中央バス最新NEWS

空知管内 1920-50年代

1922(大正11)年〜1959(昭和34)年

【北原喜一郎】岩見沢―月形間を計画 (1922[大正11]年3月11日)


本年度において北村道路の大改修工事を施行することに決定したのを機会に、融雪早々岩見沢〜北村・月形方面の交通の便を図ろうと乗合自動車を運転する計画がある。主唱は岩見沢町丸木北原喜一郎氏で、山七山口宗太郎、山又柿本胤次(たねじ)の両氏の賛助を得て8千円の資本金で3台の自動車を購入しようというもの。もちろん営利を外し社会奉仕を旨として開業する方針という。

留萌−羽幌間を運行 (1923[大正12]年)


留萌町南大通〜羽幌市街地まで乗合自動車を運行中。賃金は小平蘂まで2里半1人1円50銭、鬼鹿まで6里3円、苫前まで11里5円、羽幌まで13里6円。

【佐藤自動車】月形―峯延間スタート! (1927[昭和2]年4月21日)


今月上旬融雪季に入って以来交通途絶していた峯延道路の雪も消えたので、月形佐藤自動車店では21日から月形〜峯延間自動車運転を開始したが、近く新台乗用車貨物自動車を購入、月形峯延雨池より発車させる。

【岩見沢自動車】岩見沢―月形間スタート! (1927[昭和2]年5月1日)


岩見沢自動車商会(代表・鈴木初三郎)は1日から岩見沢〜月形間の乗合自動車の定期運転を開始したが、同商会では社会奉仕のため当分の間、月形渡船場までの賃金を片道1円30銭とした。停留所は第二区信用土功組合前など。

【上西音吉】紋別―鴻之舞間免許 (1929年11月27日)


鉄道省は27日、かねて各府県から稟請中の自動車営業出願に対し、免許または許可支障なき旨を各地方長官あてに指令を発した。

【川原賢治】野付牛―常呂間免許 (1930[昭和5]年1月31日)


鉄道省は31日、川原賢治氏が出願していた自動車営業に対し、免許または許可支障なき旨を地方長官あてに指令を発した。

【造酒次郎吉】深川―江部乙間免許 (1930年6月4日)


鉄道省は4日、各府県から稟請中の次の自動車営業請願に対し、免許の旨を地方長官宛てに指令を発した。

【山内太郎】夕張の自動車営業許可 (1931[昭和6]年2月9日)


鉄道省は9日、山内太郎氏が出願している次の営業を免許した。

【天塩自動車】羽幌―幌延間ほか免許 (1931年4月21日)


鉄道省は21日、天塩自動車合資会社の自動車営業出願に対し、次の通り道庁長官あてに指令を発した。

【浅野朋次】枝幸―小頓別間免許 (1931年4月30日)


鉄道省は30日、かねて北海道庁から稟請中の自動車営業出願に対し、次の通り北海道庁長官あてに免許の指令を発した。

【津田騰】深川―妹背牛間の営業許可 (1931年5月11日)


鉄道省は11日、北海道庁から稟申中の自動車営業出願に対し、次の通り道庁長官あてに免許の指令を発した。

【遠佐自動車】遠軽―佐呂間間を免許 (1931年6月22日)


鉄道省はかねて稟請中の自動車営業出願に対し、次の通り22日免許の指令を発した。

【中井米蔵】斜内―枝幸間免許 (1931年10月13日)


鉄道省はこのほど、中井米蔵氏が出願している次の営業を免許した。

【士別自動車】自動車営業免許 (1931年12月3日)


士別自動車株式会社が出願していた自動車営業免許が次の通り許可された。

【中西正直】自動車営業免許 (1932[昭和7]年1月28日)


鉄道省は28日、各府県から申請中の自動車営業出願に対し、次の通り各地方長官宛てに営業免許の指令を発した。

【伊藤勇造】網走市内バス運転開始 (1933[昭和8]年1月10日)


網走町伊藤勇造氏から出願の網走市内バスは免許され、すでに運転開始した。

【森野仁三郎】旭川―音江間を免許 (1933年6月6日)


鉄道省は6日、各府県から稟請中の自動車営業策道事業出願に対し、次の通り地方長官あてに指令を発した。

【久春内運輸】泊居―珍内間バス (1933年8月16日)


いまだ鉄道の便に恵まれない樺太泊居以北は自動車が唯一の交通機関だが、運転回数が少なく料金も安くないので、久春内運輸会社では近く、泊居〜珍内間に定期バス運転を計画し、目下準備中で9月初めから実現するだろうと。

【佐藤留吉ほか】光珠内―青山奥間、旭川地区の営業許可 (1933年9月5日)


鉄道省は5日、かねて道庁から稟申中の自動車営業出願に対し、次の通り免許の指令を発した。

【層雲峡乗合自動車】旭川―留辺蘂間免許 (1933年9月22日)


鉄道省はかねて稟申中の自動車営業出願に対し、次の通り22日免許の指令を発した。

上川―層雲峡間開通 (1934[昭和9]年5月7日)


上川〜層雲峡間の乗合自動車は7日から開通した。

【浦臼自動車】奈井江―浦臼を運転 (1934年10月10日)


浦臼自動車運輸株式会社(樺戸郡浦臼村字浦臼内182)は現在、奈井江〜浦臼間の定期乗合自動車を運転している。

【中の島岩蔵】自動車運輸免許 (1935年9月17日)


