中央バス最新NEWS

空知管内 1970年代

1970(昭和45)年〜1979(昭和54)年

札夕線の乗降制限解除 (1970年3月1日)


中央バスは札夕線(札幌ターミナル〜夕張駅前)の「継立」「新二股」両停留所(いずれも栗山町内)で実施していた乗降制限を1日から解除する。バス路線の協定に基づき、これまで上り線(札幌行き)は乗車、下り線(夕張行き)は降車だけだったが、このほど調整がつき上下線とも乗降車自由になる。

 一方、夕鉄バスは昨年12月25日から中央バスと競合する岩見沢急行線(夕張〜岩見沢)に「若菜」(夕張市内)を増設している。

【沼田町】沼田―浅野間スタート! (1970年4月1日)


留萌鉄道廃止に伴い昨年から中央バスが臨時運行していた浅野線(沼田〜浅野)が3月末で運転をやめるため、沼田町はとりあえず応急処置として1日から同区間に町営バスを走らせて辺地住民の足を確保する。

 中央バスが運行をやめたのは炭鉱閉山によるもの。町営バスを始めたのは池田町にヒントを得たもので道内では3番目、空知管内では初の町営バスとなる。料金は上、下便とも恵比島まで50円、それ以上は100円。バスはワンマンで停留所は中央バスが停車した場所と同じ。

 さしあたって町のマイクロバスで通学、患者輸送に1日3往復(日・祭は2往復)するが、町はもう1台マイクロバスの購入を考えており、過疎化対策とはいえ自治体財政の大きな負担になりそうだ。

夏ダイヤ改正による変更 (1970年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【夕鉄】ワンマンバスをスタート! (1970年6月3日)


夕鉄バスは3日午前10時から夕張市内でワンマンバスの運行を正式にスタート。先月21日から車掌が指導しながら試験的に走っていたが、乗客もなれたようなので本格運行に踏み切った。

 ワンマン化されたのは、市内各線合わせて1日104往復のうち48往復。これは年々深刻になる車掌不足を補うための対策の一環だが、冬の積雪時の運行体制や踏切確認など、まだまだ問題は残っていそう。

 初日となる3日は約20人の関係者が集まり、市内若菜でワンマンバス運行出発式が開かれ、河野本社総務部長のあいさつのあと、労使双方の代表が仲良く紅白のテープを切って"丁未行き"のワンマンバスが出発した。

夕張地区の運賃改定 (1970年7月2日)


中央バス、夕鉄バス、三菱バスの3社は2日から大幅に運賃を値上げする。人件費増や利用者減による経営悪化がおもな理由。料金アップによる増収率は、中央バスの12.2%から夕鉄バスの32.9%まで。

芦別レジャーランド行きバス (1970年7月20日)


18日オープンした芦別レジャーランドの完成に伴って、中央バスは20日からターミナル〜レジャーランド間の定期バスを運行開始する。1日6往復し、料金は片道20円。停留所とダイヤは以下の通り。

 同レジャーランドは総工費4億2千万円。温水プール、サウナ、熱帯植物園、民謡広場、大食堂、お好み食堂、遊戯コーナーなどが完備された大衆観光娯楽センター。入場料は大人350円、中・高生250円、子供200円で、30人以上は団体割り引きもある。

栗山ターミナルOPEN!! (1970年9月2日)


栗山町中央3丁目に建設していた中央バス栗山ターミナルがこのほど完成、隣接するUデパートとあわせ1日、現地で落成開設式が行われる。営業開始は2日から。

 ターミナルは栗山駅前通りの4区商店街に面した鉄筋コンクリート2階建て一部3階建て。1階の待合室から同デパートに直結している。ターミナル完成に伴い中央バスは2日から栗山駅前広場への乗り入れをやめ、岩見沢方面からのバスは駅前交差点を直進、農協前を左折して旭町通りからターミナルに入り、由仁・夕張方面からはターミナル前を通過して駅前交差点を左折、農協前を左折して旭町通りからターミナルに入ることになり、駅から中央バスに乗り継ぐ客はターミナルまで歩くことになる。

