〜2回増発できる見込み。ただし泊〜神恵内間のように大型車では通れない区間もあるため、すべて大型車に切り替えられない事情もある。

若松線の終点事情 (1960年12月18日)


小樽市内の中央バス終点は最上町、赤岩、駅前、仲の町のように待合所のあるところと、立地などの関係でまだ設置されていない場所がある。若松線(手宮〜若松町)の若松町終点もまだ設けられておらず、バスは降車場所となる奥沢寄りの十字街から北海道急行トラック(60年中央バスの子会社として設立)、札幌自動車車庫の一角を一回りして十字街北側の乗車場所まで回送するが、朝夕のラッシュ時などは同車庫付近でバスがふくそうしてもたつき、発車時間に遅れることがあり、寒空でバスを待つ乗客からは不満の声が出ている。

岩内―小沢間ダイヤ改正 (1960年12月19日)


中央バス岩内営業所は19日から岩内―小沢間のダイヤを次の通り変更した。

【国鉄】春香山スキーバス (1960年12月25日)


国鉄バスは12/25〜3/12までの日曜日に「春香山行きバス」を運行する。ダイヤは札幌発830 845、和宇尻(ワウス)発1515 1530。

【寿鉄】バス来春まで運休 (1960年12月27日)


26日夜来の猛吹雪による積雪のため、寿都鉄道バスは27日の第3便(寿都発1530)から来春まで運休した。これで寿都〜黒松内間の連絡は来春まで寿都鉄道の列車だけとなるが、その列車も来月1日のダイヤ改正で1往復減るため、住民から不満の声が出ている。
 中央バスの寿都〜蘭越間はいまのところ順調に通っているが、冬季間の除雪については蘭越町と折衝中である。

小樽市内線の年末年始運行 (1960年12月31日)


中央バスは初もうで客の便を図り、小樽市内線は31日終夜運転、元日は午前2時まで運行。ただし、山手循環線は駅前〜仲の町〜入舟十字街〜住吉神社前折り返し、奥沢線は奥沢口〜天満宮下折り返し、梅源線は平常ダイヤ運行。なお元日終発時刻は次の通り。

【寿鉄】寿都―追分間の臨時バス (1961年1月5日)


寿都鉄道は寿都〜追分間の臨時バスの運行を再開。

【寿鉄】ダイヤ改正 (1961年1月21日)


寿都鉄道バスは21日から次の通りダイヤ改正を行う。

不便なダイヤ改正 (1961年2月7日)


中央バス蘭越出張所は7日から磯谷、寿都、島牧方面のダイヤを改正する。住民からか要望のあった磯谷〜寿都間はこれまでの1往復から2往復に増え、また島牧〜寿都〜蘭越間はすべて連絡するようになった。

 今冬から寿都町開町以来初めて、住民の強い要望で開発局が磯谷〜島牧村原歌間59㌔の国道除雪に乗り出し、寿都〜島牧間は夏より1往復少ない3往復を走らせ住民から喜ばれている。しかし一方で、寿都〜磯谷間(24㌔)は吹き溜まりや勾配などの関係でたった1往復(寿都発900)しか運行しないため、同沿線とくに磯谷、横澗、鮫取澗、美谷方面の住民から大きな非難を買っていた。

 先月31日に中央バス、町当局、開発局側3者の話し合いが持たれ、開発局は「除雪については決して迷惑をおかけしません」とはっきりと弁明、このため中央バスでも2往復することに踏み切ったもの。7日からの新ダイヤは次の通り。

夏ダイヤ改正による変更 (1961年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。
【新見線時刻表】
蘭越
駅前
新見
温泉
新見
温泉
蘭越
駅前
8:00 8:30 9:15 9:45
11:00 11:40 12:50 13:20
13:50 14:20 16:00 16:30
17:10 17:40 18:00 18:30

余市町内に車庫建設 (1961年6月26日)


中央バスは余市町内線の沢町終点わきの空き地に鉄骨組みのドーム型車庫を建設している。バスの大型化に伴って従来の車庫が手狭になったのと、一級国道の拡幅工事で余市営業所と付属の車庫を改築しなければならなくなり、新たに工費約1千万円をかけて建設するもの。完成すれば大型バス16台が格納できる。(※沢町は富沢町の誤りか)

小樽市内定期観光バス (1961年7月1日)


中央バスは7/1〜8/31まで毎日、恒例の小樽市内定期観光バスを運行する。小樽駅前(13:00発)〜北海ホテル前〜花園公園(見晴台)〜港町〜ふ頭〜オタモイ〜祝津〜小樽駅前を一巡し、市内の主要観光地を巡る2時間40分のコース。運行初日の1日は、初夏のさわやかな風を車窓いっぱいに受けながら老夫婦、家族づれなど20人ほどがつぎつぎに景勝地をめでていた。料金は水族館入場料を含め、おとな180円、こども100円。

【寿鉄】寿都―国縫間に急行バス (1961年7月5日)


寿都鉄道は5日から寿都〜国縫間に急行バスを新設する。新たに購入したマイクロバスを利用し、長万部駅で函館や室蘭、札幌へ向かう急行列車に連絡させる。これにより函館や札幌間までの所要時間は上り、下りとも1時間余り短縮される。新ダイヤは次の通り。
(上り)寿都→国縫 (下り)国縫→寿都
寿都 追分 黒松内 長万部 国縫局 国縫局 長万部 黒松内 追分 寿都
9:20 9:40 10:05 11:07 11:30 12:00 12:23 13:14 13:38 13:59
14:50 15:10 15:35 16:31 16:53 16:55 17:33 18:24   19:09

集中豪雨によるバス不通 (1961年7月24日)


24日夜から2日間にわたって道央、道南を襲った集中豪雨による河川の氾濫やガケ崩れで、中央バスの小樽市内線こそ全線運行しているが、水害のひどかった神恵内線、蘭越・島牧線、三和線、新見線などはいずれも不通になっており、いまのところ復旧見通しは立っていない。

水害によるバス再開 (1961年7月30日)


水害のため運休していた中央バスは次の通り運行を再開。またニセコ観光バスは30日から国鉄函館本線の鉄道復旧まで、倶知安〜目名間に臨時バスを運行する。
【倶知安〜目名間臨時バス】
目名→倶知安 倶知安→目名
目名 蘭越 昆布 狩太 倶知安 倶知安 狩太 昆布 蘭越 目名
6:50 7:20 7:40 8:20 9:05 7:40 8:20 9:05 9:25 9:55
10:10 10:40 11:00 11:40 12:45 12:45 13:27 14:05 14:25 14:55
15:10 15:40 16:00 16:40 17:40 18:20 19:00 19:40 20:00 20:30

