中央バス最新NEWS

空知管内 70年代

1970(昭和45)年〜1979(昭和54)年

札夕線の乗降制限解除 (1970年3月1日)


中央バスは札夕線(札幌ターミナル〜夕張駅前)の「継立」「新二股」両停留所(いずれも栗山町内)で実施していた乗降制限を1日から解除する。バス路線の協定に基づき、これまで上り線(札幌行き)は乗車、下り線(夕張行き)は降車だけだったが、このほど調整がつき上下線とも乗降車自由になる。
※夕鉄バスは昨年12月25日から中央バスと競合する岩見沢急行線(夕張〜岩見沢)に「若菜」停留所(夕張市内)を増設している

【沼田町】沼田−浅野間を運行開始 (1970年4月1日)


留萌鉄道廃止に伴い中央バスが臨時運行していた沼田〜浅野間のバスが3月末で運転をやめるため、沼田町はとりあえず応急処置として、1日から同区間に町営バスを走らせ、辺地住民の足を確保する。
 中央バスが浅野線の運行をやめたのは炭鉱が閉山したため。町営バスを始めたのは池田町にヒントを得たもので道内では3番目といい、空知管内では初の町営バス運行となる。
 さしあたって町のマイクロバスで通学、患者輸送に1日3往復(日曜、祭日は2往復)するが、町はもう1台マイクロバスの購入を考えており、過疎化対策とはいえ自治体財政の大きな負担になりそうだ。料金は上、下便とも恵比島まで50円、それ以上は100円。バスはワンマン。停留所は中央バスが停車した場所と同じ。

夏ダイヤ改正による変更 (1970年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【夕鉄】ワンマンバス本格スタート!! (1970年6月3日)


夕鉄バスは3日午前10時から夕張市内でワンマンバスの運行を正式にスタートする。先月21日から車掌が指導しながら試験的に走っていたが、乗客もなれたようなので本格運行に踏み切る。
 市内各線合わせて1日104往復のうち48往復がワンマンバスとなるが、これは年々深刻になる車掌不足を補うための対策の一環。だた冬の積雪時の運行体制や踏切確認などに、まだまだ問題は残っていそう。
 初日となる3日は約20人の関係者が集まり、市内若菜でワンマンバス運行出発式が開かれ、河野本社総務部長のあいさつがあり、労使双方の代表が仲良く紅白のテープを切って、“丁未行き”のワンマンバスが出発した。

夕張地区の運賃改定 (1970年7月2日)


中央バス、夕鉄バス、三菱バスの3社は2日から大幅に運賃を値上げする。人件費増や利用者減による経営悪化がおもな理由。料金アップによる増収率は、中央バスの12.2%から夕鉄バスの32.9%まで。

芦別レジャーランド行きバス (1970年7月20日)


中央バスは18日にオープンした芦別レジャーランドの完成に伴って、20日からターミナル〜レジャーランド間の定期バスを運行開始する。1日6往復し、料金は片道20円。停留所とダイヤは以下の通り。
 同レジャーランドは総工費4億2千万円。温水プール、サウナ、熱帯植物園、民謡広場、大食堂、お好み食堂、遊戯コーナーなどが完備された大衆観光娯楽センター。入場料は大人350円、中・高生250円、子供200円で30人以上は団体割り引きもある。

栗山ターミナルOPEN!! (1970年9月2日)


栗山町中央3丁目に建設していた中央バス栗山ターミナルがこのほど完成、隣接するUデパートとあわせ1日、現地で落成開設式が行われる。営業開始は2日から。
 ターミナルは栗山駅前通りの4区商店街に面した鉄筋コンクリート2階建て一部3階建て。1階の待合室から同デパートに直結している。ターミナル完成に伴い中央バスは2日から栗山駅前広場への乗り入れをやめ、岩見沢方面からのバスは駅前交差点を直進、農協前を左折して旭町通りからターミナルに入り、由仁・夕張方面からはターミナル前を通過して駅前交差点を左折、農協前を左折して旭町通りからターミナルに入ることになり、駅から中央バスに乗り継ぐ客はターミナルまで歩くことになる。