(写真:中央バス栗山ターミナル)

【夕鉄】経営不振による合理化案 (1970年9月2日)


夕鉄は経営不振により大幅な合理化に乗り出したが、自動車部門は72年度までに旅客列車の削減、廃止をカバーするため次のように増強する方針。

【沼田町】町営バスを本格スタート! (1970年10月1日)


炭鉱の閉山で4月1日から中央バス営業路線が廃止となり、沼田町は応急処置として沼田町役場前〜浅野間に1日2往復のバスを走らせていたが、去る8月に札幌陸運局から正式に認可され、10月1日から本格的に3往復がスタートする。

 停留所標識板も一新され、これまでの中央バス時代の鉄製のものと違い、木製でコンクリートの台に差し込む簡単なものだが、それでも全部で17ヶ所、34枚もいるので作業が結構大変だったそう。

 これまでは認可になっていなかったので1区間30円の"協力券"方式だったが、今後は"乗車券"になる。町は「利用者がふえる見込みはないが続ける」と話しており、来年度は運行区域を拡大したい考え。

【夕鉄】冬ダイヤ改正による変更 (1970年12月15日)


夕鉄バス1日から冬ダイヤに改正。

桂沢スキー場行バス (1970年12月20日)


中央バスは三笠市の第5回桂沢国設スキー場開きにあわせ、12/20〜来年3/31まで幾春別〜スキー場入口(一部はスキー場ロッジ前まで)に定期バスを運行する。ダイヤは次の通り。
(◎は12/28〜1/20まで、△は日祝のみ)

危険な…中央バスターミナル (1971年2月10日)


中央バス芦別ターミナルからバスが発車する際、歩道、国道を横切るので危険と市民やドライバーから不満の声が出ている。

 同ターミナルは芦別市街地の真ん中、国道38号線沿いにあり、市内運行の各路線をはじめ日中は深川、富良野、札幌行きなどの路線がほぼ10分おきに発着。バスはターミナルの裏側から入って正面から発車する構造のため、ターミナルを発車したバスが歩道を横切って国道へ右、左折する格好となり、発車のたびに歩道が遮られるうえ、国道に通過車両がある場合は歩道上でいったん停止するため、その間は歩行者を"通せんぼ"する形になる。また国道に向かってバスがいきなり直角に右、左折して横切るため、年々ふえる国道の交通量を考えると交通障害や交通安全上にも問題があるという。

 さらにターミナルに入ってくるバスは裏側の車幅6㍍の狭い市道を通り、ふだんはターミナルに入ってから客を降ろしているが、先行車でターミナルが混んでいる朝夕のラッシュ時などは市道で降ろしている場合もあり、雪で道が狭くなる冬季間は他の車が通り抜けられないこともしばしばあるといい、一般ドライバーからも不評を買っている。

(芦別ターミナルを発車するバス)

栄中スクールバス (1971年2月20日)


岩見沢市教委は20日から市立栄中の通学用貸し切りバスを運行開始する。運行は中央バス岩見沢営業所に委託し、日曜・祝日・学休日を除く毎日、朝日炭砿附属病院前を8:55ごろ発車、帰りは栄中前を16:25(土曜は13:05)ごろ発車する。

 車両は70人乗り1台だけなので市内朝日町の子供105人のうち35人があぶれるが、35人は貸し切りバスが発車する1、2分前の定期バスに乗る。貸し切りバスと定期バスの運賃はいっさい市教委が持ち、年間150万円を中央バスに支払う。

 これまで同校の生徒約200人のうち105人が万字線朝日駅から学校のある上志文駅まで列車通学していたが、朝日駅発の一番列車が6:52、次が9:58なので、学校側はここ数年、市教委にスクールバスの運行を強く要望していた。学校では「できたら2台の貸し切りバスを…」と望んでいたが、1台でも生徒のためにバスが走ることになったので大喜び。