小樽市内に女子寮建設 (1961年8月31日)


建設中だった中央バスの女子寮が小樽市仲ノ町32番地に近く完成する。鉄筋コンクリート3階建、総面積約730平方㍍、収容人員は100人。

余市・蘭越ダイヤ改正 (1961年10月1日)


国鉄列車のダイヤ改正に伴い、中央バス余市、蘭越両営業所は1日からバスダイヤを改正する。

ボリショイサーカス・バス (1961年10月5日)


道新小樽支社・倶知安支局は中央バス、ニセコ観光バスの後援で、5日札幌中島スポーツセンターで開幕するソ連のボリショイ・サーカス北海道公演への団体観覧バスを次の通り運行する。申し込みは道新窓口、狩太ニセコ観光バスなどで受け付けるが、先着順定員になりしだい締め切る。

雷電道路に国鉄バス陳情 (1962年1月23日)


今冬二級国道小樽―江差線の雷電道路開通にともない、札鉄局が岩内〜寿都〜黒松内間に国鉄バス運行の必要があるかどうか岩内町に資料提出を求めているため、町は23日の産業常任委の協議で、資料を出すとともに運行実現のための陳情をすることに決めた。運行ルート上の雷電海岸の奥ではこのほど温泉が見つかり、町では一大温泉郷を建設する構想をあたためている。

【寿鉄】降雪によるダイヤ改正 (1962年1月24日)


寿鉄バスは降雪のため大成線が不通となったので、8日から寿都〜黒松内間(寿都〜樽岸〜湯別〜追分〜作開〜中ノ川〜黒松内)のダイヤを改正したが、12日と24日からふたたび次のように変更した。

余市ターミナル建設に問題点 (1962年1月29日)


中央バス余市営業所は雪融けを待って大川町十字街にバスターミナルを建設する構想だが、ターミナルに入るバス進入路線が新道交法や自動車ターミナル法に触れそうなきわどい問題があることが最近わかり29日、地域住民らと対策を協議した。

 同社では昨年春、一級国道の拡幅工事後、大川町十字街一角に鉄筋2階建てのバスターミナルを建設する構想を立て、敷地も買収確保して運輸省から認可されしだい着工する予定でいた。ところが昨年秋施行された新道交法からみると現在の設計図では一時駐車、横断道路などに微妙な問題点があり、主務官庁から問い合わせがきている。しかし敷地が狭いため設計変更は難しく、最悪の場合は位置変更もありえるが、このターミナル建設には昨年大川町の商店街が同地にターミナルを作ってほしいと運動を続け、敷地買収には積極的に中央バスに協力した経緯があるので、同バスでは29日午後1時から余市商工会議所で地域住民代表や交通安全協会役員とこの問題について意見をかわした。

 席上、住民代表からターミナルに進入する路線の出入り口は歩道を突っ切るが、その際はベルが鳴るような処置などをして事故防止をはかり、ぜひ現在地で認可になるよう会社は努力してほしい。また交通安全協会側からバスの一時駐車などでいくらか交通の流れが円滑にいかない場合も予想されるが、協会としてはできるだけ協力するから地域の発展を願う住民の意向を組んで認可を取ってほしい、との要望がそれぞれあった。これに対して同バスでは住民の意向がわかったので設計図を変更して検討すると答えた。

【寿鉄】バス購入、車庫新設 (1962年3月23日)


寿都鉄道もことしで創業45年。道内私鉄の中でもその古さを誇っているが、老朽化もひどいので、若返りのための手が最近打たれている。昨年は60人乗りの大型バス、20人乗りのスマートなマイクロバス各1台を購入したほか、ハイヤー1台、6㌧ダンプカー2台などが入った。今年になってからも古くからあったハイヤーを新型車と取り換えたが、5月にはさらにバス1台も入ることになっている。

 また運輸事業と並行して多角経営にも乗り出しているが、樽岸、丸山の砕石事業はコンクリート製造に引っ張りダコで、今年は昨年に倍する収入が見込まれている。また自動車の増加とともに本社横に広さ約300平方㍍の車庫を新設した。

夏ダイヤ改正による変更 (1962年5月10日)


10日から夏ダイヤに改正する。

小樽市内で定期観光バス (1962年7月1日)


中央バスは7/1〜8/31まで毎日、恒例の小樽市内定期観光バスを運行する。小樽駅前を13時に出発し、コースは北海ホテル前〜大国屋前〜花園公園〜入船十字街〜ふ頭〜色内川下〜オタモイ〜赤岩〜祝津をめぐり、途中オタモイ遊園地と水族館で休憩、観覧する。所要時間2時間40分。料金は大人180円、こども100円。

余市町内バス改善要望 (1962年7月11日)


余市町は11日、中央バスに停留所や待合室の増設などを次の通り要望した。

蘭島海水浴場バス (1962年7月21日)


中央バスは7/21〜8/12まで蘭島海水浴場行き臨時バス(小樽駅前〜蘭島)を運行する。1日23往復。雨天または天候不順の場合は運休することもある。ダイヤは次の通り。

集中豪雨によるバス不通 (1962年8月4日)


2日から降り続いている豪雨(台風9号)のため後志管内の各地で小河川の氾濫や土砂崩れが発生、各地で国鉄や中央バスなど交通機関がストップしている。

旧本社跡に駐車場 (1962年9月)


小樽市稲穂町の中央バス旧本社跡に9月初め、駐車場が完成し、これまで駅前に停車していた札樽、余市など市外線のバスはすべてこちらに回るようになる。1日延べ100台ほどが駐車場に入るため、これまでバスがわがもの顔にひしめいていた駅前広場の交通がすっかり緩和された。

(旧本社跡にお目見えした駐車場)

【道南】瑞穂線スタート! (1962年10月8日)


道南バスが倶知安町で計画していた町内瑞穂線が陸運局から認可されたので8日から運行を始める。八幡回り、六郷回り合わせて4往復。料金は倶知安駅前〜扶桑入口まで片道45円。同社は利用者さえあれば運行回数を増やしたい方針。