鉄道省はかねて禀請中の自動車営業出願に対し、次の通り免許の指令を発した。

【沼田自動車】沼田―多度志間を運転 (1935年10月3日)


沼田自動車合資会社は、石狩沼田〜多度志間の定期バスを運行している。このバスは札沼線と雨竜線を連絡する近道となる。

【夕張バス】小樽バスの傍系会社に (1936[昭和11]年1月19日)


夕張バス株式会社(夕張町本町4丁目)はこのほど小樽バスの傍系会社となり、経営の改善を図ることになったが、19日の臨時株主総会において資本金11万7500円を5万円に減資し、次の通り役員を改選した。社長:杉江仙次郎、副社長:安井一夫、取締役:河原直孝、酒井正七、林猛雄、武智忠夫、監査役:新谷専太郎、梁詰太次郎。

【滝川自動車運輸ほか】自動車運輸認可 (1936年5月8日)


鉄道省は8日付で、次の通り自動車運輸事業経営認可の指令を発した。

滝川―浜益間バス近く開通 (1936年8月21日)


長年の懸案だった滝川〜浜益間の自動車道路も開通し、近く両者間に定期バスが運行する運びとなった。

【遠軽自動車ほか】バス延長免許 (1936年9月12日)


鉄道省は12日、次の申請者から出ていたバス延長を免許した。

【美幌自動車】バス延長免許 (1937[昭和12]年1月27日)


鉄道省では27日、美幌自動車合資会社から出ていた次のバス延長を免許した。

【造酒次郎吉】音江地区の延長免許 (1937年4月14日)


鉄道省では14日、造酒次郎吉氏が出願していた次のバス延長を免許した。

【吉本千代一】富良野地区の延長免許 (1937年4月14日)


鉄道省では14日、吉本千代一氏が出願していた次のバス延長を免許した。

【層雲峡乗合自動車】観光客向け 連帯乗車券を発売 (1937年6月1日)


札鉄局は新緑時の遊覧客に対する鉄道自動車の連帯運輸取り扱いを1日から実施する。大雪山国立公園層雲峡は層雲峡乗合自動車会社と契約し6/1〜10/31までの5ヶ月間、層雲峡探勝のため片道、往復とも2割引き、内地、観光者の季節割引3割引きの連帯乗車券を発売する。

【旭川電気軌道】東川、美瑛地区の経営認可 (1937年10月21日)


鉄道省では21日、旭川電気軌道株式会社が出願していた次のバス経営を認可した。

【滝川バス】滝川―浜益間運転 (1937年10月22日)


滝川バス株式会社では現在、滝川〜浜益間の定期バスを運行している。

【中央自動車】下川地区バス運転認可 (1938[昭和13]年5月3日)


鉄道省は3日、中央自動車合資会社から出ていた次のバス運転を認可した。

【滝川バス】南幌加―滝の沢間免許 (1938年5月30日)


鉄道省は30日、滝川バス株式会社から出ていた次の自動車運輸事業免許の指令を発した。

【美唄市街自動車】美唄―三井美唄炭山間運行 (1938年9月14日)


美唄市街自動車株式会社(美唄バス)は現在、美唄町〜三井美唄炭山間にバスを運転している。

【夕張バス】鹿の谷―若菜辺間スタート! (1939[昭和14]年4月12日)


炭都・夕張にも時代の寵児、木炭自動車が近くお目見えする。夕張バス会社では新興市街の若菜辺の飛躍的発展に伴い、関係町民の長年の要望である鹿の谷〜若菜辺間にバスを運行することに決め、このほど道庁に路線延長の認可を申請したが、ガソリン配給統制の折柄でもあり、また同線は比較的平坦地なので木炭自動車を運行することに決定しており、支障がない限り認可されるものとみられている。なお夕張〜鹿の谷間は現在2車が動いているが、近く1車を増車し、町民の利便を図る意向。

沼の沢―真谷地砿間に旅客車 (1939年6月4日)


夕張線沼の沢駅〜真谷地砿間は石炭輸送だけで、旅客は夕張バスが現在、唯一の交通機関だが、先ごろバスの転覆事故が発生するなどバス会社の不誠意な経営態度に対し激しい非難の声が上がっているので、炭砿汽船では同砿専用線に旅客車を運行しようと現在調査を進めている。

北見バス会社統合 (1943[昭和18]年1月10日)


北見市および網走支庁管内のバス統合について各業者間で計画を進めていたが、10日温根湯に業者および道庁佐藤保安課長、赤?交通係長、札鉄??管補、北見署久米警部補、高山係など出席、創立総会を開催した。

 中島創立委員長の経過報告、定款制定、役員選任、事業計画などを協議した同会社は「北見乗合自動車会社」と称し、資本金35万円で北見市に本社をおき4月1日より新発足する。新役員は社長中島権太郎(北見)、専務多田信三(遠軽)、常務牧野吉六(北見)、監査役児玉篤(留辺蘂)、菊地忠四郎(置戸)、横道彦吉(斜里)。

【省営自動車】石狩線スタート! (1943年10月1日)


国鉄では札沼線中間部の輸送事情を考慮し、1日から石狩月形〜石狩追分間(48㌔)および橋本町〜滝川間(3㌔)の省営客貨自動車「石狩線」を営業開始する。

 自動車区は滝川町に設置され、石狩月形〜石狩追分間7往復、橋本町〜滝川間8往復の旅客専用車を運転し、貨物は出貨状況に応じて臨時便を出す意向。冬季間の運行に関しては札鉄局、道庁が一丸となり雪害防止委員会を設置し、地元民の協力を得て万全を期する計画。新設線区および駅名は次の通り。