 この日の初運行を前に、同病院前で生徒、教職員、市教委関係者らが出席して"出発式"が行われ、成田市教委長のあいさつのあと、生徒たちは白い息をはきながら暖房のきいたバスに乗り込んでいた。

三笠市内線をワンマン化 (1971年3月1日)


中央バスは4/1から桂沢線を除く三笠市内全線をワンマンバスに切り替えるが、準備期間として3/1から乗車整理券の使い方を利用者に知らせる。

夏ダイヤ改正による変更 (1971年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【夕鉄】駒大通バス停新設 (1971年6月7日)


夕鉄バスは7日から、岩見沢市内の「十条十丁目」バス停を約1㌔駒沢大学付属岩見沢高校寄りに移設し「駒沢大学通り」の停留所を新設した。

 これは夕張市内から同校に通う生徒の父母や学校側が夕鉄や夕鉄労組に強く働きかけ、競合している中央バスや陸運局も了解して実現したもの。これまで駒大高校へ通う生徒たちは、夕張本町駅午前6:08発の夕鉄列車か、夕張駅午前7:20発の夕鉄バスのどちらかを使うしかなく、列車だと朝早く家を出て、栗山駅の乗り継ぎで約30分も待ち合わせがある一方、バスだと列車より交通費が月約2000円も高いうえ、高校前にバス停がないため同校まで毎朝約1㌔ほど歩かねばならないので、朝8:50のホームルーム開始にはわずかに間に合わず、やむなく夕張駅6:35発のバスに乗る生徒が多いのが実情だった。

南幌市街バス停を移転して (1971年7月29日)


中央、国鉄両バスの南幌市街停留所(南幌町南13線西8号)が交差点に近すぎて危険と、住民が警察を通じてバス会社に移転を申し入れて1年半―、いまだ解決の糸口はみえていない。

 問題のバス停は道道2本の交差点から13㍍の地点。長さ11㍍のバスが停まると横断歩道をふさぐ格好となり、国鉄バスの始発停留所にもなっているためバスの停車時間が長く、交差点を渡る歩行者や車はいつもヒヤヒヤさせらているという。

 これを見かねた住民たちが昨年春バス停の移動を栗山署を通してバス会社に申し入れたがいまだ実現せず、住民たちは『会社はやる気があるのか』と憤懣がいっぱい。バスの運転手に停車位置をずらすよう注意することもしばしばあるという。

 同交差点は南幌中への通路にもなっており、町内ではもっとも交通量の多いところ。栗山署、町交通指導委員会も"危険箇所"として連日、交通指導と整理にあたっている。

ファミリー動物園臨時バス (1971年8月3日)


滝川市、滝川市教委、北海道新聞社共催の『ファミリー動物園』が3〜8日まで滝川公園で開かれるが、中央バスは開園期間中に滝川ターミナルから滝川公園まで臨時バスを運行する。ダイヤは滝川ターミナル発が10:00〜17:00、滝川公園発が10:10〜17:10までいずれも30分おき。料金は大人15円、小人10円。

 同動物園には世界の動物が一堂に集められ、万国博に登場して人気を集めた子象をはじめ、猛獣、鳥、は虫類、毒ヘビなど80種220余の動物が展示されるほか、開園初日の3日午後と、8日最終日の午前と午後の計3回、滝川躍進太鼓保存会による太鼓演奏も行われる。同動物園は9/3〜9/8まで深川市桜山レジャーランドでも開かれる。

油谷・旭線の赤字助成を (1971年8月13日)


中央バスの油谷線(芦別タ〜油谷)、旭線(芦別タ〜旭学校)は過疎化により年々利用者が減り、同社から「赤字で継続が困難、なんとか市で助成措置を考えてほしい」と意向が出ている。