(写真:中央バス栗山ターミナル)

【夕鉄】経営不振による合理化案 (1970年9月2日)


夕鉄は経営不振により大幅な合理化に乗り出したが、自動車部門は72年度までに旅客列車の削減、廃止をカバーするため次のように増強する方針。

【沼田町】町営バスが本格スタート (1970年10月1日)


炭鉱の閉山で4月1日から中央バス営業路線が廃止となった沼田町役場前〜浅野間に、沼田町は応急処置として1日2往復のバスを走らせていたが、去る8月に札幌陸運局から正式に認可され、10月1日から本格的に3往復がスタートする。
 停留所標識板も一新され、これまでの中央バス時代の鉄製のものと違い、木製でコンクリートの台に差し込む簡単なものだが、それでも全部で17ヶ所、34枚もいるので作業が結構大変だったそう。
 これまでは認可になっていなかったので1区間30円の“協力券”方式だったが、今後は“乗車券”になる。町は「利用者がふえる見込みはないが続ける」と話しており、来年度は運行区域を拡大したい考え。

【夕鉄】冬ダイヤ改正による変更 (1970年12月15日)


夕鉄バス1日から冬ダイヤに改正する。

桂沢スキー場行バスを運行 (1970年12月20日)


中央バスは三笠市の第5回桂沢国設スキー場開きにあわせ、12/20〜来年3/31まで幾春別〜スキー場入口(一部はスキー場ロッジ前まで)に定期バスを運行する。ダイヤは次の通り。
(◎は12/28〜1/20まで、△は日祝のみ)

危険です…中央バスターミナル (1971年2月10日)


中央バス芦別ターミナルからバスが発車する際、歩道、国道を横切るので危険と市民やドライバーから不満の声が高まっている。
 1963年10月に開設した同ターミナルは芦別市街地の真ん中、国道38号線沿いにあり、市内運行の各路線をはじめ日中は深川、富良野、札幌行きなどの路線がほぼ10分おきに発着している。バスはターミナルの裏側から入って正面から発車する構造のため、ターミナルを発車したバスが歩道を横切って国道へ右、左折する格好となり発車のたびに歩道が遮られ、しかも国道に通過車両がある場合は歩道上でいったん停止するため、その間は歩行者を“通せんぼ”する形になる。また国道に向かってバスがいきなり直角に右、左折して横切るため、年々ふえる国道の交通量を考えると交通障害や交通安全上にも問題があるという。
 さらにターミナルに入ってくるバスは裏側の車幅6㍍の狭い市道を通り、ふだんはターミナルに入ってから客を降ろしているが、先行車でターミナルが混んでいる朝夕のラッシュ時などは市道で降ろしている場合もあり、雪で道が狭くなる冬季間は他の車が通り抜けられないこともしばしば。一般ドライバーからも不評を買っている。

(芦別ターミナルを発車するバス)

栄中スクールバスを運行 (1971年2月20日)


岩見沢市教委は20日から市立栄中の通学用貸し切りバスを運行開始する。運行は中央バス岩見沢営業所に委託し、日曜・祝日・学休日を除く毎日、朝日炭砿附属病院前を8:55ごろ発車、帰りは栄中前を16:25(土曜は13:05)ごろ発車する。
 車両は70人乗り1台だけなので市内朝日町の子供105人のうち35人があぶれるが、35人は貸し切りバスが発車する1、2分前の定期バスに乗る。貸し切りバスと定期バスの運賃はいっさい市教委が持ち、年間150万円を中央バスに支払う。
 これまで同校の生徒約200人のうち105人が万字線朝日駅から学校のある上志文駅まで列車通学していたが、朝日駅発の一番列車が6:52、次が9:58なので、学校側はここ数年、市教委にスクールバスの運行を強く要望していた。学校では「できたら2台の貸し切りバスを…」と望んでいたが、1台でも生徒のためにバスが走ることになったので大喜び。この日の初運行を前に、同病院前で生徒、教職員、市教委関係者らが出席して“出発式”が行われ、成田市教委長のあいさつのあと、生徒たちは白い息をはきながら暖房のきいたバスに乗り込んでいた。