 瑞穂、緑、扶桑などの部落は交通機関がまったくないためこれまで不便をかこっており、ことし1月の町政懇談会で、部落民が高橋町長にバス運行の実現を強く要望したことから話が具体化し、部落民も道路整備に労力奉仕して協力し、道南バスが運行することになったもの。

寿都バスターミナルOPEN!! (1962年11月10日)


中央バス寿都バスターミナル(寿都町)がこのほど寿都高校前の二級国道沿いに完成、10日ごろから営業を始める。現在は蘭越に営業所があるが、これまで寿都駅前にあった車庫、駐在所の建物が古くなったため住民の便をはかった。車庫は広さ85平方㍍でバス5台を駐車でき、駐在所は広さ78平方㍍。ともに外壁を白く塗ったモルタル作りの明るい建物。

(寿都駅前にあった旧バスのりば)

最上町線の延長計画 (1962年12月5日)


最上町線を天狗山スキー場まで延長してほしい―との要望があるが、停留所からリフトまでの急坂がネックになっているため千秋通り経由はムリ、最上町線終点からの延長は道路が狭く交差できない区間があるが、市が除雪すれば土日だけならなんとか運行できる見込み。

仁木線スタート! (1962年12月10日)


中央バス余市営業所は10日から仁木線(余市営業所〜大江役場前)を新設する。余市〜仁木間の一級国道拡幅舗装工事完成で利用者が急増し、現行の余市営業所〜銀山〜赤井川線(2往復)、余市営業所〜大江鉱山前(3往復)だけでは収容が難しくなり、また余市町大江村から陳情も出されていた。

【国鉄】比羅夫スキー場に乗り入れ (1962年12月16日)


札鉄局は準急スキー列車『銀嶺号』が初運転する16日から、比羅夫〜山田間(6㌔)で4台の国鉄バスを使ってバス運行を開始する。運賃は比羅夫〜山田温泉間40円。

美国出張所がOPEN!! (1962年12月21日)


中央バスが美国町に建設していた出張所と車庫が12月末に完成、新社屋で営業をはじめた。出張所は木造モルタル塗り一部2階建て延べ151.8平方㍍、車庫は木造基礎コンクリート造り313.17平方㍍で工費は406万円。出張所には待合室のほか従業員休憩室、管理人室があり宿泊設備も整っている。

 これを機に車庫前に停留所を新設して美国終点と呼び、前の終点を待合所に改めた。

【ニセコ観光】比羅夫スキー場に乗り入れ (1962年12月25日)


ニセコ観光バスは25日から比羅夫スキー場行きバス(昆布温泉〜比羅夫駅前〜山田温泉)を運行開始。運賃は大人170円。
【比羅夫スキー場バス時刻表】
昆布温泉→山田温泉 山田温泉→昆布温泉
昆布
温泉
狩太
駅前
比羅夫
駅前
山田
温泉
山田
温泉
比羅夫
駅前
狩太
駅前
昆布
温泉
9:20 9:50 10:30 10:55 11:55 12:20    
    13:10 13:35 14:15 14:40    
    15:00 15:25 15:25 15:50 16:30 17:00


(比羅夫駅を発車する山田温泉行きバス)

小樽市内にワンマンカー登場 (1963年4月11日)


中央バスは11日から小樽市内線に車掌の乗らないワンマンカーを運行、新車20台を購入して市内線に走らせる。ワンマンカーには専用の入口と出口がついており、前部の入口から乗車してすぐ料金を入れ、定期券は運転手に見せる。乗降口のドアはこれまでと違い自動式で、降車の際は車内ブザーを押して運転手に知らせる。

 運行する路線は梅源線を除く本線、長橋線、最上町線、奥沢線、天神線、山手循環線(小樽駅前〜仲の町、入舟町まで)、高島線、赤岩線の8路線。市民が慣れるまで当分は午後10時以降だけに走らせるが、いずれはラッシュ時のスムーズな運行方法を検討して、これまでのツーマンカーにはさみ終日運行も考えている。

 ワンマンカーは道内では札幌市営バスが一昨年から導入しており、全国的にも大都市ではこの方式に切り替わっている。

(初導入となるワンマンカー)

夏ダイヤ改正による変更 (1963年5月10日)


10日から夏ダイヤに改正する。

桜町線、新光線スタート! (1963年5月15日)


15日から桜町線、新光線の2路線を新設する。

中央バスに改善要望 (1963年5月19日)


住民の足を中央バスだけにたよっている島牧村では、今回のダイヤ改正で寿都〜本目間2往復、原歌〜栄浜間1往復が増発され便利になった反面、地区によっては逆に不便になったところもあり、理事者や村議会が近くさらに改善策を同社に申し入れることになった。

 同路線は冬季間や漁閑期などは定員オーバーのスシ詰めバスを走らせているだけに、住民からは『村内では独占企業状態で競争相手を意識しなくても済むだろうが、オンボロバスに乗せられて都市と同じバス料金を払っているわれわれの身にもなって、もう少し実のあるサービスをしてほしい』と不満をもらすものも多く、村議会議員の一部では同社への申し入れの際にはバスダイヤに住民の声を反映させるため同社と住民代表とからなる委員会設置の提案も予定している。同社への改善要望は次の通り。

①ダイヤ改正で寿都発13:50原歌行きが12:35発と1時間以上も繰り上がり、栄磯以西へ行く人たちは昼のバスを逃すと終バスまで4時間も投げられることになり、村の大半を占める栄磯から原歌までの住民は逆に不便になった。
②寿都〜本目間の増発2往復もせめてトンネル工事の影響を受けない大平まで延長してくれなければ東島牧村診療所へ通う人たちや高校通学生を考えた場合、増発価値があまりない。
③雪どけによる悪路のため3月から中止している寿都駅前乗り入れを道路状態がよくなっても再開してくれないので不便だ。(この案件は4月下旬の村議会で乗り入れ再開要請を決議、同社に陳情している懸案事項である)

【寿鉄】札幌に観光貸切バスOPEN!! (1963年5月20日)


寿都鉄道(寿都町)は赤字の鉄道事業に見切りをつけ2年前から多角経営に乗り出したが、この春、札幌市に事業区域を拡大して店開きした"観光貸切バス"も予想以上の好スタート、20日札幌・日本生命ビル9階ホールで「寿鉄観光貸切バス開店祝賀パーティー」を開いて事業拡大を祝った。