【省営自動車】石狩線を延長 (1944年7月21日)


札鉄局は省営自動車石狩線の延長計画を進めていたがこのほど決定し、21日から石狩当別〜石狩月形間24㌔、ならびに石狩追分〜石狩沼田間19㌔の運輸営業を開始する。なお石狩当別、石狩月形、和、石狩沼田の4駅においては職員を配置し客貨一般を取扱い、石狩金沢、中小屋、石狩追分、碧水、北竜の5駅においては日本通運に業務を委託し客貨(乗車券は車内発売とし、??手荷物の取扱いをなさず)を、その他の駅(停留場)においては旅客のみを取扱う。新設線区および駅名は次の通り。(?=判読不能)

【省営自動車】石狩線に省営馬ソリが登場!! (1944年12月25日)


国鉄の決戦輸送の一翼として25日から北国情緒たっぷりな「省営馬橇」が銀雪に映ゆる石狩平野にさっそうと登場する。

 札鉄局では昨年より札沼線に沿って省営自動車石狩線を開業したが、この線区は名だたる積雪地帯で運休が相次ぎ、今冬は燃料油の噤給(?)関係からほぼ全線休止するという状態。このため自動車に代るものとして、開拓以来久しく駅逓から駅逓をつなぎ有力な冬の交通機関だった客馬橇に着眼し、全国に先がけその省営を計画、いよいよ25日から開業することになった。

 留萌線の石狩沼田〜和間に2台2往復、橋本町〜雨竜間に1台4往復、石狩月形〜石狩当別間に2台2往復の定期旅客便を出すほか、適時に小荷物扱貨物便を特発して石狩川流域と函館本線および留萌線を連絡させる。旅客馬橇の定員は6名、毛布にくるまり湯たんぽに足を温めて冬の旅をさせようという趣向だが、輸送成績によっては札幌〜小樽間の省営も検討されている。

札幌―岩見沢間直行バスをスタート! (1950年8月14日)


中央バスは14日から従来運行している江別〜岩見沢間を札幌〜江別間の路線に連絡させ、札幌〜岩見沢間の長距離運行を開始する。1日2往復。札幌〜岩見沢間145円。札幌の発着点は松竹座前の予定。ダイヤは次の通り。
岩見沢→札幌 札幌→岩見沢
岩見沢 札幌 札幌 岩見沢
7:00 9:25 10:00 12:25
14:00 16:25 17:00 19:25

【国鉄】朗根内線、宇莫別線をスタート! (1950年12月25日)


国鉄バスは25日から朗根内線(美瑛〜朗根内〜俵真布間18㌔)、宇莫別線(下宇〜上宇莫別〜俵真布間17㌔)の運輸営業を開始する。この新設に伴い、美瑛線は美瑛本線、朗根内線、宇莫別線の3本立てに改める。各線の停留所は次の通り。(「官報」より)

札幌―夕張間の路線獲得合戦 (1951年2月15日)


昨年は札幌陸運事務所管内だけで約200㌔の新バス路線が生まれたが、今年も札幌―夕張間の直通バスをめぐって中央バス、国鉄、夕張鉄道の3業者が路線獲得に競り合っている。

 札幌〜夕張間は汽車で連絡すると4時間以上かかるため中央バスが昨年9月、これを2時間半で連絡するのを目的に現在の栗沢線を延長して栗山〜角田〜夕張に達する直通運転許可願を札幌陸運局に提出したが、これに刺激されたか国鉄でもこの1月、現在の長沼線(札幌〜長沼)を延長して夕張に達する直通バス運転許可を出願、夕張鉄道もこのままでは国鉄、中央バスにお客を奪われてしまうと自ら直通バス運転を計画、2月10日国鉄とほぼ同様の路線を通る直通バス運転許可願を提出して3者競願の形になった。

 これらの路線はいずれも70㌔前後になっているため2時間半〜3時間程度で連絡できるとみられ、遅くとも5、6月ごろまでには札幌〜夕張間の日帰りが可能になるものとみられている。3業者の申請内容は次の通り。(※この申請はその後、3業者とも不許可の裁定を受けた)

冬季運休線の再開など (1951年4月)


除雪完了により次の路線を再開する。

【美鉄】美唄―月形間 中央バスと競願 (1951年5月16日)


美唄鉄道は美唄市街と石狩川沿岸地帯の農村を結ぶバス3路線の認可申請を行っているが、このうち美唄〜月形間を結ぶ1路線が中央バスと競願になっているため運行が延び延びになっている。

 美鉄・中央両バスの新線計画は以下の通りだが、16日札幌で開かれた公聴会でも両者の歩み寄りがさっぱり見られず、この影響で他の2路線も留保されたままになっており、関係者らをヤキモキさせている。

【夕鉄】札幌―夕張直通バスを試運転 (1951年5月21日)