三笠市内線をワンマン化 (1971年3月1日)


中央バスは4/1から桂沢線を除く三笠市内全線をワンマンバスに切り替えるが、準備期間として3/1から乗車整理券の使い方を利用者に知らせる。

夏ダイヤ改正による変更 (1971年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

【夕鉄】駒大通バス停を新設 (1971年6月7日)


夕鉄バスは7日から、岩見沢市内の「十条十丁目」バス停を約1㌔駒沢大学付属岩見沢高校寄りに移設し「駒沢大学通り」の停留所を新設した。
 これは夕張市内から同校に通う生徒の父母や学校側が夕鉄や夕鉄労組に強く働きかけ、競合している中央バスや陸運局も了解して実現したもの。
 これまで駒大高校へ通う生徒たちは、夕張本町駅午前6:08発の夕鉄列車か夕張駅午前7:20発の夕鉄バスのどちらかを使うしかなく、列車だと朝早く家を出なければならず、栗山駅の乗り継ぎで約30分も待ち合わせがある一方、バスだと列車より交通費が月約2000円も高いうえ、高校前にバス停がないため同校まで毎朝約1㌔ほど歩かねばならなかった。このため、朝8:50のホームルーム開始にはわずかに間に合わず、やむなく夕張駅6:35発のバスに乗る生徒が多いのが実情だった。

『南幌市街』バス停を移転して (1971年7月29日)


中央バスと国鉄バスの「南幌市街」停留所(南幌町南13線西8号)が交差点に近すぎて危険と、住民が警察を通じてバス会社に移転を申し入れて1年半になるが、いまだに解決していない。
 問題のバス停は道道2本の交差点から13㍍の地点にあるが、長さ11㍍のバスが停まると横断歩道をふさぐ格好になり、国鉄バスは始発停留所にもなっているため停車時間が長く、交差点を渡る歩行者や車はいつもヒヤヒヤさせられている。
 これを見かねた住民たちが昨年春、バス停の移動を栗山署を通してバス会社に申し入れたがいまだ実現せず、住民たちは『会社はやる気があるのか』と憤懣がいっぱい。バスの運転手に停車位置をずらすよう注意することもしばしばあるという。
 同交差点は南幌中への通路にもなっており、町内ではもっとも交通量の多いところ。栗山署、町交通指導委員会も“危険箇所”として連日、交通指導と整理にあたっている。

ファミリー動物園に臨時バス (1971年8月3日)


北海道新聞社、滝川市、滝川市教委共催の『ファミリー動物園』が3〜8日まで滝川公園で開かれるが、中央バスは開園期間中に滝川ターミナルから滝川公園まで臨時バスを運行する。
 ダイヤは滝川ターミナル発が10:00〜17:00、滝川公園発が10:10〜17:10までいずれも30分おき。料金は大人15円、小人10円。
 同動物園には世界の動物が一堂に集められ、万国博に登場して人気を集めた子象をはじめ、猛獣、鳥、は虫類、毒ヘビなど80種220余の動物が展示されるほか、開園初日の3日午後と、8日最終日の午前と午後の計3回、滝川躍進太鼓保存会による太鼓演奏も行われる。同動物園は9/3〜9/8まで深川市桜山レジャーランドでも開かれる。

油谷・旭線の赤字助成を (1971年8月13日)