 油谷線は芦別市内の中央バス芦別ターミナルと旧油谷炭鉱間を結ぶ6.8㌔の路線。65年に炭鉱が閉山、規模を縮小してその跡を引き継いだ北興炭鉱も2年前に姿を消し、利用者は減る一方。かつて油谷地区に5千人以上いた人口も現在は100人を割ってしまい、当時14往復していたドル箱路線も、いまは朝、昼、晩の3往復走っているだけ。また油谷線の途中から分かれ農村地帯の旭町とを結ぶ4.8㌔の旭線も、農家のマイカーに押され、現在は1日2往復という細々とした運行状態。

 このような急激な過疎化で、両線の利用客は年々減少の一途。中央バス芦別営業所の話では、油谷線の1日平均利用客は約60人、その半数が通学の児童、生徒。両線のことしの年間赤字は440万円に達する見込みで、民間会社としてこれ以上の運行継続は困難な状態にあり、坂本営業所長は「採算面だけから考えれば、いますぐにも運行を中止したいが、公共性という意味からそうもいかず、運行を継続するため市に赤字額の半分程度を助成してくれるようにお願いしている」と説明している。

 油谷地区に残っている住民は高齢者が多く、小、中学生の下校時はスクールバスが出ているが、一般住民用に市がバスを運行するのは事実上不可能。理事者側は「過疎対策の一環として市費を持ち出しても、現行程度の運行を確保する以外に方法がないのではないか」という考え方に傾きつつあるようで、9月議会までには結論が出るという。

(油谷停留所に停車する油谷線)

【夕鉄】郊外線ワンマン化 (1971年11月1日)


夕鉄バスは1日から初めて郊外線をワンマン化する。実施するのは夕張〜栗山〜岩見沢直通線で、夕張〜栗山間12往復、夕張〜岩見沢間5往復の計17往復をワンマン化する。残る札幌直通9往復、大夕張9往復は来年以降になるもよう。

 現在、同社の市内線161往復のうち、丁未〜若菜間、丁未〜清水沢間の一部77往復、約50%がワンマン化されており、南部方面も来年はワンマン化される予定。ただ登川方面は幅員、設備など道路状態がワンマン基準に当てはまるように改良されるまで見送られる。

【三菱】美唄市の過疎バス対策 (1971年12月10日)


ここ2〜3年、三菱鉱業美唄鉄道事務所の三菱バスが美唄市内を走る赤字の農村路線を次々と廃止、市は撤退を続けるバス会社に補助金を出してしばらく廃止を延期してもらい、新たに購入したスクールバス4台と地元の農家から借りたマイクロバス1台で"跡始末"してきたが、こんど250万円ほどの補助金で来年4月まで延ばしてもらう拓北、進徳両線も含め、三菱バスの撤退はまだまだ続きそう。

 そこで市は、一般客用の有料の市営バスとスクールバスの路線運営という独自の方式も考えているが、ここに立ちはだかるのが規制とカネ。スクールバスについては、国から「目的以外には使用しない」ことを条件に購入費を補助してもらっているうえ、市営バスの認可も基準が厳しく「規制より過疎対策を優先させてほしい」と陸運局に訴えても、違法なことをしたために事故でも起こしたらどうするのかと反論され、二の句がつげないと市はボヤく。仮に認可されたとしても運営費に対する国の補助額は十分とはいえず、市の赤字は増える見通しで、八方ふさがりの対策に頭をかかえている。

運賃改定による変更 (1972年2月15日)


中央バス、国鉄バスは15日から運賃を一斉に値上げ。ともに平均27%のアップ率。また同日から中央バスと競合路線をもつ夕張鉄道バス、三菱大夕張鉄道バスも夕張〜札幌線などの料金値上げを次の通り実施する。

支庁跡地、市と中央バスが競合 (1972年2月16日)


旧空知支庁の庁舎跡地(岩見沢市4条西6)をめぐって、バスターミナルの建設を希望する中央バス、公園にしたい市、駐車場や新店舗の建設を計画する拓銀岩見沢支店、労金岩見沢支店の4者から申請が出ている。