札幌〜夕張間のバス路線をめぐっては夕張鉄道、国鉄、中央バス3業者の競願になっているが、札幌〜夕張間の直通バス運転を出願している夕張鉄道会社では21日午後、日野ジーゼル自動車製作所から借り受けた53人乗りロマンスシート、BA1型モデルカー1台で初の試運転を行った。バスは鹿の谷〜栗山駅前間を約50分で快走、燃料費も汽車にくらべ10分の1で済むことがわかり、正式認可が下りれば夕張〜札幌間を1日2往復、片道2時間20〜30分で運行できる見込み。6月中旬に札幌陸運局で関係機関、地元市民代表などの公聴会を開いて認可の可否が決定される。

【美鉄】上美唄、中村線スタート! (1951年6月1日)


美鉄バスは1日から上美唄線(美唄〜上美唄)、中村線(美唄〜中村)の運行を開始する。同社と中央バスの競願でノビノビになっていた美唄市街と石狩川沿岸を結ぶバス路線は、札幌の審議会で「月形〜美唄間は中央バスに」という意向が明らかになったので、美鉄バスはとりあえず残るこの2線の臨時バス運行を申請、このほど認可されたので1日からバスを配置することになった。運行コースは次の通り。

【国鉄】札幌―岩見沢間に参戦 (1951年9月6日)


札幌〜岩見沢間には中央バスが江別・栗沢経由で定期バスを運行しているが、このほど国鉄道自動車事務所が札幌〜岩見沢間の急行バス運転許可申請を国鉄本庁に提出、先ごろの札幌〜小樽間急行バス合戦から再び両者のサービス合戦が過熱している。

 国鉄が申請しているのは、鉄道路線にほぼ並行する札幌〜江別〜幌向〜岩見沢間(約45㌔)のルート。1日5往復、約1時間半で連絡するプランを立てている。

【国鉄】岩見沢―北村間スタート! (1951年9月25日)


国鉄バスは25日から空知線の岩見沢〜北村間(17㌔)で運輸営業を開始する。岩見沢と上幌向では旅客のほか手荷物、小荷物も取り扱う。停車停留所は次の通り。(「官報」より)

【国鉄】美瑛本線を延長 (1951年12月8日)


国鉄バスは8日から美瑛本線(美瑛〜新三笠)を延長、新三笠〜白金温泉間10㌔の運輸営業を開始する。停車停留所は次の通り。(「官報」より)

くすぶる札幌―夕張直通バス (1952年2月19日)


札幌―夕張間直通バスは業者間の激しいせり合いから、運転認可申請が出されてから1年以上も揉み続けている。

 札幌〜夕張間は現在、岩見沢乗り換えの国鉄線か、野幌乗り換えの夕張鉄道を利用するしかなく時間も4時間半〜5時間かかる。このため中央バスは一昨年9月12日、札幌〜江別〜幌向〜栗山〜角田〜夕張間の直通バス運転認可申請を出し、これを2時間半で直結しようとした。ところが国鉄バスも昨年1月10日、1日10往復運転を計画して白石〜長沼〜角田経由の直通バス運転許可を出願、これに刺激され夕張鉄道も自ら直通バス運転を計画し、昨年5月1日正式に許可願いを提出して3者競願の形となった。

 このため、この予備審査を行う札幌道路運送審議会では昨年6月から数回にわたって公聴会、会議を開いたが意見がまとまらず、一時中央バスと夕張鉄道を認可するとの線を出したものの、この決定には不純なものがあるとの札幌陸運局側の教鞭な意見があってご破算となり、昨年8月1日任命された新道路運送審議会委員によって改めて審議し直すことになった。

 この結果、通常は申請から5、6ヶ月で正式免許が下りるものが遅れに遅れてなお決定をみずにいるわけだが、業者の中には地元陸運局や審議会に働きかけるだけでは効果が薄いと運輸省、運輸審議会にも積極的な運動を起こす始末で、その陳情戦術に手を焼いているという。しかし一方では業者、沿線住民などの間から免許が1年以上も遅れていることに対し相当の非難があり、審議会陸運局側としても雪どけまでにはなんとか免許が下ろせるようにしなければならない情勢に追い込まれている。

札幌―夕張間バス 直通運転は不許可 (1952年3月27日)


中央、夕鉄、国鉄の3バス業者が激しいせり合いを続けていた札幌―夕張間直通バスについて、札幌道路運送審議会はこのほど一応の結論を出し、直通運転は認めない代わりに、中央、夕鉄などの私営業者を保護するため中央バスについては夕張〜角田間、夕鉄バスには夕張〜長沼間の路線免許を与え、国営バスの申請はこれを許可しないことになった。

 この結果、中央バスは角田、栗沢で既設の路線を利用して札幌〜夕張間の連絡が可能となり、夕鉄バスは長沼で国営バスに乗り換えれば札幌〜夕張間の連絡が可能になる。

 同審議会ではこの結論を運輸審議会に答申、最終決定を待つことになったが、業者、沿線住民の中には直通運転でなければ札幌〜夕張間バス運転の意味がないと不満の声もあり、運輸審議会での最終決定が注目されている。

冬季運休線の再開など (1952年5月)


除雪完了により次の路線を再開する。

札幌―岩見沢・幾春別線を増発 (1952年12月15日)


11日からの国鉄の第3次列車削減で足に悩む乗客のため、中央バスは15日から次の路線を増強する。

長沼町―幌向村間免許 (1953年9月24日)


運輸審議会は中央バスから出ていた次の申請に対し、許可ならびに免許方をこのほど石井運輸大臣に答申した。

美唄管内路線を強化 (1954年4月8日)