芦別市内の中央バス油谷線(芦別タ〜油谷)、旭線(芦別タ〜旭学校)について、同社から「赤字で継続が困難、なんとか市で助成措置を考えてほしい」と意向が出ている。
 油谷線は中央バス芦別ターミナルと旧油谷炭鉱間を結ぶ6.8㌔の路線。65年に炭鉱が閉山、規模を縮小してその跡を引き継いだ北興炭鉱も2年前に姿を消し、利用者は減る一方。かつて油谷地区に5千人以上いた人口も現在は100人を割ってしまい、当時14往復していたドル箱路線も、いまは朝、昼、晩の3往復走っているだけ。また油谷線の途中から分かれ農村地帯の旭町とを結ぶ4.8㌔の旭線も、農家のマイカーに押され、現在は1日2往復という細々とした運行状態。
 このような急激な過疎化で、両線の利用客は年々減少の一途。中央バス芦別営業所の話では、油谷線の1日平均利用客は約60人、その半数が通学の児童、生徒。両線のことしの年間赤字は440万円に達する見込みで、民間会社としてこれ以上の運行継続は困難な状態にあり、坂本営業所長は「採算面だけから考えれば、いますぐにも運行を中止したいが、公共性という意味からそうもいかず、運行を継続するため市に赤字額の半分程度を助成してくれるようにお願いしている」と説明している。
 油谷地区に残っている住民は高齢者が多く、小、中学生の下校時はスクールバスが出ているが、一般住民用に市がバスを運行するのは事実上不可能。理事者側は「過疎対策の一環として市費を持ち出しても、現行程度の運行を確保する以外に方法がないのではないか」という考え方に傾きつつあるようで、9月議会までには結論が出るという。

(油谷停留所に停車する油谷線)

【夕鉄】郊外線をワンマン化 (1971年11月1日)


夕鉄バスは1日から初めて郊外線をワンマン化する。実施するのは夕張〜栗山〜岩見沢直通線で、夕張〜栗山間12往復、夕張〜岩見沢間5往復の計17往復をワンマン化する。残る札幌直通9往復、大夕張9往復は来年以降になるもよう。
 現在、同社の市内線161往復のうち、丁未〜若菜間、丁未〜清水沢間の一部77往復、約50%がワンマン化されており、南部方面も来年はワンマン化される予定。ただ登川方面は幅員、設備など道路状態がワンマン基準に当てはまるように改良されるまで見送られる。

【三菱】美唄市の過疎バス対策 (1971年12月10日)


ここ2〜3年、三菱鉱業美唄鉄道事務所の三菱バスが赤字の農村路線を次々に廃止、市は撤退を続けるバス会社に補助金を出してしばらく廃止を延期してもらい、新たに購入したスクールバス4台と地元の農家から借りたマイクロバス1台で“跡始末”してきたが、こんど250万円ほどの補助金でなんとか来年4月まで延ばしてもらう拓北、進徳両線も含めて三菱バスの撤退はまだまだ続きそうな気配―。
 そこで市は、一般客用の有料の市営バスとスクールバスの路線運営という独自の方式も考えているが、ここに立ちはだかるのが規制とカネ。スクールバスについては国から「目的以外には使用しない」ことを条件に購入費を補助してもらっているうえ、市営バスの認可も基準が厳しく「規制より過疎対策を優先させてほしい」と陸運局に訴えても、違法なことをしたために事故でも起こしたらどうするのかと反論され、二の句がつげないと市はボヤく。仮に認可されたとしても運営費に対する国の補助額は十分とはいえず、市の赤字は増える見通しで、八方ふさがりの対策に頭をかかえている。

運賃アップによる変更 (1972年2月15日)


中央バス、国鉄バスは15日から運賃を一斉に値上げ。ともに平均27%のアップ率。また同日から中央バスと競合路線をもつ夕張鉄道バス、三菱大夕張鉄道バスも夕張〜札幌線などの料金値上げを次の通り実施する。

旧空知支庁跡地、市と中央バスが競合 (1972年2月16日)


旧空知支庁の庁舎跡地(岩見沢市4条西6)をめぐって、バスターミナルの建設を希望する中央バス、公園にしたい市、駐車場や新店舗の建設を計画する拓銀岩見沢支店、労金岩見沢支店の4者から申請が出ている。
 同跡地は国道12号線×駅前通りの交差点に面する約6千平方㍍の“特等地”。同支庁によると「国道に面した一部は拓銀、労金に払い下げることになるだろうが、残りの大部分は市に払い下げるか、中央バスにするかまだはっきり決めていない。いまのところは市と中央バスの両者が意見を調整するのを待っている状態」という。
 岩見沢市民や空知管内の住民からは「ぜひ公園にしてほしい」と望む声が強く、公園化を希望する市は“競合”する中央バスに対し、代替地を示すなどしてあきらめてもらうよう働きかけている。