 同社は大正7年8月に設立したが、ニシンを中心とする沿岸漁業の衰退で経営は次第に苦しくなり、昭和36年から「経営を無条件で任せてくれるなら」という条件で社長のイスについた井上武保社長が再建策として打ち出したのが多角経営。

 これまでの鉄道、定期バス、ハイヤーに加えて36年から採石工場、37年コンクリート工場、トラックによる貨物輸送、さらに今春から寿都湾沿岸の観光資源を開発しようと観光貸切バスの認可を取り、札幌市北19東1に営業所を構え4月27日から店開きしたところ、3台のバス(うち1台予備車)も8月末まで申し込みがいっぱい。鉄道が40数人の従業員で月間180万円の売り上げがやっとなのに、観光バスはわずか8人の従業員でシーズン中150万円は軽いというから、多角経営もいよいよ軌道に乗ってきた。

 しかし肝心の鉄道事業は昨年秋の三菱金属寿都鉱山の閉山でいっそう不振となり、今後毎年国からもらう鉄道整備補助を差し引いても年間500万円の赤字はまぬかれない状態。これをカバーするためにも他部門の積極的経営がますます必要となってきているが、なんといっても成長株は観光貸切バス。井上社長は「将来札幌に最小限バス10台を配置し、バス専用工場の設置、旅行斡旋会社も設立したい」と語っている。

(オープンした寿鉄観光貸切バス営業所)

小樽―岩内間急行バスをスタート! (1963年5月25日)


昨年11月に一級国道5号線の稲穂新トンネルが完成、大型車が通れるようになったので、中央バスは25日から小樽〜岩内間に急行バスを新設する。岩内営業所に大型ロマンスカーを配置、1日4往復する。料金は小樽から岩内200円、前田190円、国富180円、余市〜岩内間は160円。

 小樽〜岩内間のバスは10年ほど前にも運行していたが、稲穂峠が危険なうえ所要時間がかかり過ぎるため休止していた。
【急行岩内線時刻表】
小樽→岩内 岩内→小樽
小樽 余市 大江
役場
国富 前田 岩内 岩内 前田 国富 大江
役場
余市 小樽
7:30 8:00 8:10 9:10 9:20 9:30 8:00 8:10 8:20 9:20 9:30 10:00
10:30 11:00 11:10 12:10 12:20 12:30 10:00 10:10 10:20 11:20 11:30 12:00
15:20 15:50 16:00 17:00 17:10 17:20 14:00 14:10 14:20 15:20 15:30 16:00
17:20 17:50 18:00 19:00 19:10 19:20 17:00 17:10 17:20 18:20 18:30 19:00

蘭島海水浴場バス (1963年7月21日)


中央バスは海水浴客のため、21日から小樽〜蘭島折り返し便(1日23往復)を運行する。蘭島海水浴場へのバスは小樽から余市または美国行きを利用するしかなく、帰りはなかなかつかみにくいうえ、とくに塩谷海水浴場はバスしかないので、帰りは積み残しされることもしばしば。このため同社は、現在朝と晩だけ8往復走らせている小樽〜塩谷折り返し便についても、さらに増発を検討している。

【道南】上社部落に停留所 (1963年8月18日)


道南バスは18日から真狩〜狩太線に「上社」停留所を新設する。真狩市街地から約2㌔西へ向かった社部落の中心にあり、料金は真狩から25円、狩太から60円。

冬ダイヤ改正による変更 (1963年11月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

手宮ターミナルOPEN!! (1963年12月26日)


中央バス手宮ターミナルが手宮町1丁目の鉄道寮跡に完成、26日午後から営業をはじめる。ターミナルは去る9月に着工し、総工費は約1,200万円。鉄筋コンクリート2階建て延べ330平方㍍、敷地は1,500平方㍍。1階は待合室、乗車券売り場、事務室などを備え、2階は運転手・車掌の控え室となり、屋外には乗降ホームも設けられる。なお乗車券、定期券の窓口は27日から営業開始となる。

(写真:中央バス手宮ターミナル)

寿都―岩内間急行バスをスタート! (1964年1月6日)


中央バス蘭越営業所は昨年10月の雷電道路開通に伴い、6日から寿都〜岩内間に急行バスを新設する。1日3往復、所要時間1時間25分。岩内で小樽方面のバスに接続させる。料金は岩内から寿都まで190円、歌棄まで150円、磯谷まで90円、雷電まで40円。これに伴って同日から蘭越・島牧線(蘭越〜原歌)の蘭越8時発便を9時に変更する。

 今回のダイヤは暫定的なもので、5月の夏ダイヤ改正時に関係地区住民の希望を聞いて改善する予定だが、黒松内町の住民からこのバスに接続するよう黒松内〜追分間の運行を望む陳情が同社に出ているが、同線には寿鉄バスが運行しているため、客の数からみて2社線の認可の可能性は薄いもよう。

【寿都―岩内間急行バス時刻表】
寿都
(発)
岩内
(着)
岩内
(発)
寿都
(着)
6:50 8:15 9:20 10:45
12:00 13:25 11:40 13:05
16:20 17:45 18:40 20:05

色内ターミナル(仮称)建設計画 (1964年4月2日)


中央バスは2日、小樽駅前の混雑緩和のため、来夏までに道貿易館と北陸銀行小樽支店跡地(色内町8-3)にターミナルを建設する方針を明らかにした。もともと同社が所有していた貿易館と、土地を貸していた北陸銀行小樽支店の建物を買い取り、色内ターミナル(仮称)を新築する。貿易館は15日ごろまでに勧銀小樽支店跡に移転し、建物の取りこわしにかかる。

 ターミナルは市内3番目のバスターミナルとなり、敷き地2,145平方㍍、2階建ての予定。同社のターミナルは現在小樽駅前と手宮の2ヶ所あるが、駅前はスペースが狭くバスの入れ替えや発着がスムーズにいかず、とくに最近は増車により後志方面路線の路線も増え、ターミナルの新設が強く望まれていた。完成すれば岩内、倶知安など後志方面の路線はすべてここに乗り入れ、駅前広場の混雑緩和が図られる。

ワンマンカーに両替制度 (1964年4月20日)


20日からワンマンカーで両替制度を実施する。これまでは運転手からつり銭をもらっていたが、今後はつり銭の必要な客は運転手が両替し、その中から料金箱に入れてもらう方式に変わる。