中央バス岩見沢地方営業部は国体開催や美唄労災病院の設置に備え、美唄営業所の増強に力を入れる。近く貸切専用の大型ロマンスカーを導入、美唄〜岩見沢間は2→5往復に増やし、美唄〜月形間も増強する。

 目下、峰延〜市来知間の新規路線を申請中で、認可されしだい美唄〜峰延〜市来知〜三笠〜幾春別に新路線を3〜4往復運行する予定。これにより美唄〜三笠間は最短距離で直行でき、労災病院利用者の便宜をはかる。※峰延〜市来知〜三笠間は翌年6月から国鉄バスが運行

夏ダイヤ改正による変更 (1954年4月17日)


17日から夏ダイヤに改正する。

札幌―栗山間運行 (1954年9月)


広島線(札幌〜大曲〜広島)を栗山町まで延長。ダイヤを改正する。1日3往復。
【札幌〜栗山線時刻表】
(下り)札幌→栗山 (上り)栗山→札幌
札幌 広島 長沼 栗山 栗山 長沼 広島 札幌
9:30 10:20 10:55 11:20 7:00 7:25 8:00 8:50
11:00 11:50 12:25 12:50 8:30 8:55 9:30 10:20
16:30 17:20 17:55 18:20 14:00 14:25 15:00 15:50

冬ダイヤ改正による変更 (1954年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

【北海道急行】札幌―旭川間急行バス申請 (1954年12月17日)


北海道急行バス(札幌市)はこのほど札幌〜旭川間直通急行バスの運行を計画、17日旭川市当局に副申請の添付書を申請した。コースは札幌〜岩見沢〜美唄〜砂川〜滝川〜旭川駅に至る140.6㌔の路線。約4時間で札旭間を結び、1日4往復、料金は札幌〜旭川間575円。

 同社は札幌〜室蘭間も同時申請しているが、市当局では中央バスほか同業者との兼ね合いもあるため、実情を調査のうえ回答する方針。

夏ダイヤ改正による変更 (1955年5〜6月)


1日から夏ダイヤに改正する。

札幌―紅葉山間3社競願に (1955年6月5日)


札幌〜追分〜紅葉山を結ぶバスは4年ほど前から紅葉山、楓、沼ノ沢、滝ノ上などの沿線住民が札鉄局に陳情していたが、昨年2月に地元の夕張バスが同線を計画、11月にひとまず夕張〜滝ノ上までの路線を札幌陸運局に申請した。さらに国鉄自動車部でもこの路線に目をつけ、先月20日に道路調査を行い、追分〜滝ノ上〜紅葉山〜沼ノ沢までバスを運行するプランを立てている。

 中央バスも追分〜滝ノ下まで定期バスを運行しているが、これは将来夕張まで延長する布石と見られている。そうなると夕張、国鉄、中央バスの競願となるだけに、成り行きが注目されている。

スズラン狩りバス (1955年6月5日)


中央バス岩見沢地方営業所は岩見沢〜早来村早来原野間に5日「鈴蘭狩りバス」を運行する。北海道新聞岩見沢支局の主催で、バスは岩見沢駅前を午前8時半に出発、帰岩は午後6時。募集人員は50名で満員しだい締切る。会費は大人480円、昼食は各自携行、当日雨天の場合は中止。申込みは道新岩見沢支局、中央バス岩見沢営業所、同駅前案内所まで。

岩見沢競馬場バス (1955年7月15日)


岩見沢駅前〜競馬場間に15〜17日まで臨時バスを運行する。

夏ダイヤ改正による変更 (1956年6月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【国鉄】江別―豊幌―南幌間を陳情 (1956年8月30日)


江別市は30日、江別〜豊幌〜南幌向間の国鉄バス新路線を国鉄北海道自動車事務所に陳情した。市内豊幌地区住民からの要望で、ルートは江別駅〜国道12号線〜豊幌駅(11月開業予定)〜西3号線(夕張川まで南下)〜清幌橋〜南15線〜南幌向市街に至る約22㌔の路線。

札幌・夕張線スタート! (1956年9月10日)


札幌〜夕張間を結ぶバス路線をめぐって昨年、中央、夕張、夕鉄、国鉄の4バス業者競願となっていたが、夕鉄バスが鉄道との二重投資を避け今春認可申請を取り下げたため一挙に解決、札幌〜夕張間は中央バス、夕張バスの2社が10日から運行を始める。

 夕張バスはノンストップで1日2往復、中央バスは長沼・広島経由で3往復。料金は札幌〜夕張間240円。当初は今月1日から開始する予定でいたが、夕張バスが2台購入したリヤーエンジン、国鉄特2級イス付きロマンスカーの到着が遅れ10日から開始となり、中央バスもこれに合わせることになった。

 夕張バスが発注していた新車は5日に到着、乗車定員は46名だが、乗客に楽な気分で乗ってもらおうと40名に限定、各座席には蛍光灯も取りつけられ夜間でも新聞も読める。

 また夕鉄バスも20日から札幌(南大通)〜上江別駅間に1日5往復を新設して夕鉄ディーゼル・カーに連絡させ、国鉄バスも20日から登川線(札幌〜追分〜登川)を2往復運行するプランを固めており、夕張市民の札幌への足が一挙に5路線にふえる。さらに20日ごろから陸の孤島・大夕張に初めてバス運行が三菱美唄鉄道バス部で準備されている。

【夕張】登川、滝の上線スタート! (1956年9月10日)