(移転計画のある中央バス岩見沢ターミナル)

夏ダイヤ改正による変更 (1972年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

運賃アップによる変更 (1973年3月1日)


中央バス空知営業部は昨年2月、運輸省から平均23.5%の運賃値上げの認可を受け、アップ率の高い区間に限って一部暫定運賃を設定してきたが、1日から正規運賃に変わる。このため各区間とも平均10円アップする。これにあわせ停留所の新設などを行う。

夏ダイヤ改正による変更 (1973年5月1日)


1日から夏ダイヤに改正する。

冬ダイヤ改正による変更 (1973年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正する。

運賃アップによる変更 (1974年5月1日)


中央バス空知営業部は1日から運賃を平均22.6%値上げする。岩見沢管内では市内循環線がこれまで20円と30円だったのが10円アップの30円と40円になり、近郊路線は距離によって10〜30円、長距離線は40〜50円それぞれ値上げされる。ただし循環線の30円、40円は暫定運賃で来月1日からは40円均一になる予定。
 おもな新料金は滝川〜砂川間60円→80円、札幌〜旭川間520円→650円、同〜留萌間600円→750円など。競合路線をもつ道北、沿岸バスの一部も調整値上げとなる。

沼田・多度志線は減便見送り (1974年5月9日)


沼田町は9日、中央バス沼田〜多度志線の減便反対陳情のため同バス空知営業部(滝川市)に出向いて折衝した結果、同線をワンマン化できるよう改良することを条件に、減便については来年3月まで見送られることになった。
 この路線は朝夕を除き乗客がほとんどなく運行経費だけでも年間1,000万円の赤字が出ているうえ、車掌不足でワンマンカーを配置したくても狭隘区間があってワンマン化の許可が下りず、中央バスはこの5月から1日6往復を3往復に減便したいと町に申し入れていた。
 このため町は、とりあえず更新行きは5ヶ所に待避所をつくってカーブミラーを設け、東予行きについては終点の東予会館にバスが回転できる道路をつくってワンマン化の条件を満たすことにしたが、ワンマン化されても赤字解消までは程遠く、中央バス側はあくまでも減便を実施したい意向。

由仁駅前バス停移設 (1974年7月1日)


「駅から遠く離れて不便」―と由仁町住民らの不便をかこっていた中央、夕鉄両バスの「由仁駅前」停留所が1日から駅前広場に移転する。
 同停留所はこれまで、栗山・夕張方面行きが駅から200㍍離れた空知信金前、追分・川端方面行きが駅から300㍍離れた商工会議所前にあり、バスと鉄道を乗り継ぐ客から「もっと駅の近くに移してほしい」と要望が出ていた。
 こうなったのも数年前、中央バスが国鉄との路線競合を理由に駅からバス停を離さざるを得なかった両者の“不仲”によるもの。あとから路線が認められた夕鉄バスの停留所も中央バスに倣って同じ場所に設けられた。
 このため町は、5月初めから国鉄と中央バス、夕鉄バスの3社と交渉、最近になって国鉄側が態度を軟化させ「駅前広場をバスの乗降に使用してもよい」―との方針に変わってきたため、これまで道路わきにあった停留所を駅前広場に移して一本化、広場中央は駐車禁止となる。停留所は駅待合室から50㍍ほどの距離とあって利用者らに喜ばれている。

岩見沢ターミナル移転オープン (1974年8月1日)


昨年9月から旧空知支庁跡(岩見沢市4条西6)に建設していた中央バス岩見沢営業所の新ターミナルビルがこのほど出来上がり、1日から駅前より移転、営業開始する。
 新ターミナルは鉄筋コンクリート3階建て、延べ1,852平方㍍の郊外線専用バスターミナル。1階には運行管理事務所、乗車券発売所、貸切バスの受付、待合室、売店などが設けられ、スイッチバック式の乗車ホームから1度に6台のバスが発車できる。
 1日から特急バス、郊外線のほとんどがこの新ターミナルに乗り入れるが、交通安全面からターミナルの発着本数が制限されたため、岩見沢市内線(A・Bコース)、美園線、日の出台線、自衛隊線、幌向線、北斗線、競馬場などの市内路線は従来通り駅前広場発着となる。また12月の国道12号線10条バイパス開通後は(注・12月5日正午開通)、特急バスの経路を国道から駅前通りに切り替える予定。バスが通る西6丁目通りは舗装工事が行われ、安全策として歩道橋やベーブフェンス、公園の角にはガードレールも設けられる。新ターミナルの発着路線は次の通り。