 同跡地は国道12号線×駅前通りの交差点に面する約6千平方㍍の"特等地"。同支庁によると「国道に面した一部は拓銀、労金に払い下げることになるだろうが、残りの大部分は市に払い下げるか、中央バスにするかまだはっきり決めていない。いまのところは市と中央バスの両者が意見を調整するのを待っている状態」という。

 岩見沢市民や空知管内の住民からは「ぜひ公園にしてほしい」と望む声が強く、公園化を希望する市は"競合"する中央バスに対し、代替地を示すなどしてあきらめてもらうよう働きかけている。

(移転計画のある中央バス岩見沢ターミナル)

夏ダイヤ改正による変更 (1972年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【美唄市】市営バスをスタート! (1972年6月1日)


美唄市は1日から三菱バス撤退のあとを受け、予定通り市営白バスをスタートする。日曜を除く1日4往復、農村地区に「茶志内・中村・沼の内線」「進徳・拓北線」の2路線を走らせる。

 三菱バスが赤字のため5月いっぱいで撤退した茶志内、沼の内、進徳、拓北の4路線を2系統に統合整理したもので、運行許可されてから"発車"まで1週間足らず。バス、運転手、停留所の標識、定期券などぎりぎりになって間に合った。初のワンマンカーとなり、コースはほぼこれまで通りだが、場所によって遠回りになるところもある。定期券は市交通対策室で発売する。

 国鉄美唄駅前には運行開始を祝って1日午前6時半、白にえんじのラインが入った真新しい2台の51人乗りマイクロバスが並んで開通式が行われた。市など市内交通関係者が多数見守る中で紅白のテープにハサミが入れられ、市営白バスの門出を祝ったあと招待者が2台のバスに分乗、各方面行きの一番バスが発車。日東、拓北両終点では地元代表が運転手に花束を贈呈、住民の足が確保されたことを感謝していた。運行ダイヤなどは次の通りだが、日祝、1/1〜3は運休する。

【国鉄】札沼線の代替輸送バス (1972年6月19日)


国鉄札沼線の新十津川〜石狩沼田間(34.9㌔)廃止に伴い、国鉄バスは19日から滝川〜石狩沼田間を代替輸送する。全19往復のうち12往復が沼田までとなり、新十津川経由、雨竜渭の津経由が4往復、北竜町奥美葉牛まで6往復。滝川〜沼田間の所要時間は1時間10分。ダイヤは次の通り。

◇滝川発沼田行き(下り) 555 ※650 650 831 1000 1200 1251 1420 1546 1650 1756 1900
◇沼田発滝川行き(上り) 630 740 ※830 920 1050 1250 1350 1540 1620 1730 1815 1930
(※印は日祝運休)

【国鉄】バス待合室を建設 (1972年8月6日)


国鉄札沼線廃止で国鉄バスが増便されたが、北竜町内でバス待合室が12か所建設された。
 新十津川、雨竜、北竜、沼田4町の交通対策共通経費で建設したもので、総工費390万円。これで冬季間や雨天でも心配なく、バスで通学する高校生は特に喜んでいる。新設されたバス合室は次の通り。
 ○ブロック造り(9平方㍍)=碧水、北竜中前など6か所
 ○木造(6.6平方㍍)=中の岱、岩村会館前など6か所

(写真:北竜中前に完成したバス待合室)

【三菱】ダイヤ改正で削減 (1972年9月1日)


三菱バスは1日ダイヤ改正を行い、今年4月の美唄砿閉山による利用減で、美唄炭山線(美唄駅〜常盤台)を途中の炭山駅まで短縮、1日21往復に減便する。

 美唄と東美唄を結ぶこの路線は、同砿閉山前までは1日50往復走るなど、大都会の路線バス並みの本数だったが、相次ぐ炭鉱閉山や合理化で東美唄の人口はどんどん減ったとはいえ、それでも今年3月現在で5400人以上は住んでおり、買い物客や通勤者などで路線バスでは珍しい黒字線だった。