夕張バスは沼の沢から登川、滝の上まで路線を延長、10日から3往復する。料金は沼の沢〜滝の上間50円、同〜登川間45円、同〜紅葉山間25円。発着時刻は次の通り。

【国鉄】札幌―登川間スタート! (1956年9月20日)


開発道路紅葉山―川端線の完成により、国鉄バスは20日から札幌〜追分〜登川(夕張市)間に直通バスを運行する。札幌〜登川間の運賃は285円。所要時間3時間35分。ダイヤは次の通り。
【停車停留所】札幌〜追分駅前〜川端 滝の上駅前 旧草紙入口 栄農橋 八番通 十三哩 紅葉山駅前 久留木入口 楓市街 楓駅前 楓鉱 中学校前 郵便局前 登川駅前
(下り)札幌→登川 (上り)登川→札幌
  札幌 追分 登川   登川 追分 札幌
701便 7:00 9:05 10:35 702便 6:20 8:00
703便 16:00 18:05 19:35 704便 8:10 9:50 11:50
705便 17:20 19:20 706便 15:00 16:30 18:35

【夕鉄】札幌―上江別間スタート! (1956年9月20日)


夕張鉄道は20日から上江別駅と札幌を結ぶバス路線をスタートする。夕張本町からの列車も2往復増発し、上江別駅でバスに接続させる。1日5往復。上江別駅から40分で札幌大通に到着する。

 10日から開始した中央、夕張両バスの札幌直通バスで鉄道が打撃を受けるため、これに対抗しようと同社は日産ディーゼルの新車3台を導入、アンダーフロアーで定員は68人。運行ダイヤは札幌大通発8:07、11:30、13:00、16:45、18:20、上江別発8:35、9:32、11:41、14:27、17:06の各5本。

芦別通学バスをスタート! (1956年11月13日)


来春から芦別旭町の中学生のため、中央バスは芦別〜精療院(旭町1区通り)に通学バスを運行する予定。芦別中学校横に"車よけ"を設け、油谷〜本町間の道路改修が終われば運行できる見込み。この通学バスは旭町住民はじめ、芦別中学PT会から陳情が出ていた。

冬ダイヤ改正による変更 (1956年11月19日)


国鉄ダイヤ改正に伴い、19日から冬ダイヤに改正。

夏ダイヤ改正による変更 (1957年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【旭川電軌】旭川市内観光バスをスタート (1957年6月)


札幌に次いで旭川でも近く観光バスが走る。旭川電気軌道が運輸省に申請していた市内定期観光バス路線がこのほど認可され、6月上旬から大型バス1台で運行をはじめる計画。コースは旭川駅前を出発し、緑橋通のグリーン・ベルト地帯を経由して合同酒精、国策パルプ、北紡などの工場を見学したのち旭川郷土博物館、近文アイヌ部落を見て駅前にもどる所要3時間半のコース。

冬ダイヤ改正による変更 (1957年12月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【道北・北見】大雪国道開通による新路線 (1957年12月12日)


大雪国道の開通以来、バス路線の新設をめぐって道北バス(旭川)と北見バス(北見)の激しい争奪戦になっていたが、このほど円満解決した。道北バスは旭川からルベシベ・温根湯まで1往復、北見バスが北見から上川・層雲峡まで1往復。運行開始は来年6月1日の予定。

猛吹雪による運休状況 (1958年1月12日)


10日早朝から襲った猛吹雪で不通となった岩見沢を中心とする中央、国鉄両バスは11日朝から中央バスは茂世丑線(岩見沢〜茂世丑)、札春線(札幌〜幾春別)、札岩線(札幌〜岩見沢)を除いて開通、茂世丑線も12日から開通するが札春線、札岩線はいまのところ見通しがつかない。

 一方、国鉄バスも栗沢線(岩見沢〜栗沢)、北新線(岩見沢〜北新)を除いて11日から開通し、栗沢線、北新線は12日から開通の見込み。

夏ダイヤ改正による変更 (1958年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

札幌―旭川間急行バスをスタート! (1958年6月1日)


中央バス滝川地方営業部は1日から札幌〜旭川間に急行バスを新設する。1日3往復、所要時間は約5時間。
(下り)札幌→旭川 (上り)旭川→札幌
札幌 岩見沢 砂川 滝川 旭川 旭川 滝川 砂川 岩見沢 札幌
7:30 9:50 10:10 10:27 12:25 6:45 8:45 9:00 10:12 11:40
12:30 13:50 15:10 15:27 17:25 9:45 11:45 12:00 13:12 14:40
15:30 16:50 18:10 18:27 20:25 13:45 15:45 16:00 17:12 18:40

中央バス栗山車庫建設 (1958年6月)


中央バス長沼営業所は一昨年以来、栗山町に同社の車庫を建設する予定で栗山町湯地に325平方㍍の敷地を確保し4月下旬から建設していたが、6月末には完成する見込み。車庫は木造モルタル平屋建て73坪、工費180万円。同町の村上組が請け負いバス6台を収容できる。

春光台バス停を陳情 (1958年6月27日)


中央バスの歌志内線沿線に住む赤平市・住友春光台周辺住民から「バス停を設置してほしい」との声が上がっている。春光台付近には現在200戸ほどの炭住が立ち並んでいるが、バス停は約4〜500㍍先の元町停留所しかなく、反対方向も元町から上歌志内停留所までノンストップという状態…。このため住民らは元町でバスを降りて春光台まで坂道をテクるしかなく、このほど市は中央バス滝川事務所に同地点の停留所新設を折衝した。