小樽―寿都急行バスをスタート! (1964年5月1日)


1日から小樽〜寿都間に急行バスを新設。料金は片道390円、所要時間3時間5分、稲穂峠付近の道路工事が終わればさらに10分短縮となり、将来は直接札幌に乗り入れる構想もある。開通式は中央バス寿都バスセンターで13時半から開かれる。※この路線開設で寿都鉄道が大打撃を受けた
【寿都小樽線(急行)時刻表】
小樽
駅前
余市
(営)
大江
役場
国富 前田
農協
岩内
駅前
弁慶
トンネル
港町 寿都
7:30 8:00 8:05 8:45 8:55 9:10 9:35 9:45 10:35
11:30 12:00 12:05 12:45 12:55 13:10 13:35 13:45 14:35
18:00 18:30 18:35 19:15 19:25 19:40 20:05 20:15 21:05

寿都 港町 弁慶
トンネル
岩内
駅前
前田
農協
国富 大江
役場
余市
(営)
小樽
駅前
7:30 8:20 8:30 9:00 9:10 9:20 10:00 10:05 10:35
14:00 14:50 15:00 15:30 15:40 15:50 16:30 16:35 17:05
17:30 18:20 18:30 19:00 19:10 19:20 20:00 20:05 20:35

夏ダイヤ改正による変更 (1964年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

西積丹定期観光バスをスタート! (1964年6月1日)


中央バスは1日から定期観光バス「カブトライン雷電コース」の運行を始める。積丹西海岸の観光コースとして売り出している名勝カブトラインと、義経伝説で知られる岩内町雷電海岸を日帰りする約10時間のコースで、料金は大人、小人とも940円。足の便が悪いためこれまで観光客誘致に悩んでいた岩内、泊両町村も全面的にバックアップする。10月25日まで運行するが、10月は休日のみの運行になる。

冬ダイヤ改正による変更 (1964年11月10日)


10日から冬ダイヤを実施。これまで急行しかなかった札樽間に特急便を新設する。

倶知安ターミナルOPEN!! (1964年12月10日)


今年夏から倶知安町の産業会館隣に建設していた中央バス倶知安ターミナルがこのほど完成、10日完工式を行う。

 ターミナルは一部鉄筋コンクリートブロック造り2階建て延べ264平方㍍、総工費は約1,200万円。1階は待合室、事務室、乗客トイレ、2階には運転手・車掌休憩室、会議室を設ける。現在は倶知安〜岩内線だけだが、来年からこのターミナルを基地にニセコ観光バスを運行するほか、倶知安〜小樽間を直通する新路線の運行も計画している。

 町内には昨年いち早く道南バスが営業所を設けており、最近クローズ・アップされてきたニセコ観光の拠点づくりに両社とも火花を散らしている。

(写真:完成した倶知安ターミナル)

小樽―比羅夫間スキーバスをスタート! (1964年12月20日)


中央バスは20日から小樽〜比羅夫スキー場間にスキー専用バスを新設。来年4月末まで日曜と祭日(元旦は運休)のみ1日1往復する。ダイヤは小樽駅前発7:30、比羅夫発15:00。座席指定で料金はリフト使用券を含め1人590円。大型デラックスバスを使用し、利用者の便宜をはかって予約申し込みも受け付ける。

札幌―ニセコ間スキーバスをスタート! (1964年12月20日)


中央バスは20日から札幌とニセコ高原比羅夫スキー場を結ぶ日帰り定期観光スキーバスを新設する。中央バスターミナル(札幌市北4西4)を午前7時半に出発、スキー場発は16時。所要時間3時間20分。料金は旅館休憩入浴、ブタ汁、リフト2回分込みで大人、子供とも1000円。期間は4月11日までの日祝、1〜2月は毎日運行する。
(翌年は12/5〜4月まで運行)

春香停留所を新設 (1965年1月11日)


中央バスは11日から札幌・朝里川温泉線(札幌ターミナル〜朝里川温泉)に「春香」を新設し、札幌から春香山に行くスキーヤーの便をはかる。停留所は張碓町ホテル長谷川前に設置する。ダイヤは次の通り ※国鉄バスは昨年11月20日新設
札幌ターミナル発855 1255 1555、朝里川温泉発1005 1405

小樽市内で運賃アップ (1965年4月10日)


中央バスは1961年11月から申請していた小樽市内線の運賃を10日から約50%引き上げ、最低運賃を5円アップする。値上げは1951年以来14年ぶり。新運賃は次の通り。

夏ダイヤ改正による変更 (1965年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【ニセコ観光】ニセコ花畑バスをスタート! (1965年7月3日)


ニセコ観光バスは3日から倶知安駅前〜ニセコ花畑(国鉄山の家)間に路線バスを新設する。

 ニセコ循環観光道路(道道倶知安ニセコ線)の倶知安〜ニセコ花畑間は昨秋完成、バス乗り入れをめぐって同社と中央、道南、国鉄の4バス競願になっていたが、札幌陸運局から1日ニセコ観光バスに仮認可がおりた。バスは1日4往復で一部狩太駅まで直行する。料金は倶知安〜山の家間120円、狩太駅〜山の家間140円。

 ニセコ花畑はニセコ連峰の景勝地としてハイカーや行楽客らに親しまれているが、これまで同社の狩太駅(昆布駅)〜昆布温泉〜チセハウス〜山の家〜花園間の路線バスしかなかった。

(山の家付近に停車するニセコ観光バス)
【時刻表】
倶知安→狩太 狩太→倶知安
倶知安駅 山の家 チセ
ハウス
昆布
温泉
狩太駅 狩太駅 昆布温泉 チセ
ハウス
山の家 倶知安駅
1000 1050 1110 1140 1200   750 810 830 910
1255 1345着
1425発
1445 1505 1525 1020 1045 1105 1125着
1135発
1215
1500 1550着
1600発
1620 1640 1700 1310 1335 1355 1415 1455
1630 1720 1740 1800   1430 1455 1515 1535 1615

中央バス本社移転 (1965年8月17日)


元北海道海運局ビルを中央バスが買い取り、隣の三井物産ビル内に置いていた本社を移転する。建物は2階建て、敗戦前は北海道銀行本店社屋(昭和19年拓銀に合併)として利用されていた。今月初めから外壁の化粧直し、内部改装を急ピッチで進め、17日ごろ移転する予定。
(★三井物産ビルは昭和37年7月から3年間本社社屋として使用)