冬ダイヤ改正による変更 (1974年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正する。

日の出南線をスタート!! (1975年11月1日)


これまで定期バスがなく、地元から再三要望が出ていた岩見沢市街と駒が台地区、新興住宅街の日の出かえで地区を結ぶ「日の出南線」が1日からスタートする。コースは国鉄岩見沢駅から駅前通り〜7条通り線(通称・市栄通り)〜競馬場線〜日の出東山線〜かえで団地間を結ぶ約4㌔のコース。片道約14分、運賃は全線40円。2台のバスで1日24往復する。

冬ダイヤ改正による変更 (1975年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正する。

停留所の変更 (1975年12月1日?)


停留所の新設、廃止、名称変更などを行う。
資料協力/各駅停車さん

冬ダイヤ改正による変更 (1976年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正する。

鉄北線の運行スタート!! (1978年6月1日)


岩見沢市鉄北地区に1日、中央バス鉄北線(岩見沢駅前〜北5条西20丁目間 4.2㌔)が開通する。同地区にはこれまでバス路線がなく、5年前から地域住民から要望が出ていた。住民から“開かずの踏切”と呼ばれている国鉄函館本線の西10丁目踏切の立体交差が完成する再来年秋まで、市がバス運行で生じる赤字の半分と減価償却費を負担することで新路線の開設が実現した。
 コースは国鉄岩見沢駅から4条通り〜道々岩見沢月形線〜北3条通り〜道々美唄達布岩見沢線〜北5条通りを通って北5西20まで。片道約14分、1日20往復する。料金は全線1区間で大人60円、小人30円。これを記念して1日、駅前と北5西20の両停留所で開通式が行なわれ、市が無料乗車券を配布する。

【夕鉄】岩見沢始発のりばを変更 (1978年7月10日)


10日から夕鉄バス岩見沢急行線の岩見沢市内の始発点が変更となる。到着便は1条西5丁目(松重時計宝石店前)、始発便はその向い側(本間靴・旅行具店前)に変わり、文字通り岩見沢駅前停留所となる。

運賃アップによる変更 (1978年8月11日)


中央バスは11日から路線運賃の値上げを行う。値上げ幅は9.7%(申請16.4%)となり、最低運賃(3.7㌔以内)は60円→70円にアップ。この改定にあわせ、停留所の名称変更なども実施する。
資料協力/各駅停車さん

空知事業部にデラックスバス (1979年4月21日)


中央バスは春の行楽シーズンをひかえ、このほど観光客向けにデラックスバス49台を購入した。このうち11台が空知事業部(滝川市)に入り、21日新型バスの試乗会が行われた。
 新型車は全般的に床が高くタイヤ部分の膨らみがないフルデッカー車で従来の大型バスより荷物入れが大きく、また横ゆれも少ない豪華デラックスバス。価格は1台ザッと2,000万円。シーズン中は主に本州方面からの観光客用に使われ、シーズンオフには地元客にも利用してもらう。

岩見沢海の家ゆきバス運行 (1979年7月15日)


岩見沢市青少年海の家(厚田村大字別狩)が15日オープンするため、中央バスは岩見沢海の家線(岩見沢ターミナル〜岩見沢海の家間)の直通バスをスタートさせる。国鉄バスとの共同運行で7/15〜8/12まで毎日それぞれ1往復ずつ運行する。料金は往復大人1,600円、小人800円。乗車券は中央バスが岩見沢ターミナル案内窓口、国鉄バスは岩見沢旅行センター、岩見沢駅の国鉄バスキップ売り場で乗車日の前から販売する。

冬ダイヤ改正による変更 (1979年12月1日)


1日から冬ダイヤに改正する。

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