札幌―滝川間急行バスをスタート! (1958年7月1日)


中央バス滝川営業所は1日から札幌〜滝川間に急行バスを上下4本新設する。昨年の滝川〜岩見沢間急行バスが好評を得たため、道博もあることから運行に踏み切った。1日4往復で所要時間3時間5分。料金は鉄道運賃と同額の210円の予定で、車は57年型ロマンス・シートの立派な新車を購入する。札幌〜旭川間急行バスと合わせると札幌〜滝川間の急行バスは計7往復に増強される。

 また歌志内町の市制施行に伴い、1日から同バスの「歌志内役場前」停留所を「歌志内市役所前」に名称を変更する。
(下り)札幌→滝川 (上り)滝川→札幌
札幌 江別 岩見沢 美唄 砂川 滝川 滝川 砂川 美唄 岩見沢 江別 札幌
8:30 9:20 10:05 10:45 11:17 11:35 7:40 7:58 8:30 9:10 9:55 10:45
9:30 10:20 11:05 11:45 12:17 12:35 12:40 12:58 13:30 14:10 14:55 15:45
11:30 12:20 13:05 13:45 14:17 14:35 13:40 13:58 14:30 15:10 15:55 16:45
16:30 17:20 18:05 18:45 19:17 19:35 14:40 14:58 15:30 16:10 16:55 17:45

【国鉄】札幌―美唄間スタート! (1958年7月1日)


国鉄北海道地方自動車事務所では1日から札幌〜美唄間(61㌔)のバス運行を開始する。1日7往復、所要時間約2時間15分で普通列車より25分多くかかるが、将来国道の舗装が完了したときには同じ程度が幾分早くなるという。美唄からの料金は札幌まで170円、江別まで115円、岩見沢まで50円で3等汽車より少し高い。近い将来滝川までの延長も予定されている。1両の乗車定員は座席44、立席32の合わせて76人。ダイヤは札幌、美唄発とも8時、10時、11時、13時、14時、16時、17時の各7本ずつ。

奔別終点にバス待合所 (1958年7月4日)


三笠市の中央バス奔別終点にほど近い住友奔別鉱奔別会館前の総合遊園地内に、このほど風流なアズマ屋風のバス待合所がお目見えした。奔別鉱が工費26万円を投じて建設したもので、遊園地の休憩所も兼ねている。

夕張線、札栗線のダイヤ改正 (1958年7月12日)


中央バスは12日から夕張線(3往復)、札栗線(6往復)のダイヤを次のように改正する。所要時間は両線とも2時間。

栗山秋祭に臨時増発 (1958年9月25日)


中央バス栗山案内所は栗山秋祭が行われる25、26の両日、栗山駅前発各路線に定期便のほか、臨時増発便を次の通り運行する。

冬ダイヤ改正による変更 (1958年11月15日)


中央バスは15日から新ダイヤに切り替える。

運賃改定による変更 (1958年12月10日)


中央バスは私鉄の値上げに伴い、10日から新運賃に切り替える。おもな新料金は次の通り。一般および学生の定期券は現行の25日間計算の料金を30日間の計算に改める。

石狩川橋を徒歩連絡 (1958年12月10日)


滝川〜新十津川間を結ぶ石狩川橋は最近一段と腐朽の度がひどく危険なため、札幌土現滝川出張所は10日からバスの乗客を全員徒歩連絡させることにした。事故防止のためのやむをえない措置だが、同日から中央、国鉄両バスの乗客は全員下車して百数十㍍の長い橋を歩いて渡り、空車のまま徐行して渡橋する車を待って再び乗り込むことになる。この制限は新橋の完成まで続けられるというから、バス利用者にとってはとんだ交通の"難所"となっている。

長沼営業所バス増発 (1958年12月26日)


中央バス長沼営業所は26日から栗山線(長沼〜東2線経由〜栗山)、鳩山線(栗山〜鳩山)を次の通り増発する。
栗山線=栗山発11:50 16:00、長沼発8:10
鳩山線=栗山発15:00、鳩山発15:20

砂川、歌志内で市営バス計画 (1959年2月9日)


昨年7月1日の市制施行以来、新築ブームになっている砂川市だが、砂川市議会は「交通を便利にし市民生活の向上をはかるため市営バスを新設しよう」と、市営バス調査特別委員会を設けて昨年秋から調査を進めており、このほど成案を得たので9日開かれる本会議に付議、可決をみたうえ市とともに運輸省に折衝する。

 同市のバスはほとんど中央バスによって占められているが、面積や民度、人口にくらべ配車線や路線網も少なく、また現状では農村方面への路線延長は見込みがなく、将来の都市計画の推進、通勤者の利便、農村文化の向上、商工業の振興のためには市営バスが必要としている。

 また隣の歌志内市でも最近は中央バス歌志内線の利用者がグンとふえ、満員になるにつれてサービスが低下。このため市議会でもこのほど市営バス新設を議決しており、2、3年前から市営バス調査特別委員会を設けて対策を講じていた。両市共同の市営バスにしてはどうか―との話もあるが、砂川では単独で進めたい意向。

 これに対し中央バス滝川営業所では1月下旬、従来30分おきに運行していたダイヤの中に、さらに15分おきに歌志内駅前〜文珠車庫前間の市内バスを新設したほか、歌神の国保診療所前に3坪の待合所(木造)を新築するなどサービスアップに乗り出している。両市のバス路線案については次の通り。