冬ダイヤ改正による変更 (1965年11月10日)


10日から冬ダイヤに改正。

小樽ターミナルOPEN!! (1965年12月27日)


中央バス小樽ターミナルが小樽市色内町8-3の旧北陸銀行跡に完成、27日から営業をはじめる。敷き地は2,145平方㍍で、ターミナルは鉄筋コンクリート2階建て延べ1,180平方㍍。発着ホームの前面約100平方㍍は融雪用のロードヒーティングを備える。

 これまで小樽駅前広場から発着していた260本のうち余市、古平、岩内、寿都など、後志方面と小樽市街地を結ぶ約90本をここに集約させ、駅前広場の交通ラッシュを緩和させる。また後志の利用客のために日赤センター付近に停留所を新設した。

(色内町に完成した中央バスターミナル)

小樽・倶知安線スタート! (1965年12月27日)


中央バスは小樽ターミナルの開業にあわせ、27日から小樽倶知安線(急行便)を新設する。小樽開発建設部の改良工事で国道5号線倶知安峠の難所が解消し、小樽〜倶知安間を1日6往復する。料金は国鉄より40円高い210円だが、片道1時間25分と普通列車より15分早い。発車時刻は下表の通り。

 また同社は来年1/29〜3/6まで土日限定で、倶知安ターミナル〜比羅夫駅前〜比羅夫スキー場間に路線バスを1日6往復運行する。このうち3往復は比羅夫駅〜スキー場間の運行。料金は倶知安(タ)〜スキー場間75円、比羅夫駅〜スキー場間は40円。
【小樽倶知安線(急行)時刻表】
(下り)小樽→倶知安 (上り)倶知安→小樽
小樽
(タ)
余市
営業所
仁木
役場前
小沢
駅前
倶知安
(タ)
倶知安
(タ)
小沢
駅前
仁木
役場前
余市
営業所
小樽
(タ)
8:30 8:55 9:02 9:35 9:55 8:30 8:48 9:21 9:30 9:55
10:30 10:55 11:02 11:35 11:55 10:30 10:48 11:21 11:30 11:55
12:00 12:25 12:32 13:05 13:25 13:00 13:18 13:51 14:00 14:25
14:00 14:25 14:32 15:05 15:25 14:30 14:48 15:21 15:30 15:55
16:30 16:55 17:02 17:35 17:55 16:00 16:18 16:51 17:00 17:25
18:30 18:55 19:02 19:35 19:55 18:30 18:48 19:21 19:30 19:55

夏ダイヤ改正による変更 (1966年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

オタモイ団地乗り入れにメド (1966年7月8日)


小樽市議会予算特別委は8日開かれ、懸案のオタモイ団地のバス乗り入れについて、中央バスに再三申し入れた結果ようやく好転、停留所の予定ができたと話した。

岩内・東山地区にターミナル計画 (1966年7月13日)


中央バス岩内営業所は岩内駅前バスターミナルが手狭になり、新ターミナルを作る計画を進めているが、すでに岩内町東山地区に敷地3,300平方㍍の土地を買収、待ち合い所などを設けて乗降客のサービス改善をはかる考え。

 現在同所のバス保有台数は19台。岩内駅前から札幌、原歌、倶知安、神恵内、大曲、敷島内行きの6路線あるが、このところ雷電国道の開通などで発着台数がふえている。

小樽市内で運賃前払い制 (1966年8月5日)


中央バスは5日、小樽市内で車掌の乗っている路線でも「運賃前払い制」(ワンマン方式)を実施する。ワンマンカーと同じく、バス乗車時に車掌台前に取り付けてある料金箱に運賃(乗車券)を入れてもらう。ただし両替えは車掌が行う。車掌の労働力緩和と清算事務の合理化がネライ。

 前払い制を実施するのは東小樽線(手宮〜東小樽)、新光町線(手宮〜新光町)、奥沢線(南小樽駅〜天神町)、朝里線(手宮〜柾里)、赤岩線(小樽駅〜高島小前)、梅源線(小樽駅〜手宮)の6路線。

冬ダイヤ改正による変更 (1966年11月21日)


中央バスは21日(ニセコ観光自動車は12/1)から冬ダイヤに改正する。ニセコ観光自動車は1日店開きする藻岩スキー場まで直通バスを運転。始発の国鉄狩太駅は昨年駅前広場が設けられたのに続き、駅舎を高原のマチにふさわしくスイスの登山駅舎を参考に改築され、これを祝って29日落成式が開かれる。

オタモイ線がストップ (1966年12月28日)


中央バスの「オタモイ線」が28日から雪でストップしたままとなり、足を奪われたオタモイ団地住民から不満の声が出ている。

 この路線は住民の要望で先月4日、札幌陸運局の認可を得て国道から1.2㌔入った団地の外れから小樽駅前まで開通したばかりだが、もともと路幅の狭いアイ路のためこのたびのドカ雪で思うように除雪ができず、中央バスは大型車の交差ができないという理由で、ついに「オタモイ線を運休します。代わりに自動車教習所(新道入り口)〜小樽駅前間の臨時バスを1日4往復のダイヤで運行しますから、ご利用下さい」という張り紙を出して路線をピタリと閉じてしまった…。

 このアイ路は国道出口からオタモイ景勝地入り口の峠まで拡幅することになっていたが、たった1件の用地買収がうまくいかず、国道のすぐ近くは依然としてS字カーブのまま。これが解決して道路全体が拡幅されなければ完全な除雪は望めないというワケ。

 もともと同線を誘致した際、雪のためどうにもならない場合は運行中止もやむを得ないという条件があったものの、児童、生徒たちがバスで登下校するのは市内でここだけで、来月17日から小学校の始業式で長橋小へ通学する児童もいるので、住民からは「署名を集めて強力に再開を陳情したい」という声も出ている。

富岡橋かけ替えに伴う経路変更 (1967年3月1日)


小樽市内山の手と中心街を結ぶ「道道小樽―大江線」の富岡橋かけ替え工事が1日から始まるため、中央バス各路線は富岡橋の通行止めで国道から商大通りにはいり、富岡小前を通って法務局前の通りに出るコースに変わる。