 しかし、閉山によって8月ごろまでに常盤台、一の沢、二の沢、月見台などのほとんどの住民、2千人以上が去ってしまいバス利用者が大幅に減り、ダイヤ削減に踏み切った。

冬ダイヤ改正による変更 (1972年11月21日)


中央バスは21日から冬ダイヤに改正。

【三菱】利用減でまたダイヤ削減 (1972年12月5日)


三菱バス美唄炭山線(美唄駅前〜炭山駅前)は5日、9月に続いて2回目のバスダイヤ削減を行う。山元の利用者が閉山時の1/4に減り「通勤、通学時間を除いてほとんど赤字になった」というのが会社側の説明。

 ただ盤ノ沢、東明駅を含めると市街東明地区はむしろ2往復増え、合計47往復になるが、山元へのバスは朝夕を除いて1時間1本の大幅減となり、山元に残された最後の市街地・我路地区などの住民たちは「通院、通学が不便になった」と市などに善処を要望しているが、かつてのドル箱路線も厳しい年の瀬を迎えようとしている…。

黄金線は来春休止 (1972年12月14日)


芦別市黄金町の新北振炭鉱が閉山して半年、閉山後、間引き運行している中央バス黄金線(芦別ターミナル〜黄金)も極端な利用者減で、来春には全面休止するという。

 坑内火災が命取りとなり、同鉱が閉山したのは去る5月22日。約3ヶ月後には炭住街が無人となり、10月末ごろまでに約150戸あった炭住も取り壊され、跡形もなくなった。その後、鉱務所、売店など主要建物も次々と姿を消し、残っているのは寮、会館、組合事務所など数戸だけ。これらも現在解体作業を急いでおり、間もなく作業を終える。そのうえバスも全面休止とあって、周辺の農家の人たちも「なんとも心細い限り…」と寂しそうだ。

(写真:かつての炭住街にポツンと立つバス停)

幾春別線の一部休止で (1972年12月20日)


中央バス三笠営業所は来年5月の夏ダイヤから、幾春別線(岩見沢ターミナル〜川端町)の幾春別〜奔別川端間の運行を全便休止したいと、このほど三笠市に申し入れた。

 奔別炭鉱の閉山で奔別奥が無人地帯となり、川端地区にわずか36戸を残すだけとなったためバス利用者が激減。11月下旬調査の1便当たり平均乗車人員は、上りが0.7人、下りが0.6人と平均乗車密度が極端に少なく、また運行距離も約800㍍と短く第1種生活路線(1.5㌔未満)に該当しないほか、将来の乗客の伸びも期待できず、バス労組からムダ走りに対して強い苦情が出ている―などの理由をあげて、市に全面休止を申し入れた。

 これに対して市は、各団体や地元住民代表と協議した結果、全便休止は困るので日中1時間に1便ぐらい残し、また朝夕の通勤通学時間と主婦たちが買い物に出かける時間帯、それに最終便を残すよう同営業所に要請した。

運賃改定による変更 (1973年3月1日)


中央バス空知営業部は昨年2月、運輸省から平均23.5%の運賃値上げの認可を受け、アップ率の高い区間に限って一部暫定運賃を設定してきたが、1日から正規運賃に変わり、各区間とも平均10円アップする。これにあわせ停留所の新設などを行う。

夏ダイヤ改正による変更 (1973年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

冬ダイヤ改正による変更 (1973年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

運賃改定による変更 (1974年5月1日)


中央バス空知営業部は1日から運賃を平均22.6%値上げする。

 岩見沢管内では市内循環線がこれまで20円と30円だったのが10円アップの30円と40円になり、近郊路線は距離によって10〜30円、長距離線は40〜50円それぞれ値上げされる。ただし循環線の30円、40円は暫定運賃で来月1日からは40円均一になる予定。