【夕鉄】札幌で貸切バス運行 (1959年3月2日)


夕張鉄道は夏ごろから札幌市内・近郊で貸切バスを運行する。この計画は昨年はじめごろから進められ、札幌陸運局の認可も下りたので、雪解け早々市内菊水東町に営業所、バス車庫などを建設、常時3台の貸切バスを配置する。またこれまで仮車庫だった野幌車庫も本建築にし、常備4台のバスを臨時札幌市内に回す体制をとっており、これを足掛かりに市内のバス運行も考えている。

夏ダイヤ改正による変更 (1959年4〜5月)


10日から夏ダイヤに改正する。

芦別管内路線を強化 (1959年6月12日)


11月1日から予定されている国鉄滝川〜上芦別間のディーゼルーカー運行に備え、中央バス芦別営業所は12日から滝川・芦別線(滝川〜芦別)を12→24往復に倍増させるなど、芦別管内の増強にチカラを入れる。これにより同線の滝川発は6:40〜18:10まで、芦別発は6:50〜18:20まで、いずれも従来の1時間おきから30分おきとなり、所要時間1時間10分。また芦旭線(芦別〜旭川)は来月15日から5→8往復に増発するほか、住民から要望のあった芦別〜野花南線を来春から滝里(島の下駅)まで運行するプラン。

赤平出張所OPEN!! (1959年6月27日)


中央バスの赤平出張所と車庫が赤平市文京町の国道沿いに完成、27日から営業開始する。総工費は事務所をふくめ約650万円。カマボコ型の車庫は総鉄骨張りの耐火構造で広さは約992平方㍍、大型バス8台が収容できる。最近市営バスの運行計画がささやかれていることから、同社は赤平市内路線の拡充強化策を打ち出しており、近く市内で貸切バス業務を開始するほか、赤平高校〜平岸間を30分から15分間隔に増強するなどサービス向上に力を入れる。

(写真:完成した赤平車庫)

油谷鉱のバス停移設問題 (1959年8月13日)


中央バス油谷線(芦別〜油谷)のバス停が炭鉱鉄道の軌道前にあって危険なため、中央バスや鉄道関係者は早急に停留所を鉱業所用地内に入れるよう要望している。

 同線は芦別の本町市街地と油谷鉱業所間を1日10往復しているが、終点の「油谷鉱業所前」が同所敷地のすぐ外側にあり、客がバスに遅れまいと鉱業所入口と停留所の間にある幅5㍍ほどの木橋と炭鉱鉄道の線路を列車スレスレに横断しようとするため、機関士はいつもヒヤヒヤさせられている。

 これを改善しようと8月初め、炭鉱鉄道を経営する三菱芦別鉱業所や中央バスは油谷側に停留所の敷地内移設を申し入れたが「停留所を敷地に入れるとバスが見張所の前を素通りするので、悪質な行商人が入ってきてもわからない」―とソッケナイ返事。住民からは「犠牲者が出てからでは遅い」という声も出始めており、油谷芦別労組でも「今のバス停は雨よけもなく、中に入れてくれればどんなに便利かわからない」とこぼしており、双方とも口をそろえて会社側の決断を要求しているのだが…。

滝川ターミナルOPEN!! (1959年8月29日)


中央バス滝川地方営業部が事務所の改築にあわせ建設していた簡易ターミナルがこのほど完成した。

 ターミナルは木造モルタル塗2階建て延べ500平方㍍。1階は待合室、バス発着所、事務室、2階は事務室、会議室、事務員休憩室などを設け、裏側にはコンクリートを敷いたバス発着コースを備える。また高さ40数㍍の無線電話のアンテナからは札幌、小樽、岩見沢などと連絡できる。

(写真:1962年頃の中央バス滝川ターミナル)

上砂川町にバス停要望 (1959年9月24日)


上砂川町の商工会議所付近(上砂川駅前〜役場前間)にバス停新設の要望がある。現在バスは1条通りを運行しているが、付近には公民館、消防署、中空知信金などもあるため、7月に商工会議所が中央バスに申し入れた。

茂世丑線開通 (1959年10月25日)


栗沢町の三線橋工事のため折り返し運行をしていた茂世丑線は、25日から平常運行に戻る。運行時刻は下表の通り。
【茂世丑線時刻表】
(Aコース) (Bコース)
岩見沢 上幌向 栗沢 茂世丑 岩見沢 岩見沢 茂世丑 栗沢 上幌向 岩見沢
7:10 7:25 8:10 8:25 8:55 6:50 7:20 7:45 8:30 8:45
11:20 11:35 12:20 12:35 13:05 10:30 11:00 11:15 12:00 12:15
15:10 15:25 16:10 16:25 16:55 13:30 14:00 14:15 15:00  
          16:30 17:00 17:15 18:00 18:15

冬ダイヤ改正による変更 (1959年11月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

砂川ターミナルOPEN!! (1959年12月9日)


中央バス滝川営業所の砂川駅前バスターミナルが砂川市の国道脇に完成、9日午後3時から松川同バス社長や石坂市議会議長ら関係者30数人が集まり開設式が行われた。ターミナルは2階建て延べ128平方㍍。最近グンと増えてきた乗客の便をはかろうと、10月下旬から同社が総工費600万円を投じて建設していた。

(写真:中央バス砂川ターミナル)

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