 函館本線小樽〜旭川間の電化工事に伴う富岡橋のかけ替えは3月1日着工、6月末完成の予定で進められるが、う回路となる商大通りの札樽国道〜緑町第一大通り間(450㍍)は小学校、幼稚園が並んでいるため最高時速30㌔に制限、駐車禁止となり、産業会館前、商大通り、花園十字街のわずか500㍍間には新しく信号機が3ヶ所設けられた。

夏ダイヤ改正による変更 (1967年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【国鉄】道内初!冷房付きバス (1967年5月19日)


国鉄バス札幌営業所ではこのほど道内初の冷房付きバス3台を導入、19日から札樽線の特急用に走らせる。長距離利用客のサービス向上のため、国鉄道地方自動車事務所が買い入れたもので、車両は日野自動車製で1台780万円もするデラックスバス。補助席を含め54人掛けのシートは4段リクライニング、冷暖房のほか車内最後部には飲料水ボックスもついている。

 名神高速道路を走っている国鉄の特急バスと同型、同デザインで、色はブルーとシルバーのツートーンカラー。同営業所では「内装は新幹線の特急"こだま"の一等車並みで乗り心地は最高」とご満悦、申し込みがあれば貸し切りにも使うそうだ。

(写真:窓も大きい冷暖房付き新型バス)

小樽市内の停名変更 (1967年5月20日)


小樽市の住居表示による町名変更に伴い、20日から山手循環線の停留所名を変更する。

小樽―寿都線を経路変更 (1967年7月17日)


16日の岩内町雷電地区のガケくずれで国道229号線が不通になり、中央バスは翌17日から小樽〜寿都線を倶知安、蘭越経由で臨時運行している。運行回数は1日5往復。所要時間3時間55分。

水試前バス停に待合所 (1967年8月)


中央バスはこのほど積丹線の「水産試験場前」バス停に立派な待合所を建設した。これまで待合所がないため、このバス停を利用する余市高生らは風雨や吹雪にさらされており、これを見かねた父兄や学校から「これではかわいそう」という声が強まり、余市、古平、積丹3町を通じて同社に陳情が出ていた。

 待合所は化粧ブロック造り、約10平方㍍の小さなものだが、2学期の始まった通学生や一般乗客には喜ばれそうだ。

仁木待合所オープン (1967年9月20日)


中央バスは住民から強い要望のあったバス待合所を20日、仁木町役場前にオープンさせる。待合所はこのほど取り払われた役場前の消防番屋跡に建設され、木造モルタル2階建て、総面積226平方㍍。総工費は500万円。1階は待合室、業者の売店、事務室が入り、2階は中央バスの女子寮。建物の前後には約552平方㍍の広場が設けられ、路線バス5台と観光貸切バス6台が常時停車できる。仁木役場前の停留所は急行、特急バスも停車するが、これまで待合所がなく乗客は雨や風雪にさらされ、町からたびたび待合所建設の要望が出ていた。

(建設中のバス待合所)

最上町線ルート変更 (1967年10月1日)


中央バスは最上町線(最上町〜小樽駅前〜最上町)の運行をスムーズにするため、1日から小樽中心部のルートをこれまでと逆回りの"時計回り"に切り替える。これに伴い「産業会館前」停留所は廃止、大国屋デパート内の案内所も廃止となり、業務を色内ターミナル待合室に移す。

冬ダイヤ改正による変更 (1967年11月21日)


21日から冬ダイヤに改正。

【ニセコ観光】冬ダイヤによる変更 (1967年12月1日)


ニセコ観光自動車は1日からダイヤ改正。次の5路線と蘭越町営スキーリフト完成により、チセヌプリ一帯へのスキー客の便がはかられる。

奥沢線 ワンマン化 (1968年1月21日)


中央バスは21日から奥沢線(南小樽駅前〜天神町)をワンマンカーに切り替える。

柾里、新光町線 ワンマン化 (1968年2月21日)


中央バスは21日から柾里線(手宮ターミナル〜柾里)、新光町線(手宮ターミナル〜新光町十字街)にワンマンバスを運行する。運賃前払い、申告制で、乗車した時に行き先を運転手に告げ、料金を支払う。これで小樽市内線でワンマン化していないのは梅源、祝津、赤岩線の3路線だけとなる。

夏ダイヤ改正による変更 (1968年5月1日)


小樽地方営業部管内は1日からダイヤ改正。一部郊外線の増便や停留所の新設、小樽市の住居表示変更に伴う停留所の名称変更などを行う。

オタモイ線の運行ピンチ (1968年5月24日)


奇岩、景勝の行楽地・オタモイ海岸に向かう夏期限定の直行バス、[14]オタモイ線(小樽駅前〜オタモイ)の運行が土地問題の係争から暗礁に乗り上げている。

 昨年は6月11日〜10月末まで延べ3万人をこえる行楽客を運んだが、中央バスと地主の間でモメていたオタモイ遊園地の土地問題が長年の紛争の末に昨秋ようやく解決、地主の手に戻ったものの道路整備が行き届かず、ことしはバス運行のメドが立っていない。

 オタモイは11年前から中央バスの手で開発されたが、地主との間に金銭貸借に絡む複雑な問題があり、昨年10月末に地主が2千数百万円を払うことで同社は施設のいっさいを地主に返還、同社はこれまでバスを通すため、冬期間積雪で荒れる通称"七曲がり"と呼ばれるオタモイ団地裏から海岸へ降りるジグザグ道路を毎年100万円ほどかけて整備していたが、私有地ということもあり今年はいっさい手をつけられず、長年親しまれたオタモイ景勝地へのバスが姿を消すことになりそうだ。

 オタモイへは現在、中央バスのオタモイ団地線(小樽駅前〜オタモイ団地)が1日25往復しているが、行楽客は終点「オタモイ団地」から1㌔ほど歩かねばならない。

 (※補足)オタモイ海岸の景勝地は中央バスが通らなくなってから70年代初頭にはすっかりさびれ、弁天閣は荒れ放題、しだいに市民からも忘れ去られていった

(写真:オタモイ遊園地全景)

倶知安―長万部間は3社競合に (1968年8月18日)


中央バスが昨年7月、小樽〜倶知安間の路線を長万部まで延長したいと札幌陸運局に認可申請してから約1年。この路線には道南バスと函館バスからも申請が出されているが、聴聞会も未だ一度も開かれないまま認可がノビノビになっている。