 おもな新料金は滝川〜砂川間60円→80円、札幌〜旭川間520円→650円、同〜留萌間600円→750円など。競合路線をもつ道北、沿岸バスの一部も調整値上げすることになる。

沼田・多度志線の減便は見送り (1974年5月9日)


沼田町は中央バス沼田〜多度志線の減便反対陳情のため9日、同バス空知営業部(滝川市)に出向いて折衝した結果、同線をワンマン化できるよう改良することを条件に、減便については来年3月まで見送られることになった。

 この路線は朝夕を除き乗客がほとんどなく運行経費だけでも年間1千万年の赤字が出ているうえ、車掌不足でワンマンカーを配置したくても狭隘区間があってワンマン化の許可が下りず、中央バスはこの5月から1日6往復を3往復に減便したいと町に申し入れていた。

 このため町は、とりあえず更新行きは5ヶ所に待避所をつくってカーブミラーを設け、東予行きについては終点の東予会館にバスが回転できる道路をつくってワンマン化の条件を満たすことにしたが、ワンマン化されても赤字解消までは程遠く、中央バス側はあくまでも減便を実施したい意向。

由仁駅前バス停移設 (1974年7月1日)


「駅から遠く離れて不便」―と由仁町住民らの不便をかこっていた中央、夕鉄両バスの「由仁駅前」停留所が1日から駅前広場に移転する。

 同停留所はこれまで、栗山・夕張方面行きが駅から200㍍離れた空知信金前、追分・川端方面行きが駅から300㍍離れた商工会議所前にあり、バスと鉄道を乗り継ぐ客から「もっと駅の近くに移してほしい」と要望が出ていた。

 こうなったのも数年前、中央バスが国鉄との路線競合を理由に駅からバス停を離さざるを得なかった両者の"不仲"によるもの。あとから路線が認められた夕鉄バスの停留所も中央バスに倣って同じ場所に設けられた。

 このため町は、5月初めから国鉄と中央バス、夕鉄バスの3社と交渉、最近になって国鉄側が態度を軟化させ「駅前広場をバスの乗降に使用してもよい」―との方針に変わってきたため、これまで道路わきにあった停留所を駅前広場に移して一本化、広場中央は駐車禁止となる。停留所は駅待合室から50㍍ほどの距離とあって利用者らに喜ばれている。

岩見沢ターミナル移転オープン (1974年8月1日)


昨年9月から旧空知支庁跡に建設していた中央バス岩見沢営業所の新ターミナルビル(岩見沢市4条西6)がこのほど出来上がり、1日から駅前(1条西6)より移転、営業開始する。

 新ターミナルは鉄筋コンクリート3階建て、延べ1,852平方㍍の郊外線専用バスターミナル。1階は運行管理事務所、乗車券発売所、貸切バスの受付、待合室、売店などが設けられ、スイッチバック式の乗車ホームから1度に6台のバスが発車できる。

 1日から特急バス、郊外線のほとんどがこの新ターミナルに乗り入れるが、交通安全面からターミナルの発着本数が制限されたため、岩見沢市内線(A・Bコース)、美園線、日の出台線、自衛隊線、幌向線、北斗線、競馬場などの市内路線は従来通り駅前広場発着となる。国道12号線10条バイパスが開通する12月からは(注・12月5日正午開通)、特急バスの経路を国道から駅前通りに切り替える予定。新たにバスが走る西6丁目通りは舗装工事が行われ、市は安全策として横断歩道橋や高さ80㌢のベーブフェンスを284㍍にわたって設置、また駅前通りの中央公園横の停車帯(幅1.5㍍、長さ45㍍)、公園の角にはガードレールも設けられる。新ターミナルの発着路線は次の通り。

冬ダイヤ改正による変更 (1974年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

日の出南線スタート! (1975年11月1日)


これまで定期バスがなく地元から再三要望が出ていた岩見沢市街と駒が台地区、新興住宅地の日の出かえで地区を結ぶ「日の出南線」が1日からスタートする。

 コースは国鉄岩見沢駅〜駅前通り〜7条通り線(通称・市栄通り)〜競馬場線〜日の出東山線〜かえで団地間を結ぶ約4㌔。運賃は全線40円、所要時間は約14分。新たに7停留所が設けられ、2台のバスで1日24往復する。

冬ダイヤ改正による変更 (1975年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

停留所の変更 (1975年12月1日?)