 申請では中央バスが倶知安〜長万部間に朝7時から夜7時まで6往復(午前・午後各3往復)の定期急行バスを運行させるプラン。所要時間約2時間半、現在小樽〜倶知安間の急行が1時間半だから、倶知安で乗り換えるとして約4時間で小樽〜長万部間が結ばれることになる。

 これを受けて稲垣小樽市長は蘭越、ニセコ両長の要望に基づき、同社の路線延長の認可促進を全面的にバックアップすることにした。市長は「後志との提携策のひとつとして、管内の各町村と一体になり、ぜひとも早く実現させたい。小樽としては同じ会社の系統のほうが住民の便もよいだろうと思う」と話しており、中央バスでも事態の好転を期待している。

【道南】六郷―北6線間を冬季運行 (1968年9月4日)


道南バス倶知安営業所は、この冬から大和線(倶知安〜大和5線)の六郷〜北6線間(3.5㌔)を冬季も運行する計画を立て、札幌陸運局に認可を申請した。同路線は道路が除雪されないため、これまで降雪と同時に六郷で打ち切り、春は5月から再開していた。

 同区間から倶知安高校、倶知安農高に通う生徒が25人前後いるが、いずれも冬季は市街地で下宿しており、出雲、末広、高見、峠下、琴平地区などの周辺住民は連名で、町や同営業所に冬季のバス運行を要望していた。

 ダイヤは朝、昼、夕方の3往復になる見込み。同時に北6線〜北9線間(1.7㌔)も新たに夏季間だけ運行できるように、路線延長の申請が出された。

経営悪化の寿鉄バスを肩代わり (1968年11月20日)


寿都鉄道のバス部門が経営難から運行ストップ寸前に追い込まれているため札幌陸運局は19日、中央バスの乗り入れを臨時免許の形で認めた。この路線には道南バス、函館バスからも申請が出ていたが、既存路線の配置などから中央バスが最適であると同局が判断した。

 寿鉄は地域の過疎化で年々赤字が累積、昨年度末で2億3千万円にものぼり、今年4月から鉄道業務を休止しているが、バス業務の中止と同時に全社員が勇退して社長と専務だけになる。

 20日から函館バスと競合する長万部〜国縫間をのぞく全路線を中央バスが引き継ぐが、正式認可は早くても2ヶ月はかかる見込み。当面は従来通りのダイヤで運行するが、料金は一部を除いてほとんどの地域で安くなる。継承するのは次の3路線、湯別経由も従来通り運行する。

冬ダイヤ改正による変更 (1968年11月21日)


21日から冬ダイヤを実施。小樽市内路線はダイヤの変更はナシ。

美国営業所OPEN!! (1968年11月29日)


中央バスは合理化のため29日から古平営業所(古平町字新地)を廃止、美国営業所(積丹町字美国)を開設する。

 これまで積丹線(札幌・小樽〜古平〜美国〜入舸〜日司〜余別間、36往復)、稲倉石線(美国〜稲倉石間、6往復)はすべて美国始発だったが、運行業務を管理する営業所や車庫、修理工場が古平にあるため不合理な点も多く、これを解消するため古平営業所に併設されていた車庫や修理工場をすべて美国に移転集約、出張所も増改築され美国営業所として両線のバスターミナルに生まれ変わる。

能津登トンネル&横澗道路開通!! (1968年11月30日)


国道229号線の能津登トンネル(蘭越町港〜寿都町磯谷間450㍍)と横澗海岸道路(島古丹〜美谷間3.3㌔)が30日開通した。中央バスの路線も新しい道路に切り替わり、新たに「牧場入口」「横澗」「鮫取澗」の3停留所が海岸道路に設けられた。またこれらの完成で寿都〜港間が約1㌔短縮されたので、同区間のバス料金も150円→140円に値下げする。

 いずれも交通の難所だっところ。旧トンネルはバス1台がやっと通れるほどで、道路はガケぶちを曲がりくねっていたが、新トンネルは幅員6㍍とかなり広くなった。このうち、横澗道路はガケを切り崩して海を埋め立てる難工事続きで、完成は6年がかり。舗装は明年以降になるが、クネクネしていた山の上の旧道と比べものにならない立派さ。途中ルウベツナイと幌別の両川には永久橋もつき、これで春先に続発するルウベツナイ地区の雪崩からも解放されると、住民の喜びもひとしお。

横澗海岸道路に待合所 (1969年2月1日)


寿都町横澗地区の海岸道路は昨年12月に開通し、中央バスの路線も新道に切り替わったものの待合所の新設が追いつかず、バスを待つ乗客から不満の声が上がっていたが、このほど同地区にある「横澗」「鮫取澗」「牧場入口」の3停留所にようやく待合所が完成した。待合所はすべて木造で広さ8平方㍍ほど。冬の間、吹きさらしの戸外でイライラさせられていた利用客は「これでどうやら」とホッとしている。

夏ダイヤ改正による変更 (1969年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

小樽―ニセコ直行バスをスタート! (1969年5月25日)


ニセコバスは年々増加するニセコのハイカー観光客の足を確保しようと、25日から小樽〜ニセコ間(97.4㌔)に直通バスを運行する。この路線は同社が昨年5月から陸運局に申請していたが、ようやく認可が下り今年から運行される。降雪のある11月初旬まで小樽〜ニセコ間を約3時間で結び、1日2往復で運賃は片道550円。


(写真:ニセコ駅前行きのニセコバス)

黒松内線のダイヤ改正 (1969年10月1日)


国鉄列車ダイヤの改正に伴い、1日から寿都〜黒松内線のダイヤが一部変わる。

冬ダイヤ改正による変更 (1969年11月21日)


21日から冬ダイヤに改正。

余市港町線スタート! (1969年12月15日)


中央バスは15日から余市港町線(余市駅前〜大川橋〜港町)の運行をスタートする。これまで漁業関係者や港町地区住民から強い要望があり、町からも陳情があったが、5年前から進められていた道道余市港線(総延長1.5㌔)の拡幅改良舗装工事が11月末完成、バス乗り入れが実現した。

 バスは午前7時から30分おきに1日8往復、料金は片道20円。これを記念して15日午前11時から港町バス停前で余市郡漁協組、港区会の共催で定期バスの開通式が行われ、町長、漁協組合長、中央バス関係者らがテープにハサミを入れ、祝賀バス3台が出発して開通を祝った。

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