停留所の新設、廃止、名称変更などを行う。
資料協力/各駅倉庫さん

冬ダイヤ改正による変更 (1976年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正。

鉄北線の運行スタート! (1978年6月1日)


岩見沢市鉄北地区に1日、中央バス鉄北線(岩見沢駅前〜北5条西20丁目間 4.2㌔)が開通する。同地区にはこれまでバス路線がなく、5年前から地域住民から要望が出ていた。住民から"開かずの踏切"と呼ばれている国鉄函館本線の西10丁目踏切の立体交差が完成する再来年秋まで、市がバス運行で生じる赤字の半分と減価償却費を負担することで新路線の開設が実現した。

 コースは国鉄岩見沢駅から4条通り〜道々岩見沢月形線〜北3条通り〜道々美唄達布岩見沢線〜北5条通りを通って北5西20まで。片道約14分、1日20往復する。料金は全線1区間で大人60円、小人30円。これを記念して1日、駅前と北5西20の両停留所で開通式が行なわれ、市が無料乗車券を配布する。

【夕鉄】岩見沢のりばを変更 (1978年7月10日)


10日から夕鉄バス岩見沢急行線の岩見沢市内の始発点が変更となる。到着便は1条西5丁目(松重時計宝石店前)、始発便はその向い側(本間靴・旅行具店前)に変わり、文字通り岩見沢駅前停留所となる。

運賃改定による変更 (1978年8月11日)


中央バスは11日から路線運賃の値上げを行う。値上げ幅は9.7%(申請16.4%)となり、最低運賃(3.7㌔以内)は60円→70円にアップ。この改定にあわせ、停留所の名称変更なども実施する。
資料協力/各駅倉庫さん

空知事業部にデラックスバス (1979年4月21日)


中央バスは春の行楽シーズンをひかえ、このほど観光客向けにデラックスバス49台を購入した。このうち11台が空知事業部(滝川市)に入り、21日新型バスの試乗会が行われた。

 新型車は全般的に床が高くタイヤ部分の膨らみがないフルデッカー車で従来の大型バスより荷物入れが大きく、また横ゆれも少ない豪華デラックスバス。価格は1台ザッと2千万円。シーズン中は主に本州方面からの観光客用に使われ、シーズンオフには地元客にも利用してもらう。

岩見沢海の家ゆきバス (1979年7月15日)


岩見沢市青少年海の家(厚田村大字別狩)が15日オープンするため、中央バスは岩見沢海の家線(岩見沢ターミナル〜岩見沢海の家間)の直通バスをスタートさせる。

 国鉄バスとの共同運行で7/15〜8/12まで毎日それぞれ1往復ずつ運行する。料金は往復大人1,600円、小人800円。乗車券は中央バスが岩見沢ターミナル案内窓口、国鉄バスは岩見沢旅行センター、岩見沢駅の国鉄バスキップ売り場で乗車日の前から販売する。

長沼スキー場線スタート! (1979年12月23日)


中央バスは町営長沼スキー場がオープンする23日から、長沼スキー場線(長沼ターミナル〜長沼スキー場〜栗山ターミナル)を新設する。12/23〜3/30間は日祝のみで3往復、12/26〜1/20間は毎日、1/1は運休する。所要時間22分。

 同スキー場は1972年に開設され、これまで"北長沼スキー場"という名称だったが、今シーズンから新たに延長482㍍のリフトと暖房完備の120人収容のロッジ(鉄骨平屋建て185平方㍍)を設けて一新した。

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